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第一部 春

53 悪役令嬢の物語はこれからだ!

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「気安く話しかけないでください」

 わたしはソレイユに向かって冷酷に言い渡した。彼はいったんは目を剥いて驚愕したけど、なぜか頬を赤く染めると口を開いた。
 
「あ、やっぱり怒ってる? 昨日のこと?」
「……さあ、なんのことかしら? まったく検討もつかないわ」
「え? マリ……私とキスしたこと……」
「ちょっ! 黙ってぇぇぇ!」

 わたしは、さっと腕を伸ばしてソレイユの口を手で塞いだ。彼の柔らかい唇が、わたしの手のなかに包まれている。温かい、はあ、はあ、とソレイユの吐息が漏れている。

 きゃあ、くすぐったい。

 昨日はこのソレイユの唇とわたしの唇が重なって、キス、してたなんて……ああん、思い出しただけで、ドキドキするぅ。やばぁぁい!
 
「あの、マリ先輩……みんな見てますよ」

 わたしのスカートの裾をメルちゃんがひっぱっていた。はっ、と我に返ったわたしは、おずおずと周りをうかがった。ロック、シエル、ルナ、そして、落ち込んでいたベニーでさえも、
 
「ええええ!」

 と叫んでいた。みんな目を丸くしてこっちを見つめている。
 
 しまった!
 
 わたしは、さっと飛び跳ねてソレイユから離れた。
 
 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!
 
 イケメンは危険だ。ソレイユは口を抑えて頬を赤く染めている。
 
 やめてぇぇぇ!
 
 そういう意味深な仕草するのは。きゃああ、キスのことが脳裏に浮かんできちゃって、なかなか頭が回んない。これじゃあ、悪役令嬢になるどころか、ソレイユの口を塞いだだけの変態女じゃない! ああん、こうなったら、逃げるは恥でも構わない! あれ、ちょっと言葉が違うけど、ま、いっか……逃げろ~!
 
 わたしは腕を振りかぶって走る態勢に入った。校舎までダッシュするつもり、だったが……。
 
 ん? 猫ちゃん?
 
 背後からものすごいスピードで黒い影がわたしを追い抜いた。ふと、前を見るとシエルが立っていた。栗色のゆるふわパーマヘアが、春の強い風にゆれている。
 
 わたしの行手を塞いでいるつもりだろう。
 
 短いながらも腕を大きく広げている。ヤダぁ、可愛いから逆に抱っこしてあげたくなっちゃう。お姉さんのとこくる? って、いやいや、わたしは悪役令嬢になるって決めていた。ここは、心を鬼にして嫌われなくては……。
 
「マリ姉、今日こそハグだかんなっ!」
「は? なにそれ? キモいんだけど」
「寂しかったんだよぉぉぉ! マリ姉ぇぇぇ!」
「え? ちょっと……来ないで……」

 次の瞬間、シエルが、ダッと空気を切り裂くほどの速さで突進してきた。これには、さすがのロックも間に合わなかったようで、
 
「マリ! 逃げろっ!」

 と背後から叫んでいる。
 
 はあ? 逃げろ?
 
 冗談じゃない。前にはシエル、後ろにはソレイユ、どこにも逃げる場所などない。それならば……倒すのみ!
 
「マリ姉ぇぇぇ! ハグしよっ」

 叫ぶシエルの手がわたしのおっぱいに、むにゅっと触れた瞬間、その勢いを殺さずにシエルの右腕を掴んだ。そのまま、ひゅん、と反転したわたしは腰を落としてシエルの腹を背負う。
 
「おっりゃあっ!」

 一本背負いでシエルを投げ飛ばす。
 
 どさっと地面で横たわるシエルは、ぐへ、と唸ったまま沈黙した。わたしは、ふぅ、やれやれ、とばかりに両手についた汗を、ぱぱっと払い落す。ソレイユもロックも、口をぽかんと開けて唖然としながら、じっとわたしを見つめていた。
 
 ふんっと鼻で笑ったわたしは、さっとスカートをひるがえすと校舎に向かって歩き出した。
 
「マリリン! すっげぇぇぇぞっ!」
 
 陽気に飛び上がったベニーは、わたしのもと駆け寄ってきた。どうやら、笑顔を取り戻したようだ。
 
「あら、元気がでたようね、ベニー」
「おお! 男たちをやっつけるマリリンを見ていたら、なんだか悩みなんてフッ飛んでいったぞぉぉ!」
「それはよかったわね。あ、それと……リオンさんのことだけど」
「ん? なんのこと? きゃはは、ベニーわっかんないぞ」
「とぼけないで、わたしにはわかってるから。ルナがリオンさんから弁当をもらってたでしょ?」

 あ、とつぶやいたベニーは肩をすくめて、知ってた? と訊いてきた。

「ええ、でもね。わたしたちにもまだチャンスはあるわ」
「え? マジ?」
「わたしに任せなさい。リオンさんはまだルナのものじゃない」
「マリリ~ン! ベニーは一生ついていくぞぉぉぉ!」
「ちょっと……オーバーね」

 わたしは髪をかきあげると、大股で歩き出した。すると、ゆれる胸ポケットのなかから、ねえ、ねえ、とフェイが尋ねてきた。

「真理絵って格闘技やってたの?」

 わたしは、ええ、と肯定しつつ、まっすぐ前を向いて答える。
 
「護身術の手ほどきなら父から指南されているわ」
「すごいじゃん」
「まあね、痴漢に襲われたら、自分の身は自分で守らないといけないから」
「どんな教育されてるんだよ……高嶺家って、すご」
「っていうか、話かけないでくれる、燃やすわよ」
「ごめん」
「謝罪もいらない」

 舌をぺろっとだすフェイは、胸ポケットのなかで丸くなった。すると、横を歩いていたベニーは、首を傾けて訊いてくる。

「なあ、マリリン。誰としゃべってるのだ?」
 
 ああ、とつぶやいたわたしは、胸ポケットから妖精フェイを取り出した。そのとき、歩み寄ってきたメルちゃんが、「それ、花の妖精らしいですよ、ベニー先輩」と説明してくれた。さらにルナが加えて語る
 
「その妖精のせいで、マリは悪役令嬢になって男たちから嫌われるんだってさ」
 
 ねえ、あんたたち、わたしの保護者? そんな説明はいいから。
 
 そう思いながら、わたしは人形のフリをして固まったままのフェイを、また胸ポケットにしまった。ベニーは、「よくわかんないけど……」と言ってパワーを貯めてから言葉を放った。大声で。
 
「かっこいいぞぉぉぉ! マリリン!」

 微笑むメルちゃんも、こくりと大仰にうなずく。
 
「はい、私も全力で応援します! マリ先輩の悪役令嬢を!」

 うーん、こんなにみんなから協力してくれる展開になるとは想定してなかったけど……。
 
 ま、いっか、と思った。

 パルテール学園の校舎を目の前にして、こんな思いを抱くなんて、物語はここで終わりって感じね、うふふ。思わず笑みがこぼれてしまった。
 
 無事にルナスタシアが、この乙女ゲームのエンディングを迎えられるように、わたしの悪役令嬢としての物語は……。
 
 これからだ!

「お、わ、り……うふふ」

 エンドロールが流れていく……。



 











「おーい! マリリン、いくぞ!」
「マリ先輩? なにをぶつぶつ言っているのですか?」
「ほらぁ、がんばって悪役令嬢になろうよ、マリ」

 ふう、前を歩く愉快な仲間たちが、そうやって声をかけてくる。とても、物語は終われそうにない。はああ、とため息を漏らしながら、わたしは校舎のなかに入っていった。
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