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第三章 柳澤の章
第54話 勝孝と十郎太7
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勝孝は生まれた子供に勝宜と名付けた。柳澤に代々伝わる『孝』の字を使わず、敢えて『勝』を使った。父と兄に対する挑戦のつもりだった。
――柳澤の家は腰抜けばかりで誰も大きなことに挑戦しようとしない。弱い者には優しいが、町全体の利益を優先する気がない。自分は父や兄とは違う。町が潤えばそこに住む人々の生活水準が上がる。多少の犠牲は仕方ない――そう考えていた勝孝はお末亡きあと、後妻も取らず仕事に打ち込んだ。
未だ懐妊の兆しもない兄夫婦よりも数歩先を行こうと気ばかり焦っていた。
そんな勝孝の事情を知らない周囲の人間は、そうは受け取らなかった。勝孝がお末を想い、また大船屋に義理立てして、後妻を娶らないのだと見ていた。
勝孝は肯定も否定もしなかった。そう思いたいのなら思わせておけばいい。そのお陰で勝孝はすこぶる評判が良かった。
勝宜が二歳になるころ、お初が懐妊した。
勝孝は焦った。もしもお初の子が男子ならば、そのまま柳澤は兄の繁孝からその子へと引き継がれることになる。父の孝平は相変わらず長子が家を継ぐのが当たり前だと決めつけていて、それ以外の可能性など最初から選択肢にないらしい。
何としても兄の子が生まれるまでに、この流れをひっくり返すほどの大きな成果を上げておきたかった。
それでももし間に合わなければ、兄の子を殺すまでだ。
今回は自分の子ではなく兄の子だ、そう簡単には事は進むまいと考えた勝孝は、十郎太に殺し屋の手配を命じた。
だが、これに十郎太は反発した。恐らく勝孝に仕えて初めてだったであろう。それゆえに勝孝も十郎太もこの時のことは今でも鮮明に覚えている。
そう、この時十郎太は間髪おかずに「できませぬ」と言ったのだ。それまではどんな無理難題であっても拒否しなかった。「承知」以外の選択肢が存在しなかったのだ。
だからこそ、この「できませぬ」はそれまでの二人の関係に一石を投じることになった。
この時、何ゆえにできぬのかと問う勝孝に対し、十郎太は「女子供に手を出すなど言語道断、御父上孝平さまも弱きものを助けよと仰せだったはず」ときっぱり返した。
自ら手を下さずとも殺し屋を手配するならば同じ事だ。否、自分の手を汚さずに他人の手を使うのは更に卑怯だ。
ところが何を思ったのか勝孝は怒るでも落胆するでもなく、ただ「そうか、それなら良い」と引き下がった。
あまりにも呆気なかったので十郎太が逆に居心地が悪かった。
勝孝が何を考えているのかさっぱりわからない。今は一旦引き下がり、お初の出産が近くなってから準備するということか。
今思えば勝孝は十郎太に落胆したのかもしれない。腹心と信じていた十郎太までもが孝平と同じことを言ったのだ。がっかりしたとしても不思議ではない。
それ以来、勝孝は繁孝の子について一切話さなかった。ただひたすらに自分の成果を上げようと浪太郎と共に基盤の整備に勤しんだ。
十郎太も勝孝が事業に専念するのを見て安心していた。
季節は巡り、萩の花が咲くころにお初の方が産気づいたと連絡が入った。十郎太は気が気ではなかったが、なぜか勝孝は全く気にしていないようだった。
その様子が逆に不気味ですらあった。
あれほどピリピリしていた勝孝がまるで気に留めない。あたかも繁孝の子がこの世に存在しないかのように。
生まれた子は女子だった。萩の季節に生まれたという事で萩姫と名付けたと、繁孝自ら弟のところへと報告に来た。十郎太も側に控えて話を聞いていたが、兄は驚くべきことを言ったのである。「何者かの刺客が姫の命を狙いに来た」と。
お初の方が姫を抱いていると、刺客が音もなく庭から現れ、素早い動きでお初の方に迫ったらしい。だがちょうど部屋の隅に本間帯刀がおり、すんでのところで刺客を返り討ちにしたとのことだった。
「家老がいて良かった」と何の疑惑も持たずに笑顔で話す繁孝を見ながら、十郎太は勝孝への疑惑を膨らませた。
勝孝は「それは災難でしたな。しかし姫がご無事で何より。本間殿がいれば兄上も安心でしょう」と当たり前のように返したが、そんな彼を見る目が繁孝と自分では正反対であることに十郎太は気づいた。
兄は弟を全く疑っていない。家臣の十郎太が怪しんでいるというのに。いったいどこまでお人好しなのだろうか。勝孝が我が子を女子という理由で亡き者にする男なのだと、十郎太は忠告すらしてやりたかった。
だが、そこまで考えて、はたと思い直した。繁孝はそこまで危機感の欠落した男だっただろうか?
