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第一部 春

47 ゆるふわヒロイン、ルナスタシア

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 もぐもぐ、がやがや、きゃきゃ。

 女子寮の食堂はたくさんの音であふれている。

 そんななか。

「ルナ先輩は、なぜ天使のような美しい歌が唄えるのですか?」

 隣に座るメルちゃんが尋ねてきた。

 ん?

 そのとたん、ぴくり、さっきからもぐもぐ食べていたベニーの動きが止まった。それでも、口のなかはパンパン。また、もぐもぐと咀嚼。まるで、ヴォワの村にいた森のリスみたい。かわいいなあ。
 
「ええっと、おばあちゃんが歌を教えてくれたの、村のお祭りで唄うから」
「なるほど、たしか、ルナ先輩の出身はヴォワの村ですよね? 文献で読みましたが、とても風情のある村でした。手つかずの自然に囲まれたのどかな場所ですね」
「うん、ぶっちゃけ田舎だよ。子どもと老人しかいないもん」
「そう、なのですか……情緒があって素敵だと思います」

 美的情操をふるい起こさせるメルちゃん。その横で、口のなかに入っていたものをすべて飲みこんだベニーが、あたしの肩を、ばんと叩く。きゃっ、なに?
 
「ルナルナの歌は学園、ううん、世界を驚かすぞぉぉ!」

 ベニーがそう叫ぶと、食堂が、しーんと水を打ったように静かになった。でも、次の瞬間には、わっと突然に降り出した雨のように、食堂は騒然。女子生徒は口々に、あたしの噂話に花を咲かせている。
 
「また歌ってほしい~」
「普通にかわいい~」
「転校生ってすっごいんだね」
「ルナスタシアって名前らしいよ」
「演劇部なんだって」
「舞台が楽しみ~」

 やだぁ、なんか恥ずかしいなあ。あたしは、少し苦笑い。
 あたしは人口の少ない過疎った田舎の村で暮らしていた。
 だから、こんなに注目されたことはない。

 ちょっと慣れないな。

 それでも、みんながあたしを必要としてくれるなら、がんばろう。いつか村に学校を作るために! 

 えい、えい、おー! 

 ふと、マリを見るとまったく平常心だった。

 クールビューティーのマリは、あたしのことなんかまったく興味がないみたい。眉ひとつ動かさず食後のデザートを食べている。今夜はプリンという、カップに入った黄金のぷるぷるしたものだった。うん、見るからに、うまそうなやつ!

 ああん、早くプリンを食べてみたい。

 あたしが選んだ今夜の夕飯は、オムライスにサラダにスープだった。学園の食堂はビュッフェスタイル。自分で好きな料理を選べるから、もう最高のシステム。村のみんなには悪いけど、あたし学園に入学して贅沢してる。

 ごめ~ん、だって美味しいんだもん。えっへへ。

 入学させてくれた、おじいちゃんとおばあちゃんに感謝のありがとう。

 だから、せめて昼食だけは我慢しないといけないなあ。仕送りのお金だっていっぱいあるわけじゃないから、節約しなきゃ。
 
 それでも、今日はマリにおにぎりを貰った。ホントに嬉しかった。

 友達は助け合うもの。

 とマリは言ってくれた。その言葉を聞いて、ああ、あたしとマリは友達になれたのだ。

 そう実感した。でも、それなのに……。
 
 なんで、目を合わせてくれないの? 
 
 マリは急にあたしを避けるようになった。昨日は、なんでも訊いていいわよ、と言ってくれて頼もしかったのに、今は気軽に話しかける雰囲気がまったくない。

 冷たい氷のような瞳。

 この世界のすべてを見ているように感じる。それくらい、隙がなかった。ピリピリしている。そんな言葉が、今のマリにはちょうどいいかも。
 
 だけど、あたしには関係ないもんね。普通に話かけちゃう。
 
「ねえ、マリ。プリンって美味しい?」

 ぺろり、と口についたカラメルを扇情的に舐めたマリは、艶のある唇を動かした。セクシーすぎて女のあたしだって、やだ、ドキドキしちゃう。
 
「……愚問ね。ルナ・リュミエール。美味しいに決まっているわ」
「えっへへ、じゃあ、あたしも食べよっと」

 あたしは食器を持って席を立つと、まず洗い場に食器を持っていった。台に置きながら、

「ごちそうさまです」

 と食器を洗うメイドのお姉さんに挨拶をした。彼女は微笑みで返してくれた。すると、そのとき。

 近くにいた料理長が、よっ! と話しかけてきた。

 たしか、リオン・オセアンという名前のイケメンだ。背が高くて男らしい端正な顔立ち。余裕たっぷりに口もとを緩ませる仕草が、大人の色気をかもしている。こんな都会的な男性、あたしは今まで話たことがないから、リオンさんから話しかけられると、ちょっと嬉しくなった。

「転校生! 学園は慣れたか?」
「おかげさまで、なんとかやってます」
「それはよかった」
「はい、料理も美味しいし、本当に入学してよかったです」
「おいおい、嬉しいことを言うじゃないか」
「えっへへ、だって本当だもん」

 リオンさんは照れ臭そうに鼻を拳でかくと、そうそう、とつづけた。
 
「転校生! 演劇部に入ったそうだな」
「はい! 歌を唄うことになりました」
「じゃあ、弁当を作ってやろう」

 あたしは急いでかぶりを振った。
 
「そんな、いいです。お金がもったいないので」
「無料だが」
「え?」
「俺が作ってやりたいだけだから……」

 なぜ? と訊きながら首を傾けるあたしは、リオンさんに弁当を作ってもらう理由がまったく思いつかない。それでも、リオンさんは、笑ってあたしのことを見つめていた。
 
「歌姫は俺にとって特別なのさ。まぁ、付き合ってくれよ」
「いいのかな……」
「ああ、いいぜ。じゃあ、弁当を取りにこいよ」
「わかりました」
「もし、取りに来なかったら教室まで渡しに行くからな」
「えええ! それは恥ずかしいのでやめてくださいっ」
「ふふっ、じゃあ、そういうことで」

