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第三章 柳澤の章
第59話 真実2
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「……らぬ」
「父上?」
「正当に評価されて育ったそなたにはわからぬ」
「何を仰せですか父上、父上の水上運輸事業の評価は高く、木槿山でその功績を知らぬ者なしと言われておるのをご存知ないとは申されまい。この勝宜、父上を誇りに思うておりまする」
「違うのだ、勝宜」
「何が違うのです!」
「評価する人間が違うのだ、勝宜殿」
唐突に月守が割り込んだ。それまで地蔵のように微動だにせず、一言も発しなかっただけに、そこにいた全員が息を詰めた。
本間だけが「不動が動いたか」と口の端で笑った。
「十郎太殿、このときのために勝孝殿に仕え続けてきたのではないのか。幼き頃よりずっと勝孝殿の側で勝孝殿を見てきたそなたにしか言えぬことがある」
――なぜ勝孝殿に仕えている?――
月守は、あのとき河原で十郎太に見せた目と同じ目をしていた。
十郎太が躊躇っていると、月守は隣に座る勝宜に視線を投げた。
「勝宜殿は剣術はどなたに稽古をつけて貰ったのですか」
「父上です」
若者は真一文字に引き結んだ唇をほどいてきっぱりと言った。
「私は剣術に関しては素人です。刀を持ったこともございません。ところで勝宜殿は大変剣に優れておいでだと聞き及んでおります」
何の話が始まったのかと周りが固唾を飲んで見守る中、月守は柔らかい空気を纏いながら言葉を継いだ。
「勝宜様は素人の私に剣の腕を褒められるのと、師匠である御父上殿に褒められるのは、どちらが喜ばしく感じられますか」
「それは……月守殿には失礼ながら、師匠である父に。それが何か」
月守が勝孝に向き直ると、勝孝は「もう良い」と言った。
「良いわけがありませぬ。父上、どういうことなのです?」
「もう良いと言うておる」
「父上! 何が良いのですか! 無関係の狐杜殿をかどわかしたのですぞ!」
「勝宜さま、勝孝様の仰せのとおりにございます」
「十郎太?」
「正当に評価されて育った勝宜さまにはわかり申さぬ。勝孝さまは、本当は柳澤の継承も、城も、何も要らなかった。そんなものはどうでもよかった。柳澤の跡目など、萩姫さまでも桔梗丸さまでも良かった。ただ、ただ正当に、孝平さまに正当に評価して欲しかっただけなのでございます。木槿山の民ではなく、御父上の孝平さまに」
勝宜は「そんなこと」とだけ呟いて黙りこくった。
「そんなことで済むようなことではござらん。勝孝さまの尋常ならざる努力を某は存じ上げておりまする。現に御父上の孝平さまも兄上の繁孝さまも、勝孝さまの剣にはどう足搔いても敵わなかった。木槿山では本間さまに次ぐ剣豪となられた。水運事業とて同じこと。本来孝平さまの代でやるべきことを先延ばしにしたために、木槿山はいつまでも商業的に開かれることがなかった、その物流を整備したのは勝孝さまです。でも孝平さまはそれを評価されなかった」
「しかし、評価などされずとも日々努力するのが我々の勤めに――」
「勝宜様はお一人ゆえにわからぬのです!」
十郎太が勝宜を遮った。だが、それを咎める者はいなかった。
「常に側に兄がいて、明らかに兄より努力し、兄より成果を出しているにもかかわらず、柳澤の跡目の話になると端から関係ないかの如く名すら出てこない。孝平さまに勝孝さまという選択肢が最初から備わっておられなかったのです。それがどういう事かお判りか。存在を否定されているも同じなのですぞ。実の親に存在を否定され続ける気持ちを考えたことがおありか!」
そこまで一気に吐き出した十郎太は、唐突に畳の上にくずおれた。
「それゆえに、それゆえに某は、勝孝さまのお側で勝孝さまを支えて行こうと思うておりました。お末の方が嫁がれた暁には、お二人をお支え致す所存にござりました。だが――」
のろのろと顔を上げた十郎太の目は、勝孝をまっすぐにとらえた。
「最初の姫を抱いて雪の中を歩くうち、勝孝さまへの想いは憎しみに変わった。存在を否定される苦しみを誰よりもよく知っているはずの勝孝さまが、姫の存在を否定した、それが許せなかったのでございます」
「それならなぜあの時、儂を捨てて出て行かなかったのだ」
「憎んでも憎んでも……嫌うことができなかったからにございます」
十郎太の手元に一粒の涙が落ちた。
「某はずっと勝孝さまと一緒に育って参りました。どれほどに憎んでも、勝孝さまを大切に思うておるのです。兄のように慕うておるのです。お末が嫁ぐときも、姫を雪の中に置いてくるときも、某は何も言えなかった。言えなかったのならば同罪にございます。勝孝さまを憎む権利は某には無い。姫を想いながら、一生懺悔して生きて行かねばならぬのです」
「その必要はない」
「月守殿には黙っていて貰いたい。これは某の問題」