繁孝はよく町に下りて庶民の暮らしを観察し、問題点を拾い上げてはそれを政に還元している。ただの呆けたのんびり屋ではない。
とすると、勝孝の仕業であることを知っていて、自らこうして報告し、刺客の話を出して弟の反応を見ているのではないか?
もしもこの二人が兄弟で『狐と狸の化かし合い』を演じているのなら、どちらが上と言えるのだろうか。
十郎太は何者をも信じられなくなっていた。そもそもこんなところでは誰かを信じること自体が間違いなのかもしれない。
そんなことを十郎太が考えていると、繁孝が思い出したように付け加えた。
「姫を狙った刺客はなかなかに腕の立つ殺し屋だった。あの帯刀の刀を返したらしい。勝宜も気をつけられよ」
――――! あの『木槿山最強』と言われた本間帯刀の刀を返しただと?
それだけでも驚嘆に値するが、「勝宜も気をつけられよ」とはどういう意味か。
そのまま素直に受け取れば、「何者かが今年三つになったばかりの勝宜を狙ってくるかもしれない、しかもかなり腕の立つ殺し屋だから気をつけてやれ」ということだろう。
だが。
もしもその殺し屋を本間帯刀が返り討ちにし、命を助けたうえで「勝宜を狙え」と新たな指令を下したと考えれば宣戦布告である。
十郎太は余計なことを考えないようにと、自ら肝に銘じた。疑心暗鬼を生むとはこのことを言うのだ。吞まれてはならない。
萩姫暗殺未遂事件があってからというもの、兄弟それぞれの屋敷で警備が厳重になり、刺客も迂闊に近寄れないようになった。十郎太としては余計な心配ごとが減って肩の荷が少しだけ下りた。
ただ、萩姫を襲ったのが本当に勝孝なのか別の誰かなのかは結局わからずじまいであり、勝孝本人に訊くのも躊躇われた。
――柳澤の家は腰抜けばかりで誰も大きなことに挑戦しようとしない。弱い者には優しいが、町全体の利益を優先する気がない。自分は父や兄とは違う。町が潤えばそこに住む人々の生活水準が上がる。多少の犠牲は仕方ない――そう考えていた勝孝はお末亡きあと、後妻も取らず仕事に打ち込んだ。
未だ懐妊の兆しもない兄夫婦よりも数歩先を行こうと気ばかり焦っていた。
そんな勝孝の事情を知らない周囲の人間は、そうは受け取らなかった。勝孝がお末を想い、また大船屋に義理立てして、後妻を娶らないのだと見ていた。
勝孝は肯定も否定もしなかった。そう思いたいのなら思わせておけばいい。そのお陰で勝孝はすこぶる評判が良かった。
勝宜が二歳になるころ、お初が懐妊した。
勝孝は焦った。もしもお初の子が男子ならば、そのまま柳澤は兄の繁孝からその子へと引き継がれることになる。父の孝平は相変わらず長子が家を継ぐのが当たり前だと決めつけていて、それ以外の可能性など最初から選択肢にないらしい。
何としても兄の子が生まれるまでに、この流れをひっくり返すほどの大きな成果を上げておきたかった。
それでももし間に合わなければ、兄の子を殺すまでだ。
今回は自分の子ではなく兄の子だ、そう簡単には事は進むまいと考えた勝孝は、十郎太に殺し屋の手配を命じた。
だが、これに十郎太は反発した。恐らく勝孝に仕えて初めてだったであろう。それゆえに勝孝も十郎太もこの時のことは今でも鮮明に覚えている。
そう、この時十郎太は間髪おかずに「できませぬ」と言ったのだ。それまではどんな無理難題であっても拒否しなかった。「承知」以外の選択肢が存在しなかったのだ。
だからこそ、この「できませぬ」はそれまでの二人の関係に一石を投じることになった。
この時、何ゆえにできぬのかと問う勝孝に対し、十郎太は「女子供に手を出すなど言語道断、御父上孝平さまも弱きものを助けよと仰せだったはず」ときっぱり返した。
自ら手を下さずとも殺し屋を手配するならば同じ事だ。否、自分の手を汚さずに他人の手を使うのは更に卑怯だ。
ところが何を思ったのか勝孝は怒るでも落胆するでもなく、ただ「そうか、それなら良い」と引き下がった。
