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夜中に目を覚ますと、旦那様の姿はなかった。きっとまた、庭に出ていらっしゃるのだろう。
カーテンの隙間から外を覗くと、案の定旦那様は庭にいて、ベンチに座って本を開いていた。
咲き誇る薔薇に囲まれ、月明かりに照らされるその人の美しさは、天上の神々でさえ嫉妬するだろう。
旦那様が夜ああやって庭に出るのには理由があった。
『人間が健康を保つには、ある程度太陽光を浴びる必要がある。一説にはそれによって栄養素の一つを体内で生成しているらしいが。そして我々は、月光を浴びる事で生命を保つ事ができる。・・・・・それがどうしてなのか、詳しい事はまだわかっていないがね』
前回の《お食事》のあと、旦那様はそうお話して、その間私はぐったりと裸のまま、ベッドから起き上がれずにいた。そんな私とは対照的に、旦那様の服は一切乱れていない。
旦那様は服を脱いだ事がなかった。つまり、一度もエルナを最後まで抱いてはいない。エルナは、男性がそういった衝動を抑えるのは難しいのだと聞いた事があったのだが。
正直、二回目はかなりの覚悟をして旦那様の部屋に向かった。手足が震え、心臓も早鐘を打っていた事を鮮明に覚えている。しかしその不安は杞憂に終わった。
旦那様の場合は《食事》が目的だから、そういう衝動はないのかもしれない。
エルナはそっと目を離し、衣服を整えて部屋をあとにした。
朝になると、エルナは再び仕事着に着替えて台所で朝食を済ませ、洗濯をする。そして一旦お茶の準備をして、旦那様のお部屋に持っていく。
「旦那様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
お茶を飲み終わった旦那様のお出掛けを見送って、屋敷の掃除をする。
私達は《食事》について何も言わない。ただ淡々と、前と変わらぬ日常を送っている。
午後、エルナは部屋で出掛ける準備をしていた。今日は庭師も商人も来る予定はなかったので、イザベラへ手紙を出そうと思ったのだ。
「ごめんくださーい」
そこへ、若い男性の声が聞こえた。ここへは滅多に訪問客などやってこないのに。
(もしかして郵便配達の人かしら。だったら、手紙を持っていってもらおう)
結い直そうと解いていた髪を軽くリボンでまとめて、エルナは出そうと思っていた手紙を手に階段を下りた。
「すみませ、」
「ごめんなさい、遅くなって・・・・・?」
裏口には、両手に木箱を抱えた青年が立っていた。郵便配達員ではなさそうだ。
「あの、どちら様で・・・・」
「食料の配達に来ました。アッカーマン様のお屋敷ですよね?」
「??・・・・あ、もしかして・・・・・・」
見覚えのある帽子だと思ったら、出入りの商人がいつも被っているのと同じ帽子だ。
「そうです。すみません、親父が腰を痛めてしまって、俺がその分の配達も回ってるんです。アッカーマン様のお屋敷は明日の予定だったんですけど、ちょうど今日はこっちの方に他の配達があったもんですから」
帽子を取って、にこにこと笑いながら頭を下げる。こう言ってはなんだが、無愛想な父親とはあまり似ていない。
「そうでしたか、ありがとうございます。お代を・・・・・」
「中まで運びますよ。今日はちょっと重いですから」
「いえそんな・・・・」
「女の人に持たせられませんよ。ねっ」
ちょっとボサッとした赤毛とにこにことした笑顔は、何だか元気な子犬を思わせて、エルナはつられて笑ってしまった。
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・・。お願いします」
「・・・・よっと。ここで、大丈夫ですか?」
木箱の中には加工肉の他にじゃが芋や玉葱が入っていて、確かにエルナだけでは一度で運べなさそうだった。
「はい、ありがとうございます。助かりました」
「発注書見たんですけど、今の配達の頻度で足りてますか?小さなお屋敷でも、普通ならもう少し・・・・」
「大丈夫です。旦那様と私だけですし、旦那様は・・・・外で、お済ませになる事も多いので」
嘘を吐き慣れていなくて、エルナは少し後ろめたい気持ちになった。
そういえば、こうやって私で《食事》をするようになる前は、どうしていたのだろう。
前職のメイドも庭師達と一緒で態度が余所余所しく、高齢でもあったし、《食事》のお世話はしていなかっただろうと思う。
では、「外で」というのは嘘ではなく、本当にそういう意味だったのだろうか。
美しく、華やかな女性を抱いて、その喉笛に噛みつく旦那様の姿が頭を掠め、エルナはぎゅっと手を握り締めた。
「あのっ」
「は、はいっ。何でしょう?」
いけない、ぼんやりとしていた。エルナは慌てて顔を上げた。青年は赤い髪と同じくらい顔を真っ赤にして、言った。
「あの、名前を教えてください!これからしばらくは俺が配達に来るし・・・・。あっ、すいません、俺フランツって言います!」
年の頃は二十代中頃だろうか。男性からこんな風に好意を示されるのは、初めてではないけれど久しぶりで、何だか少し面映ゆい。
「・・・・エルナ・フィッシャーです。よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします、エルナさん」
彼はエルナが持つ手紙に気付いて、郵便局に持っていくと言ってくれた。エルナはそれに甘えて、お礼を言った。
何度も振り返り、腕を大きく振りながら帰っていった。そんな様子をエルナはクスクスと笑いながら見送った。
旦那様の《食事》のお世話をするようになって、笑ったのはこれが初めてだなと後から気づいた。
