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第二章 木槿山の章
第40話 協力者1
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狐杜の手持無沙汰を案じたお鈴が「姫様?」と遠慮がちに声をかけてきた。
「何か気の紛れるものをお持ち致しましょうか?」
――そうなの! ほんと暇で暇で死にそうなの。川に行って簗を仕掛けたいし、お家で仕立てもしたいし、月守さまと一緒に薬草を採って筵に並べて干したいの! なんでもいいから仕事させて、気が狂いそうだわ!
心の中ではいくらでも叫べるが、実際には姫を装っているためそんなことはできない。
「とは申しましても、書物ほどしかございませんが。それでもよろしければお持ち致します」
――書物! 最高! せっかく月守さまに読み書きを教えて貰ったんだもん、ちょうどいい勉強になるじゃない。
「とてもいいですね、何がありますか」
狐杜の中では精一杯の姫様らしい言葉を使ってみるが、少々ぎこちないのは否めない。普段なら「すごーい、何があるの?」になるのだろうから、これでもまだ頑張った方である。
「古い和歌集、木槿山の里の郷土史、柳澤家の家系図、あとは……」
「カケイズってなんですか?」
「申し訳ございません。家系図でございます、姫様」
なにやら知っていて当然のような事を聞いてしまったらしい。姫が聞き取れなかったのだと勘違いしたお鈴がゆっくりと言い直したのを聞いてもやはり狐杜には理解できない。
それならいっそ実物を見た方が早いに決まっている。
「カケイズが見たいわ」
「承知致しました、すぐにお持ち致します」
お鈴は丁寧に頭を下げて納戸を出て行った。
狐杜はここぞとばかりに立ち上がり、無駄にぴょんぴょん跳ねまわった。そうでもしないと体が溶けてしまいそうなのだ。
――ああ、嫌だ嫌だ、姫様って毎日こんなに暇なの? いつもこんなふうにずっと座っていなきゃいけないの? それとも今はあたしが人質だから?
本当は書物なんかよりも体を動かしたいの。わかってるわかってる、あたしはここから出られないんだしそりゃあ仕方ないけど、せめて仕立てくらいさせてよ、頭おかしくなっちゃう!
放置しておいたら今にも逆立ちしてしまいそうな狐杜だったが、「失礼いたします」というお鈴の声が聞こえると、途端に借りてきた猫のようにおとなしくなった。
だが、そんな狐杜を見てお鈴は何故か笑いをこらえるように口元を拳で押さえた。
「姫様、ここには鈴しかおりませぬゆえ、くつろがれてもよろしゅうございますよ。きちんと畏まって座らずとも誰も見ておりませぬゆえ」
――そうじゃないの、くつろぎたいんじゃなくて動きたいのよー!
「こちらが柳澤の家系図にございます。お城ではご覧になられておりませんか?」
お鈴が巻物の紐を解くと、よくわからない図が書かれた紙が長く広がった。
ここは知ったかぶると大変なことになる。いっそ読み方を教えて貰った方がいいだろう。
「これは見たことがありません。どうやって見るのですか」
お鈴は「ここに」と指をおく。
「二人並んでおられる『萩』と『桔梗丸』が姫様と若様にございます。この線を辿ると繁孝さまとお初の方さま、この二人の間に授かった子という意味でございます」
「兄弟だとこうやって並ぶのね?」
「さようにございます。ですから繁孝さまと勝孝さまが並んでおられるのです」
「あ、そっか。兄弟だからね」
一見ややこしいようで、そうでもないらしい。見方さえわかればなんてことない。だけどこれは?
「ここ、繁孝と勝孝が兄弟なのはわかったけど。勝孝の奥方様の『末』っていうのは?」
「お末の方さま、勝孝さまの奥方様にございます」
――つまり、姫様の叔父が勝孝でその奥方がお末の方ね。で、姫様のお父つぁんが繁孝、おっ母さんがお初の方。
あれ? どうして初と末が並んでるの? この兄弟の奥方ってだけでしょ?