あまりにも呆気なかったので十郎太が逆に居心地が悪かった。
勝孝が何を考えているのかさっぱりわからない。今は一旦引き下がり、お初の出産が近くなってから準備するということか。
今思えば勝孝は十郎太に落胆したのかもしれない。腹心と信じていた十郎太までもが孝平と同じことを言ったのだ。がっかりしたとしても不思議ではない。
それ以来、勝孝は繁孝の子について一切話さなかった。ただひたすらに自分の成果を上げようと浪太郎と共に基盤の整備に勤しんだ。
十郎太も勝孝が事業に専念するのを見て安心していた。
季節は巡り、萩の花が咲くころにお初の方が産気づいたと連絡が入った。十郎太は気が気ではなかったが、なぜか勝孝は全く気にしていないようだった。
その様子が逆に不気味ですらあった。
あれほどピリピリしていた勝孝がまるで気に留めない。あたかも繁孝の子がこの世に存在しないかのように。
生まれた子は女子だった。萩の季節に生まれたという事で萩姫と名付けたと、繁孝自ら弟のところへと報告に来た。十郎太も側に控えて話を聞いていたが、兄は驚くべきことを言ったのである。「何者かの刺客が姫の命を狙いに来た」と。
お初の方が姫を抱いていると、刺客が音もなく庭から現れ、素早い動きでお初の方に迫ったらしい。だがちょうど部屋の隅に本間帯刀がおり、すんでのところで刺客を返り討ちにしたとのことだった。
「家老がいて良かった」と何の疑惑も持たずに笑顔で話す繁孝を見ながら、十郎太は勝孝への疑惑を膨らませた。
勝孝は「それは災難でしたな。しかし姫がご無事で何より。本間殿がいれば兄上も安心でしょう」と当たり前のように返したが、そんな彼を見る目が繁孝と自分では正反対であることに十郎太は気づいた。
兄は弟を全く疑っていない。家臣の十郎太が怪しんでいるというのに。いったいどこまでお人好しなのだろうか。勝孝が我が子を女子という理由で亡き者にする男なのだと、十郎太は忠告すらしてやりたかった。
だが、そこまで考えて、はたと思い直した。繁孝はそこまで危機感の欠落した男だっただろうか?
繁孝はよく町に下りて庶民の暮らしを観察し、問題点を拾い上げてはそれを政に還元している。ただの呆けたのんびり屋ではない。
とすると、勝孝の仕業であることを知っていて、自らこうして報告し、刺客の話を出して弟の反応を見ているのではないか?
もしもこの二人が兄弟で『狐と狸の化かし合い』を演じているのなら、どちらが上と言えるのだろうか。
十郎太は何者をも信じられなくなっていた。そもそもこんなところでは誰かを信じること自体が間違いなのかもしれない。
そんなことを十郎太が考えていると、繁孝が思い出したように付け加えた。
「姫を狙った刺客はなかなかに腕の立つ殺し屋だった。あの帯刀の刀を返したらしい。勝宜も気をつけられよ」
――――! あの『木槿山最強』と言われた本間帯刀の刀を返しただと?
それだけでも驚嘆に値するが、「勝宜も気をつけられよ」とはどういう意味か。
そのまま素直に受け取れば、「何者かが今年三つになったばかりの勝宜を狙ってくるかもしれない、しかもかなり腕の立つ殺し屋だから気をつけてやれ」ということだろう。
だが。
もしもその殺し屋を本間帯刀が返り討ちにし、命を助けたうえで「勝宜を狙え」と新たな指令を下したと考えれば宣戦布告である。
十郎太は余計なことを考えないようにと、自ら肝に銘じた。疑心暗鬼を生むとはこのことを言うのだ。吞まれてはならない。
萩姫暗殺未遂事件があってからというもの、兄弟それぞれの屋敷で警備が厳重になり、刺客も迂闊に近寄れないようになった。十郎太としては余計な心配ごとが減って肩の荷が少しだけ下りた。
ただ、萩姫を襲ったのが本当に勝孝なのか別の誰かなのかは結局わからずじまいであり、勝孝本人に訊くのも躊躇われた。
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