カーテンの隙間から外を覗くと、案の定旦那様は庭にいて、ベンチに座って本を開いていた。
咲き誇る薔薇に囲まれ、月明かりに照らされるその人の美しさは、天上の神々でさえ嫉妬するだろう。
旦那様が夜ああやって庭に出るのには理由があった。
『人間が健康を保つには、ある程度太陽光を浴びる必要がある。一説にはそれによって栄養素の一つを体内で生成しているらしいが。そして我々は、月光を浴びる事で生命を保つ事ができる。・・・・・それがどうしてなのか、詳しい事はまだわかっていないがね』
前回の《お食事》のあと、旦那様はそうお話して、その間私はぐったりと裸のまま、ベッドから起き上がれずにいた。そんな私とは対照的に、旦那様の服は一切乱れていない。
旦那様は服を脱いだ事がなかった。つまり、一度もエルナを最後まで抱いてはいない。エルナは、男性がそういった衝動を抑えるのは難しいのだと聞いた事があったのだが。
正直、二回目はかなりの覚悟をして旦那様の部屋に向かった。手足が震え、心臓も早鐘を打っていた事を鮮明に覚えている。しかしその不安は杞憂に終わった。
旦那様の場合は《食事》が目的だから、そういう衝動はないのかもしれない。
エルナはそっと目を離し、衣服を整えて部屋をあとにした。
朝になると、エルナは再び仕事着に着替えて台所で朝食を済ませ、洗濯をする。そして一旦お茶の準備をして、旦那様のお部屋に持っていく。
「旦那様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
お茶を飲み終わった旦那様のお出掛けを見送って、屋敷の掃除をする。
私達は《食事》について何も言わない。ただ淡々と、前と変わらぬ日常を送っている。
午後、エルナは部屋で出掛ける準備をしていた。今日は庭師も商人も来る予定はなかったので、イザベラへ手紙を出そうと思ったのだ。
「ごめんくださーい」
そこへ、若い男性の声が聞こえた。ここへは滅多に訪問客などやってこないのに。
(もしかして郵便配達の人かしら。だったら、手紙を持っていってもらおう)
結い直そうと解いていた髪を軽くリボンでまとめて、エルナは出そうと思っていた手紙を手に階段を下りた。
「すみませ、」
「ごめんなさい、遅くなって・・・・・?」
裏口には、両手に木箱を抱えた青年が立っていた。郵便配達員ではなさそうだ。
「あの、どちら様で・・・・」
「食料の配達に来ました。アッカーマン様のお屋敷ですよね?」
「??・・・・あ、もしかして・・・・・・」
見覚えのある帽子だと思ったら、出入りの商人がいつも被っているのと同じ帽子だ。
「そうです。すみません、親父が腰を痛めてしまって、俺がその分の配達も回ってるんです。アッカーマン様のお屋敷は明日の予定だったんですけど、ちょうど今日はこっちの方に他の配達があったもんですから」
帽子を取って、にこにこと笑いながら頭を下げる。こう言ってはなんだが、無愛想な父親とはあまり似ていない。
「そうでしたか、ありがとうございます。お代を・・・・・」
「中まで運びますよ。今日はちょっと重いですから」
「いえそんな・・・・」
「女の人に持たせられませんよ。ねっ」
ちょっとボサッとした赤毛とにこにことした笑顔は、何だか元気な子犬を思わせて、エルナはつられて笑ってしまった。
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・・。お願いします」
「・・・・よっと。ここで、大丈夫ですか?」
木箱の中には加工肉の他にじゃが芋や玉葱が入っていて、確かにエルナだけでは一度で運べなさそうだった。
「はい、ありがとうございます。助かりました」
「発注書見たんですけど、今の配達の頻度で足りてますか?小さなお屋敷でも、普通ならもう少し・・・・」
「大丈夫です。旦那様と私だけですし、旦那様は・・・・外で、お済ませになる事も多いので」
嘘を吐き慣れていなくて、エルナは少し後ろめたい気持ちになった。
そういえば、こうやって私で《食事》をするようになる前は、どうしていたのだろう。
前職のメイドも庭師達と一緒で態度が余所余所しく、高齢でもあったし、《食事》のお世話はしていなかっただろうと思う。
では、「外で」というのは嘘ではなく、本当にそういう意味だったのだろうか。
美しく、華やかな女性を抱いて、その喉笛に噛みつく旦那様の姿が頭を掠め、エルナはぎゅっと手を握り締めた。
「あのっ」
「は、はいっ。何でしょう?」
いけない、ぼんやりとしていた。エルナは慌てて顔を上げた。青年は赤い髪と同じくらい顔を真っ赤にして、言った。
「あの、名前を教えてください!これからしばらくは俺が配達に来るし・・・・。あっ、すいません、俺フランツって言います!」
年の頃は二十代中頃だろうか。男性からこんな風に好意を示されるのは、初めてではないけれど久しぶりで、何だか少し面映ゆい。
「・・・・エルナ・フィッシャーです。よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします、エルナさん」
彼はエルナが持つ手紙に気付いて、郵便局に持っていくと言ってくれた。エルナはそれに甘えて、お礼を言った。
何度も振り返り、腕を大きく振りながら帰っていった。そんな様子をエルナはクスクスと笑いながら見送った。
旦那様の《食事》のお世話をするようになって、笑ったのはこれが初めてだなと後から気づいた。
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