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あの《お食事》から一月近く経って、ここに来てから季節が一つ過ぎ去った。朝晩は冷え込むようになり、日中も半袖では肌寒く感じる。
仕事が一段落したエルナは、お仕着せから普段着のワンピースに着替え、街に来ていた。手紙を出すついでに、切れかけていた便箋やインクを買う為だ。
旦那様はお留守だが、今日は普通の夕食の準備があるから、お帰りになる前に帰らなくては。肩に掛けたショールを直しながらエルナは歩いた。
あの夜、エルナの食事を旦那様は最後まで手伝って下さった。そしてこう言った。
『今週の《食事》はもういい。・・・・今日の分でしばらくもつから』
言葉通り、その週は旦那様の部屋には行かなかったのだが、その最中に月のものが来てしまい、結局《お食事》が二週間以上空いた時期があった。
その時エルナが真っ赤な顔で、『月のものが・・・・』と、旦那様にお伝えしたのだが、
ごくごく変わらぬご様子で、『わかった』と、反応はそれだけだった。
そういった事を報告された普通の男性が、どのような反応を見せるのか、エルナは全くわからないが、そういうものなのだろうか。
お医者様だからなのかしら。それとも・・・・・吸血鬼だから、かしら。というか、その血は《食事》の対象にはならないの・・・・?
色々な疑問は先日の二週間ぶりの《お食事》で、有耶無耶になった。前回の強引さはなかったが、ゆっくりと、しかし一晩中、エルナは味わい尽くされた。
唐突に、《お食事》の最中の旦那様の官能的な表情や仕草が鮮やかに思い出されて、臍の下の辺りを中心に、身体中が熱を持つ。
耳に髪をかけながら、ほぅっと息を吐くその姿は艶を帯びていて、すれ違う男達が、ちらちらとその後姿を目で追いかけている。
そしてその中には、下卑た視線もあった。その視線を送ったある一組の男達が、にやにやと嫌な嗤いを顔に張りつけながら、エルナの後ろをついていく。
(もしかして、追いかけられている・・・・?)
エルナも早々に気がついたが、複数の男相手にどうする事もできず、背中に神経を集中させながら、急ぎ足で歩いていた。
男達との距離が詰まって、エルナが焦って角を曲がった時、正面から人とぶつかってしまった。
「きゃっ!ごめんなさっ・・・・」
「いえ、こちらこそ・・・・って、エルナさん?!」
見上げた先には、驚きで目を見張ったフランツが立っていた。
「・・・・ありがとうございました、フランツさん」
「いえいえ。ただ、気をつけてくださいね。人が多く集まる所には、不埒な事を考える奴らもいますから」
二人は今、通りに面したカフェのテラスで、同じお茶を飲んでいる。
男達は、エルナとぶつかった若い男が知り合いである事がわかると、口惜しそうにしながらも、何もせずに去っていった。結局、群れて何か悪事を働こうとする輩は、小物であるという事だろう。
エルナから事情を聞いたフランツが、人目の多い所で、もう少し様子を見ましょうと提案して、このカフェに入ったのだった。
「エルナさん、便箋を買いに来たって言ってましたよね。俺、良い店知ってるんで、もし良ければご案内します」
「まぁ、よろしいんですか?でも、お時間は・・・・・」
「大丈夫です大丈夫です!今日は午後休みで、何も予定が無くてぶらぶらしてただけなので」
フランツはぶんぶんと大きく首を振る。
「じゃあ、お願いします。あ、ではお礼に、ここは私が支払いを・・・・」
「いや俺が払いますよ!自分がここに誘ったんですから」
いやいや私が、いやいや俺がと何度もやり取りをして、結局お互い相手の分を出し合おうという結論になり、顔を見合わせて笑った。だって同じものを頼んだのだから、出す金額は同じにしかならない。
「ご馳走様でした」
「こちらこそ。じゃあ、行きましょうか」
歩いて十分程だというその店に向かって、二人は少し寄り道をしながら歩いた。美味しいと評判のパン屋、甘い味付けの胡桃を売るワゴン。明るい日のもとでの、気の置けない知り合いとの会話はエルナを自然と笑顔にさせた。
仲睦まじい二人を恋人と思う人間もいただろう。彼らにじっと視線を送る人物もその一人であった。その影は二人の背を見送ると、人々の行き交う街中に消えていった。
「すみません、すぐ近くだなんて言って。もう少しですから」