「姫なら死んでおらぬ。ゆえに必要が無いと申しておるのだ」
「父上?」
「正当に評価されて育ったそなたにはわからぬ」
「何を仰せですか父上、父上の水上運輸事業の評価は高く、木槿山でその功績を知らぬ者なしと言われておるのをご存知ないとは申されまい。この勝宜、父上を誇りに思うておりまする」
「違うのだ、勝宜」
「何が違うのです!」
「評価する人間が違うのだ、勝宜殿」
唐突に月守が割り込んだ。それまで地蔵のように微動だにせず、一言も発しなかっただけに、そこにいた全員が息を詰めた。
本間だけが「不動が動いたか」と口の端で笑った。
「十郎太殿、このときのために勝孝殿に仕え続けてきたのではないのか。幼き頃よりずっと勝孝殿の側で勝孝殿を見てきたそなたにしか言えぬことがある」
――なぜ勝孝殿に仕えている?――
月守は、あのとき河原で十郎太に見せた目と同じ目をしていた。
十郎太が躊躇っていると、月守は隣に座る勝宜に視線を投げた。
「勝宜殿は剣術はどなたに稽古をつけて貰ったのですか」
「父上です」
若者は真一文字に引き結んだ唇をほどいてきっぱりと言った。
「私は剣術に関しては素人です。刀を持ったこともございません。ところで勝宜殿は大変剣に優れておいでだと聞き及んでおります」
何の話が始まったのかと周りが固唾を飲んで見守る中、月守は柔らかい空気を纏いながら言葉を継いだ。
「勝宜様は素人の私に剣の腕を褒められるのと、師匠である御父上殿に褒められるのは、どちらが喜ばしく感じられますか」
「それは……月守殿には失礼ながら、師匠である父に。それが何か」
月守が勝孝に向き直ると、勝孝は「もう良い」と言った。
「良いわけがありませぬ。父上、どういうことなのです?」
「もう良いと言うておる」
「父上! 何が良いのですか! 無関係の狐杜殿をかどわかしたのですぞ!」
「勝宜さま、勝孝様の仰せのとおりにございます」
「十郎太?」
「正当に評価されて育った勝宜さまにはわかり申さぬ。勝孝さまは、本当は柳澤の継承も、城も、何も要らなかった。そんなものはどうでもよかった。柳澤の跡目など、萩姫さまでも桔梗丸さまでも良かった。ただ、ただ正当に、孝平さまに正当に評価して欲しかっただけなのでございます。木槿山の民ではなく、御父上の孝平さまに」
勝宜は「そんなこと」とだけ呟いて黙りこくった。
「そんなことで済むようなことではござらん。勝孝さまの尋常ならざる努力を某は存じ上げておりまする。現に御父上の孝平さまも兄上の繁孝さまも、勝孝さまの剣にはどう足搔いても敵わなかった。木槿山では本間さまに次ぐ剣豪となられた。水運事業とて同じこと。本来孝平さまの代でやるべきことを先延ばしにしたために、木槿山はいつまでも商業的に開かれることがなかった、その物流を整備したのは勝孝さまです。でも孝平さまはそれを評価されなかった」
「しかし、評価などされずとも日々努力するのが我々の勤めに――」
「勝宜様はお一人ゆえにわからぬのです!」
十郎太が勝宜を遮った。だが、それを咎める者はいなかった。
「常に側に兄がいて、明らかに兄より努力し、兄より成果を出しているにもかかわらず、柳澤の跡目の話になると端から関係ないかの如く名すら出てこない。孝平さまに勝孝さまという選択肢が最初から備わっておられなかったのです。それがどういう事かお判りか。存在を否定されているも同じなのですぞ。実の親に存在を否定され続ける気持ちを考えたことがおありか!」
そこまで一気に吐き出した十郎太は、唐突に畳の上にくずおれた。
「それゆえに、それゆえに某は、勝孝さまのお側で勝孝さまを支えて行こうと思うておりました。お末の方が嫁がれた暁には、お二人をお支え致す所存にござりました。だが――」
のろのろと顔を上げた十郎太の目は、勝孝をまっすぐにとらえた。
「最初の姫を抱いて雪の中を歩くうち、勝孝さまへの想いは憎しみに変わった。存在を否定される苦しみを誰よりもよく知っているはずの勝孝さまが、姫の存在を否定した、それが許せなかったのでございます」
「それならなぜあの時、儂を捨てて出て行かなかったのだ」
「憎んでも憎んでも……嫌うことができなかったからにございます」
十郎太の手元に一粒の涙が落ちた。
「某はずっと勝孝さまと一緒に育って参りました。どれほどに憎んでも、勝孝さまを大切に思うておるのです。兄のように慕うておるのです。お末が嫁ぐときも、姫を雪の中に置いてくるときも、某は何も言えなかった。言えなかったのならば同罪にございます。勝孝さまを憎む権利は某には無い。姫を想いながら、一生懺悔して生きて行かねばならぬのです」
「その必要はない」
「月守殿には黙っていて貰いたい。これは某の問題」
「姫なら死んでおらぬ。ゆえに必要が無いと申しておるのだ」
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