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第3章 傭兵と二人のハイエルフ
第17話 避けては通れない道
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目の前で上背のある魅力に溢れた男が、急に頭を下げてきた。シアンはバツが悪いと感じ慌てる。
刮目しながら、両手を振りつつ後ずさりする。少々顔に赤みもさしていた。
「ま、待ってくれ。お前程の男が、そうも易々と頭を下げるものじゃない。言いふらす? そんな事をするなんて思ってなどいない」
「俺の頭なんて雲の様に軽いものさ、いくらでも好きなだけ下げてやる」
「い、いや……話を進めよう。とにかく先ずは、席に戻ってくれ」
声が上擦り本当に困り果てたといった体のシアン。
少しカウンターの奥に潜ると、余程の常連にしか出さない、とっておきの珈琲豆を少しだけ引っ張り出す。
「これは奢りだ、飲んでく……ださい。いきなり美術品の話をされて、つい慌ててしまったよ」
新たに淹れなおした珈琲と、手作りのクッキーを差し出しつつ詫びる。本当に勇ましい声の割に、気の利いた女性の行いだ。
「此方こそ色々驚かせてすまない。ノヴァンを創造する際に、金を出してくれた貴族の中で、かなり意地の悪い奴がいてさ。そいつから大事にしてる絵を盗まれたと聞いた」
「………」
「要は犯人探しを依頼された。報酬をはずむと言われてな。悪いと知りつつもアギドに調査をさせたんだ」
シアンは少し昔の記憶を辿る。随分と落ち着き払った、いかにも能力が高そうな少年を一度だけ紹介されたことを思い出した。
「成程……あの髪の青い男子だな。確かに彼ならお前以上、隠密に長けていそうだ」
最早その少年に出し抜かれたことは、寧ろ致し方なしと納得せざるを得ないシアンである。
ところでこの場にはいないアギドだが、ヴァイロの今日の来訪理由をまるで知らない態度を装っているのだから、いよいよ少年とは言ってられない狡猾さである。
「しかしだ……何故そもそも私を疑った?」
「これは流石に失笑だな。お前達の盗みの手際が鮮やか過ぎる。それにお前個人は、普段から妖しい殺気を隠せていないぞ。一応忠告しておく」
こう言われてはシアンも立つ瀬がない。つい今しがた、秘めたナイフを暴かれたばかりだ。
「これは手痛い。しかし私のそんな一面を暴いたのはお前だけだ。他の客には大変気立ての良い、ただの女で通っていると思いたいものだ」
カウンターの上で手を組み、顎を載せて微笑むシアン。
本当にしつこいが、この仕草だけでは、大変愛らしいただの美女の態度である。
ヴァイロは遠慮なく珈琲を頂くと、溜息をついた。
(この男はこんな困った顔をするのか……知らなかったな)
普段は割と出たとこ勝負で、細かい事を気にしない男だと感じていた。4年程の付き合いがある彼女だが、少々意外な一面だった。
気の毒ではあるが珍しいものが見られた様な、ちょっと得した気分になれた。
「本当にすまない……実は正直な処、少し焦っているんだ」
「いい加減本題に入ってくれるかな?」
ヴァイロは顔を上げないまま、小さく頷いた。
「───夢を見た、それも酷い夢だ……」
「夢?」
そこからはあの例の夢である。夢を見たという話だけならアギドにも話したが、内容は一切語っていない。
自分の大切な子供達が、白い竜と女神に消されてゆくあの奈落。
シアンはただの夢と馬鹿にすることなく、穏やかな顔で幾度も相槌を打ちながら、真剣に耳を傾けた。
そして暫く考えてから慎重に口を開く。
「つまりはこういう事だな。故郷でこれまで通り迎え撃っていては、いつか悪夢が現実になる。そこでいっその事、これからは討って出ると……」
「そう……そうだ。ただ向こうは、恐らく女神に殉ずる手練れが数多くいるのだろう。それはもう喜んで命すら捧げる輩が。だから全く以って不本意だが、此方も戦力を増やす必要がある……」
「しかしそうは言っても、これまでの様に育てる様な時間はない。そこで傭兵シアンの元を訪れたと……」
もうヴァイロは下を向いていない。此方の目を真っ直ぐに見つめる無垢な瞳。
だからこそシアンにとっては、まるで刺された様に痛い。
とにかく退く事なく賢明な答えを探す。
「カノン、いや……大事な連中を守りたい。それは理解出来る。だがそれだけで此方から討って出るというのは、余りにも正義がなくはないか?」
負けじと強い視線で、正論を落ち着いて語るシアン。自ら淹れた珈琲をすする。