二人は寄り道をしながら来たので、たっぷり三十分は歩いている。
「いいえ、楽しいです。こんな風に楽しんで街中を歩いたのなんて、子どもの頃以来で」
「それは良かった。あ、あの、今度二人でまた・・・・・」
にっこりと笑うエルナの笑顔を見て、フランツは顔を赤くしながら、エルナをデートに誘おうとしたのだが、
「あっ!あのお店ですか?あのオレンジ色の看板!」
エルナはそれには気付かず、はしゃいだ声で道の先を指差した。フランツはがっくりと肩を落とす。
「は、はい、そうです。じゃあ、入りましょっか」
気を取り直すように、フランツがドアを引くと、取り付けてあった鐘が、カラン、カラン、と心地好い音を響かせた。
「まぁ・・・・・」
小さなお店だが、便箋のセットやインクの種類は豊富に揃っている。他にも可愛らしい小物が並べられ、特に窓辺に飾ってあるガラス細工に反射した日の光が、店内をキラキラと彩っているのが印象的だ。
「前に妹に教えてもらったんです。女の人はこういう所好きなんじゃないかと思って」
「はい、とっても素敵です」
しばらくはすっかり魅入って、小物を手に取っては眺めていたが、店内の時計がボーン、ボーンと大きな音を立て、エルナははっとなった。
「す、すみません!私夢中になってしまって・・・・」
「いいんですよ。妹もおんなじ感じでしたから」
フランツはからからと笑って、本当に気にしていないようだった。
エルナは無地の綺麗な若草色の便箋と、苺柄の便箋のセット、そしてガラス瓶のインクを一つ買った。初めて見る美しいガラスペンも気になったが、値が張ったのでやめておいた。
「フランツさん、今日はありがとうございました」
店を出て、エルナは改めてお礼を言った。結局彼は、せっかくの半休をエルナの為に費やしたのだ。
「今度また、昼食を食べていって下さいね。お好きなもの作りますから。・・・・いけない、もう帰らないと。旦那様がお帰りになるんです。ごめんなさい、フランツさん。またお屋敷で・・・・」
街の時計台を見ると、帰ろうと思っていた時間をとっくに過ぎていた。エルナは慌てて歩き出したが、
「エ、エルナさんっ!あの・・・・・・」
フランツがエルナを呼び止めた。振り返ると、彼は今まで見た中で一番真剣な顔で、身体の脇でぐっと手を握り締めていた。思わずエルナも胸の前で両手を握り締めた。彼の次の言葉が何となく伝わってきて。
「あの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
仕事が一段落したエルナは、お仕着せから普段着のワンピースに着替え、街に来ていた。手紙を出すついでに、切れかけていた便箋やインクを買う為だ。
旦那様はお留守だが、今日は普通の夕食の準備があるから、お帰りになる前に帰らなくては。肩に掛けたショールを直しながらエルナは歩いた。
あの夜、エルナの食事を旦那様は最後まで手伝って下さった。そしてこう言った。
『今週の《食事》はもういい。・・・・今日の分でしばらくもつから』
言葉通り、その週は旦那様の部屋には行かなかったのだが、その最中に月のものが来てしまい、結局《お食事》が二週間以上空いた時期があった。
その時エルナが真っ赤な顔で、『月のものが・・・・』と、旦那様にお伝えしたのだが、
ごくごく変わらぬご様子で、『わかった』と、反応はそれだけだった。
そういった事を報告された普通の男性が、どのような反応を見せるのか、エルナは全くわからないが、そういうものなのだろうか。
お医者様だからなのかしら。それとも・・・・・吸血鬼だから、かしら。というか、その血は《食事》の対象にはならないの・・・・?
色々な疑問は先日の二週間ぶりの《お食事》で、有耶無耶になった。前回の強引さはなかったが、ゆっくりと、しかし一晩中、エルナは味わい尽くされた。
唐突に、《お食事》の最中の旦那様の官能的な表情や仕草が鮮やかに思い出されて、臍の下の辺りを中心に、身体中が熱を持つ。
耳に髪をかけながら、ほぅっと息を吐くその姿は艶を帯びていて、すれ違う男達が、ちらちらとその後姿を目で追いかけている。
そしてその中には、下卑た視線もあった。その視線を送ったある一組の男達が、にやにやと嫌な嗤いを顔に張りつけながら、エルナの後ろをついていく。
(もしかして、追いかけられている・・・・?)