「お気づきになられましたか。お初の方さまとお末の方さまは姉妹なのです」
「え? 兄弟同士で?」
「さようにございます。兄の繁孝さまは姉のお初の方さま、弟の勝孝さまは妹のお末の方さまと祝言を挙げられました。ですから桔梗丸さまが勝宜さまの幼き頃によく似ていらっしゃると言われるのです」
――なるほど、親が兄弟同士だから従兄弟がよく似てるんだ。若様は男子だから、勝宜に似てるって事ね。勝宜に姉か妹がいたら、姫様と似ていたかも。
え? いるじゃん! 姉、いるじゃん!
「この勝宜さまの姉は?」
「生まれてすぐにお亡くなりになられたそうでございます。勝宜さまとは年子だったそうなのでご存命であれば十六になりましょう」
――あたしと同い年! あっぶない、危うく言いそうになっちゃった。あたしは今、萩姫十二歳。萩姫十二歳だー、わたくしは萩姫十二歳ですー!
もうほんとこれ心の臓に悪い。早くなんとかしてよ。
でもあたしがここから出るということは月守さまがあたしと引き換えに呼び出されるという事で。月守さまは強いからちょっとやそっとではやられないと思うけど、でもあたしを盾に取られたら手出しできないかもしれないし。
どうしよう。月守さまもあたしも無事に戻るのって不可能なのかなぁ。
「その方が生きていたら、わたくしにお下がりが来たのかしら」
必死に姫様の立場で考えて言ったのに、なぜかお鈴はくすくすと笑いだした。
「あれ? 何か変なことを言いましたか?」
「いえ、姫様らしゅうございます。質素倹約を常とする繁孝さまは、いつも『使えるものはいくらでも直して使え』と仰せだったと聞き及んでおりましたゆえ。それでも姫様にはいつも新しいものをお仕立てになられていたではありませぬか」
「そ、そうですね! わたくしも柳澤を継いだ身ですから、質素倹約に努めようかと」
「さすが繁孝さまの血を継いでおられます。勝孝さまにも見習っていただきとうございます。ところで……」
「はい、なんですか?」
お鈴は笑顔を崩すことなくサラリと聞いた。
「あなた様は何者ですか?」
「何か気の紛れるものをお持ち致しましょうか?」
――そうなの! ほんと暇で暇で死にそうなの。川に行って簗を仕掛けたいし、お家で仕立てもしたいし、月守さまと一緒に薬草を採って筵に並べて干したいの! なんでもいいから仕事させて、気が狂いそうだわ!
心の中ではいくらでも叫べるが、実際には姫を装っているためそんなことはできない。
「とは申しましても、書物ほどしかございませんが。それでもよろしければお持ち致します」
――書物! 最高! せっかく月守さまに読み書きを教えて貰ったんだもん、ちょうどいい勉強になるじゃない。
「とてもいいですね、何がありますか」
狐杜の中では精一杯の姫様らしい言葉を使ってみるが、少々ぎこちないのは否めない。普段なら「すごーい、何があるの?」になるのだろうから、これでもまだ頑張った方である。
「古い和歌集、木槿山の里の郷土史、柳澤家の家系図、あとは……」
「カケイズってなんですか?」
「申し訳ございません。家系図でございます、姫様」
なにやら知っていて当然のような事を聞いてしまったらしい。姫が聞き取れなかったのだと勘違いしたお鈴がゆっくりと言い直したのを聞いてもやはり狐杜には理解できない。
それならいっそ実物を見た方が早いに決まっている。
「カケイズが見たいわ」
「承知致しました、すぐにお持ち致します」
お鈴は丁寧に頭を下げて納戸を出て行った。
狐杜はここぞとばかりに立ち上がり、無駄にぴょんぴょん跳ねまわった。そうでもしないと体が溶けてしまいそうなのだ。
――ああ、嫌だ嫌だ、姫様って毎日こんなに暇なの? いつもこんなふうにずっと座っていなきゃいけないの? それとも今はあたしが人質だから?
本当は書物なんかよりも体を動かしたいの。わかってるわかってる、あたしはここから出られないんだしそりゃあ仕方ないけど、せめて仕立てくらいさせてよ、頭おかしくなっちゃう!