実は全く落ち着いてなどいないのだが、そこは少しだけ年長者の引出しで、リカバーを図る。
「ならば正義の話をしよう。昨日白昼堂々とエディウスは軍を率いて、ラファンの首都ディオルを神の名において制圧したっ!」
一気にヴァイロの口調が荒々しくなる。立ち上がってこそいないが、今にもシアンに食ってかかる勢いだ。
「な、何て事を……」
「奴は宣言したそうだ。『エディウスの名においてこのアドノスを統一し、平穏をもたらす』となっ、もう賽は投げられたんだよ……」
驚くシアンを見てヴァイロは口調を出来るだけ平静に引き戻そうと試みる。
交渉は押し通す処と、冷静のバランスを欠いてはならない事を彼は理解している。
「最早、カノンだけの問題ではなくなったのだ。それに………」
「ん?」
ヴァイロの顔に少し黒い影が浮かぶ。
「傭兵に限らず、戦をすれば経済が色々と動く。戦争をしたがっている貴族達。彼等はこの正義に殉ずる戦いに参画した者に、潤沢な報奨金を払うと約束した」
「お、愚かだそれは……お前、性根から暗黒神に堕ちるつもりか」
「俺だって望んじゃいないっ! だがカノンの連中は皆、疲弊しきっている。もしこの戦いの勝者がアドノスの実権を握れるのだとしたら……カノンの救世主になれるのなら俺は喜んで神を演じる」
ヴァイロの言葉にシアンは目頭を押さえ思わず天を仰ぐ。神という絶対的な力と、金という避けて通れない力。そこに竜まで加わった。
恐らくこの男自体、自らが踊らされてる自覚はあるのだろう。だけども転がる巨大な岩の様に、この流れを止める術は最早なさそうだ。
彼女は確かに元傭兵であった。これまでにも理不尽な戦いに幾度も関わっている。
しかもどこの加勢をしても、彼女は大変有能であった。
ただの一兵卒でなく、小隊の指揮を任せられる程、評価されていた。
けれど今の幸せを得るために、これまでの全てを……名前すら捨てた。夫こそ失ったが間に授かった3歳の男子がいる。
(今度は幸せの方を捨てねばならないのか……いや、必ず戻ってみせる)
2階で同居人である二人と遊んでいる息子に想いを馳せる。戦場へ戻る以上、実家のあるエドルへ預けなければならないであろう。
(せめて最初の襲撃の際に相談してくれたなら、秘密裏に動いて何とか……いや、これは驕りだな……)
シアンは諦めの大きな溜息を吐くと、顔つきが別人の様に変わった。
「今夜限りで喫茶『ノイン』は暫く休業だ。だが私はあくまで傭兵。戦場は仕事場であって命を散らすつもりはない」
声色が変わった訳ではない。さりとて喫茶店の店主とは、まるで別人の声に聞こえた。これが傭兵シアンの矜持である。
刮目しながら、両手を振りつつ後ずさりする。少々顔に赤みもさしていた。
「ま、待ってくれ。お前程の男が、そうも易々と頭を下げるものじゃない。言いふらす? そんな事をするなんて思ってなどいない」
「俺の頭なんて雲の様に軽いものさ、いくらでも好きなだけ下げてやる」
「い、いや……話を進めよう。とにかく先ずは、席に戻ってくれ」
声が上擦り本当に困り果てたといった体のシアン。
少しカウンターの奥に潜ると、余程の常連にしか出さない、とっておきの珈琲豆を少しだけ引っ張り出す。
「これは奢りだ、飲んでく……ださい。いきなり美術品の話をされて、つい慌ててしまったよ」
新たに淹れなおした珈琲と、手作りのクッキーを差し出しつつ詫びる。本当に勇ましい声の割に、気の利いた女性の行いだ。
「此方こそ色々驚かせてすまない。ノヴァンを創造する際に、金を出してくれた貴族の中で、かなり意地の悪い奴がいてさ。そいつから大事にしてる絵を盗まれたと聞いた」
「………」
「要は犯人探しを依頼された。報酬をはずむと言われてな。悪いと知りつつもアギドに調査をさせたんだ」
シアンは少し昔の記憶を辿る。随分と落ち着き払った、いかにも能力が高そうな少年を一度だけ紹介されたことを思い出した。
「成程……あの髪の青い男子だな。確かに彼ならお前以上、隠密に長けていそうだ」
最早その少年に出し抜かれたことは、寧ろ致し方なしと納得せざるを得ないシアンである。
ところでこの場にはいないアギドだが、ヴァイロの今日の来訪理由をまるで知らない態度を装っているのだから、いよいよ少年とは言ってられない狡猾さである。
「しかしだ……何故そもそも私を疑った?」
「これは流石に失笑だな。お前達の盗みの手際が鮮やか過ぎる。それにお前個人は、普段から妖しい殺気を隠せていないぞ。一応忠告しておく」
こう言われてはシアンも立つ瀬がない。つい今しがた、秘めたナイフを暴かれたばかりだ。