エルナも早々に気がついたが、複数の男相手にどうする事もできず、背中に神経を集中させながら、急ぎ足で歩いていた。
男達との距離が詰まって、エルナが焦って角を曲がった時、正面から人とぶつかってしまった。
「きゃっ!ごめんなさっ・・・・」
「いえ、こちらこそ・・・・って、エルナさん?!」
見上げた先には、驚きで目を見張ったフランツが立っていた。
「・・・・ありがとうございました、フランツさん」
「いえいえ。ただ、気をつけてくださいね。人が多く集まる所には、不埒な事を考える奴らもいますから」
二人は今、通りに面したカフェのテラスで、同じお茶を飲んでいる。
男達は、エルナとぶつかった若い男が知り合いである事がわかると、口惜しそうにしながらも、何もせずに去っていった。結局、群れて何か悪事を働こうとする輩は、小物であるという事だろう。
エルナから事情を聞いたフランツが、人目の多い所で、もう少し様子を見ましょうと提案して、このカフェに入ったのだった。
「エルナさん、便箋を買いに来たって言ってましたよね。俺、良い店知ってるんで、もし良ければご案内します」
「まぁ、よろしいんですか?でも、お時間は・・・・・」
「大丈夫です大丈夫です!今日は午後休みで、何も予定が無くてぶらぶらしてただけなので」
フランツはぶんぶんと大きく首を振る。
「じゃあ、お願いします。あ、ではお礼に、ここは私が支払いを・・・・」
「いや俺が払いますよ!自分がここに誘ったんですから」
いやいや私が、いやいや俺がと何度もやり取りをして、結局お互い相手の分を出し合おうという結論になり、顔を見合わせて笑った。だって同じものを頼んだのだから、出す金額は同じにしかならない。
「ご馳走様でした」
「こちらこそ。じゃあ、行きましょうか」
歩いて十分程だというその店に向かって、二人は少し寄り道をしながら歩いた。美味しいと評判のパン屋、甘い味付けの胡桃を売るワゴン。明るい日のもとでの、気の置けない知り合いとの会話はエルナを自然と笑顔にさせた。
仲睦まじい二人を恋人と思う人間もいただろう。彼らにじっと視線を送る人物もその一人であった。その影は二人の背を見送ると、人々の行き交う街中に消えていった。
「すみません、すぐ近くだなんて言って。もう少しですから」
二人は寄り道をしながら来たので、たっぷり三十分は歩いている。
「いいえ、楽しいです。こんな風に楽しんで街中を歩いたのなんて、子どもの頃以来で」
「それは良かった。あ、あの、今度二人でまた・・・・・」
にっこりと笑うエルナの笑顔を見て、フランツは顔を赤くしながら、エルナをデートに誘おうとしたのだが、
「あっ!あのお店ですか?あのオレンジ色の看板!」
エルナはそれには気付かず、はしゃいだ声で道の先を指差した。フランツはがっくりと肩を落とす。
「は、はい、そうです。じゃあ、入りましょっか」
気を取り直すように、フランツがドアを引くと、取り付けてあった鐘が、カラン、カラン、と心地好い音を響かせた。
「まぁ・・・・・」
小さなお店だが、便箋のセットやインクの種類は豊富に揃っている。他にも可愛らしい小物が並べられ、特に窓辺に飾ってあるガラス細工に反射した日の光が、店内をキラキラと彩っているのが印象的だ。
「前に妹に教えてもらったんです。女の人はこういう所好きなんじゃないかと思って」
「はい、とっても素敵です」
しばらくはすっかり魅入って、小物を手に取っては眺めていたが、店内の時計がボーン、ボーンと大きな音を立て、エルナははっとなった。
「す、すみません!私夢中になってしまって・・・・」
「いいんですよ。妹もおんなじ感じでしたから」
フランツはからからと笑って、本当に気にしていないようだった。
エルナは無地の綺麗な若草色の便箋と、苺柄の便箋のセット、そしてガラス瓶のインクを一つ買った。初めて見る美しいガラスペンも気になったが、値が張ったのでやめておいた。
「フランツさん、今日はありがとうございました」
店を出て、エルナは改めてお礼を言った。結局彼は、せっかくの半休をエルナの為に費やしたのだ。
「今度また、昼食を食べていって下さいね。お好きなもの作りますから。・・・・いけない、もう帰らないと。旦那様がお帰りになるんです。ごめんなさい、フランツさん。またお屋敷で・・・・」
街の時計台を見ると、帰ろうと思っていた時間をとっくに過ぎていた。エルナは慌てて歩き出したが、
「エ、エルナさんっ!あの・・・・・・」
フランツがエルナを呼び止めた。振り返ると、彼は今まで見た中で一番真剣な顔で、身体の脇でぐっと手を握り締めていた。思わずエルナも胸の前で両手を握り締めた。彼の次の言葉が何となく伝わってきて。
「あの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
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