放置しておいたら今にも逆立ちしてしまいそうな狐杜だったが、「失礼いたします」というお鈴の声が聞こえると、途端に借りてきた猫のようにおとなしくなった。
だが、そんな狐杜を見てお鈴は何故か笑いをこらえるように口元を拳で押さえた。
「姫様、ここには鈴しかおりませぬゆえ、くつろがれてもよろしゅうございますよ。きちんと畏まって座らずとも誰も見ておりませぬゆえ」
――そうじゃないの、くつろぎたいんじゃなくて動きたいのよー!
「こちらが柳澤の家系図にございます。お城ではご覧になられておりませんか?」
お鈴が巻物の紐を解くと、よくわからない図が書かれた紙が長く広がった。
ここは知ったかぶると大変なことになる。いっそ読み方を教えて貰った方がいいだろう。
「これは見たことがありません。どうやって見るのですか」
お鈴は「ここに」と指をおく。
「二人並んでおられる『萩』と『桔梗丸』が姫様と若様にございます。この線を辿ると繁孝さまとお初の方さま、この二人の間に授かった子という意味でございます」
「兄弟だとこうやって並ぶのね?」
「さようにございます。ですから繁孝さまと勝孝さまが並んでおられるのです」
「あ、そっか。兄弟だからね」
一見ややこしいようで、そうでもないらしい。見方さえわかればなんてことない。だけどこれは?
「ここ、繁孝と勝孝が兄弟なのはわかったけど。勝孝の奥方様の『末』っていうのは?」
「お末の方さま、勝孝さまの奥方様にございます」
――つまり、姫様の叔父が勝孝でその奥方がお末の方ね。で、姫様のお父つぁんが繁孝、おっ母さんがお初の方。
あれ? どうして初と末が並んでるの? この兄弟の奥方ってだけでしょ?
「お気づきになられましたか。お初の方さまとお末の方さまは姉妹なのです」
「え? 兄弟同士で?」
「さようにございます。兄の繁孝さまは姉のお初の方さま、弟の勝孝さまは妹のお末の方さまと祝言を挙げられました。ですから桔梗丸さまが勝宜さまの幼き頃によく似ていらっしゃると言われるのです」
――なるほど、親が兄弟同士だから従兄弟がよく似てるんだ。若様は男子だから、勝宜に似てるって事ね。勝宜に姉か妹がいたら、姫様と似ていたかも。
え? いるじゃん! 姉、いるじゃん!
「この勝宜さまの姉は?」
「生まれてすぐにお亡くなりになられたそうでございます。勝宜さまとは年子だったそうなのでご存命であれば十六になりましょう」
――あたしと同い年! あっぶない、危うく言いそうになっちゃった。あたしは今、萩姫十二歳。萩姫十二歳だー、わたくしは萩姫十二歳ですー!
もうほんとこれ心の臓に悪い。早くなんとかしてよ。
でもあたしがここから出るということは月守さまがあたしと引き換えに呼び出されるという事で。月守さまは強いからちょっとやそっとではやられないと思うけど、でもあたしを盾に取られたら手出しできないかもしれないし。
どうしよう。月守さまもあたしも無事に戻るのって不可能なのかなぁ。
「その方が生きていたら、わたくしにお下がりが来たのかしら」
必死に姫様の立場で考えて言ったのに、なぜかお鈴はくすくすと笑いだした。
「あれ? 何か変なことを言いましたか?」
「いえ、姫様らしゅうございます。質素倹約を常とする繁孝さまは、いつも『使えるものはいくらでも直して使え』と仰せだったと聞き及んでおりましたゆえ。それでも姫様にはいつも新しいものをお仕立てになられていたではありませぬか」
「そ、そうですね! わたくしも柳澤を継いだ身ですから、質素倹約に努めようかと」
「さすが繁孝さまの血を継いでおられます。勝孝さまにも見習っていただきとうございます。ところで……」
「はい、なんですか?」
お鈴は笑顔を崩すことなくサラリと聞いた。
「あなた様は何者ですか?」
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