「これは手痛い。しかし私のそんな一面を暴いたのはお前だけだ。他の客には大変気立ての良い、ただの女で通っていると思いたいものだ」
カウンターの上で手を組み、顎を載せて微笑むシアン。
本当にしつこいが、この仕草だけでは、大変愛らしいただの美女の態度である。
ヴァイロは遠慮なく珈琲を頂くと、溜息をついた。
(この男はこんな困った顔をするのか……知らなかったな)
普段は割と出たとこ勝負で、細かい事を気にしない男だと感じていた。4年程の付き合いがある彼女だが、少々意外な一面だった。
気の毒ではあるが珍しいものが見られた様な、ちょっと得した気分になれた。
「本当にすまない……実は正直な処、少し焦っているんだ」
「いい加減本題に入ってくれるかな?」
ヴァイロは顔を上げないまま、小さく頷いた。
「───夢を見た、それも酷い夢だ……」
「夢?」
そこからはあの例の夢である。夢を見たという話だけならアギドにも話したが、内容は一切語っていない。
自分の大切な子供達が、白い竜と女神に消されてゆくあの奈落。
シアンはただの夢と馬鹿にすることなく、穏やかな顔で幾度も相槌を打ちながら、真剣に耳を傾けた。
そして暫く考えてから慎重に口を開く。
「つまりはこういう事だな。故郷でこれまで通り迎え撃っていては、いつか悪夢が現実になる。そこでいっその事、これからは討って出ると……」
「そう……そうだ。ただ向こうは、恐らく女神に殉ずる手練れが数多くいるのだろう。それはもう喜んで命すら捧げる輩が。だから全く以って不本意だが、此方も戦力を増やす必要がある……」
「しかしそうは言っても、これまでの様に育てる様な時間はない。そこで傭兵シアンの元を訪れたと……」
もうヴァイロは下を向いていない。此方の目を真っ直ぐに見つめる無垢な瞳。
だからこそシアンにとっては、まるで刺された様に痛い。
とにかく退く事なく賢明な答えを探す。
「カノン、いや……大事な連中を守りたい。それは理解出来る。だがそれだけで此方から討って出るというのは、余りにも正義がなくはないか?」
負けじと強い視線で、正論を落ち着いて語るシアン。自ら淹れた珈琲をすする。
実は全く落ち着いてなどいないのだが、そこは少しだけ年長者の引出しで、リカバーを図る。
「ならば正義の話をしよう。昨日白昼堂々とエディウスは軍を率いて、ラファンの首都ディオルを神の名において制圧したっ!」
一気にヴァイロの口調が荒々しくなる。立ち上がってこそいないが、今にもシアンに食ってかかる勢いだ。
「な、何て事を……」
「奴は宣言したそうだ。『エディウスの名においてこのアドノスを統一し、平穏をもたらす』となっ、もう賽は投げられたんだよ……」
驚くシアンを見てヴァイロは口調を出来るだけ平静に引き戻そうと試みる。
交渉は押し通す処と、冷静のバランスを欠いてはならない事を彼は理解している。
「最早、カノンだけの問題ではなくなったのだ。それに………」
「ん?」
ヴァイロの顔に少し黒い影が浮かぶ。
「傭兵に限らず、戦をすれば経済が色々と動く。戦争をしたがっている貴族達。彼等はこの正義に殉ずる戦いに参画した者に、潤沢な報奨金を払うと約束した」
「お、愚かだそれは……お前、性根から暗黒神に堕ちるつもりか」
「俺だって望んじゃいないっ! だがカノンの連中は皆、疲弊しきっている。もしこの戦いの勝者がアドノスの実権を握れるのだとしたら……カノンの救世主になれるのなら俺は喜んで神を演じる」
ヴァイロの言葉にシアンは目頭を押さえ思わず天を仰ぐ。神という絶対的な力と、金という避けて通れない力。そこに竜まで加わった。
恐らくこの男自体、自らが踊らされてる自覚はあるのだろう。だけども転がる巨大な岩の様に、この流れを止める術は最早なさそうだ。
彼女は確かに元傭兵であった。これまでにも理不尽な戦いに幾度も関わっている。
しかもどこの加勢をしても、彼女は大変有能であった。
ただの一兵卒でなく、小隊の指揮を任せられる程、評価されていた。
けれど今の幸せを得るために、これまでの全てを……名前すら捨てた。夫こそ失ったが間に授かった3歳の男子がいる。
(今度は幸せの方を捨てねばならないのか……いや、必ず戻ってみせる)
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(せめて最初の襲撃の際に相談してくれたなら、秘密裏に動いて何とか……いや、これは驕りだな……)
シアンは諦めの大きな溜息を吐くと、顔つきが別人の様に変わった。
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