 リオンさんは軽く手を振ると、厨房の奥に歩いていった。彼の後ろ姿はどこか寂しげで、食器を洗っていたメイドのお姉さんが小さな声で、

「料理長って学生のころ、歌を唄う女子生徒が好きだったみたいよ」

 とあたしに向かって言った。
 
 突然そんなこと言われても、はあ……としか反応できなかった。なぜメイドさんは、あたしにリオンさんの過去の話を教えてくれるのだろう。よくわからないけど、なんとなく受け入れた。
 
 もしかしてリオンさんは、過去の恋人とあたしを重ねているのかな? 
 
 なんて思いながら、あたしはデザート台に並べられたプリンと側にあったスプーンを手に取って席に戻った。椅子を引いて座ると、ベニーが、「お先に~」と言って食堂から出ていった。メルちゃんも、ぺこりと頭を下げると、ベニーの後についていった。

 しーん……。

 二人だけでマリと座ることになった。しかし、沈黙。

 横顔を見ると、あいかわらず冷たい表情のマリは、小さな口を開けて、もぐもぐ、とプリンを食べ終えようとしていた。
 
「プリン、いっただまーす!」

 あたしがそう叫んでも、マリはなんの反応もない。さすがに気になって尋ねてみた。
 
「マリ、どこか体調でも悪いの?」
「いえ、健康だけど、何か?」
「だって、ぜんぜん話さないし、あたしのこと無視してるみたいだよ?」
「……無視か、その手もいいわね」
「なに言ってるの? あたしたち友達でしょ? 何か悩みがあるのなら言いなよ」

 マリは小さくかぶりを振ると、ダメよ、とつぶやいた。あたしは、何がダメなのよって返しながら、マリの脇腹をくすぐった。
 
「ああん、ちょっとぉぉ、やめてっルナ! きゃぁぁ」
「言わないと、くすぐりの刑だよっ」
「きゃぁぁぁぁ! わかった、わかった、わかったからやめてぇぇぇ!」

 食堂にマリの悲鳴が響いた。

 あたしは手をとめた。村の子どもたちが悪戯したとき、このくすぐりの刑をしていたので、その技術力は折り紙つき。どんな相手だろうと笑い転げさす自信がある。えっへへ。

 はあ、はあ、と息を荒げるクールビューティーなマリの姿は、よほど珍しいのだろう。女子生徒たち、メイドさん、そして、料理長リオンさんが、目を丸くしてこっちを見ていた。
 
 目立つことが嫌なのか、マリは乱れた部屋着を、ささっと整えると姿勢を正して座りなおした。

 は、速い!

 そして、何事もなかったかのように口を開く。ほっ、やっとマリらしくなった。

「んもう、あなた本当に天然すぎよ! ラブコメヒロインはこれだから困る」
「ラブコメ? ヒロイン?」
「な、なんでもないわっ」
「で、何があったの? マリ」

 虚空を仰ぐマリは、わたし……とささやくような小さな声を放つと、謎めいたことを言った。
 
「悪役令嬢になろうと思う……」

 はい?
 
 聞いたこともない言葉だった。
 
 悪役? 令嬢? なにそれ?
 
 たしかにマリは実家は金持ちの花屋さんらしいから、令嬢、なことは間違いないけど、悪役ってどういうこと? あたしは首を傾けながらも、あーん、とプリンをスプーンですくって口のなかに入れた。

 甘くて、柔らかくて、ほんのりとろけた。うーん、幸せ。

 それでも、底にあるカラメルのほろ苦い味が舌触りに残った。甘いだけじゃないなんて、プリン、なかなかやるなあ。
 
「よくわかんないけど、それがマリの夢なら、あたし応援するよ」
「……ありがとう、じゃあ、とりあえずほっといて」
「え? それは無理」
「はい?」
「えっへへ、だってさ……」

 笑いながらあたしは、食べ終えたプリンカップのなかにスプーンを落とすと席を立った。と同時に、マリが食べていたプリンのカップとスプーンも一緒に持ち上げるとつづけた。
 
「友達はほっとけないよ」

 きょとん、と驚いているマリを、流し目にしたあたしは、食器を洗い場まで持っていった。席に戻ってくると、マリはやっと相合を崩すと、柔らかな口調で話した。
 
「……まあ、いいわ」
「うん、マリは村をマインクラフトする先生になってもらうから」
「ふぇ? 先生? わたしが?」
「うん、昨日言ってたじゃない、ヴォワの村は鉱山が近いから発展するって」
「まあ、そうだけど……本気?」

 あたしは拳を掲げて叫んだ。

「本気だぞぉぉぉ!」

 ねえ、それって……とマリはつぶやいたあと、

「ベニーのものまね?」

 と尋ねてきた。あたしは、そうよ、と答えた。マリは、うふふっと笑い声をあげた。あたしはマリの手をとると歩きだした。
 
「部屋にいこっ」
「ちょっと、引っ張んないでよ」
「えっへへへ」

 マリは、にこっと口もとを緩めるとつぶやいた。
 
「んもう、ルナの笑顔には負けたわ」

 そうかな?
 
 いや、いつも冷酷なマリが笑ったほうが、わたしの笑顔よりも何倍も素敵だと思うけど。
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