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第二章 木槿山の章

第36話 家臣1

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 雪之進は納戸の中でたくさんの着物をぼんやりと眺めていた。
 そもそも萩姫に似合うものはないかと見に来ただけだったのだが、美的感覚の優れた雪之進は、つい見入ってしまっていたのだ。
 ――勝孝さまの奥方様のお召し物。こんなにたくさんあるのに陽の目を見ることなく納戸の中で眠っているのは勿体ない。
 勝宜を産んですぐに奥方は亡くなった、と雪之進は聞いていた。まだ若かったに違いない。なぜ勝孝は次の奥方を娶ろうとしなかったのだろう。
 紅鶸べにひわ花萌葱はなもえぎ京藤きょうふじ鬱金うこん珊瑚珠さんごしゅ……目にも鮮やかな色に、華やかな意匠。これらが似合ったのだから、相当美しい奥方だったに違いない。
 ふと、それらの奥に猩々緋しょうじょうひが見えた。あまりに強い色だったせいか、向こうから目に飛び込んできたような感覚があった。
 赤子の産着だ。勝宜が生まれたばかりの頃に使ったのものだろう。
 三つ年下の勝宜は、読み書き算術の得意な雪之進と違って武芸が達者だ。そんな勝宜にも赤子の頃があったのだとほほえましく眺めていたが、不意に妙な違和感に包まれた。
 これは女の子用の産着ではないのか。
 勝宜のものならば熨斗目か兜か鷹あたりの柄で、色も勝色かちいろ常盤色ときわいろを使ったものが多いはずだ。
 だがこれは御所車の周りを桜や菊などの花が囲んでいる柄であり、色も猩々緋から鴇色へと少しずつぼかしてある。他にも小鼓や手毬など、女の子らしい柄が散りばめられている。
 これは一体どういうことなのか。勝孝には勝宜以外にも子がいたということなのか。
「そこで何をしておる」
 鋭い声に思わず縮み上がった。ぼんやりしていて人の入ってくる気配に気づかなかったのだ。
「雪之進ではないか。ここに何用だ」
 十郎太だった。
「姫様に着替えをと」
「ここはおすえかたのお召し物しかない。お前が知らなかったわけでもあるまい」
「はい。ですが、ここに残しておいても陽の目を見ることはございません。着物は人が着てこそ生きるものでございます。かように美しい着物がずっと納戸の中にただ仕舞われているのは――」
「お末の方の形見だと申しておる」
 十郎太が被せた。雪之進にはそれが逆に不自然に映った。いつも相手の話をきちんと最後まで聞く十郎太がなぜ?
「勝孝さまがこれらを全て残しておくようにと仰せになったのですか?」
「いや、それは」
 そんな指示を出すわけがない。そもそもあの勝孝が思い出に浸るなど考え難い。お末の方の墓前に手を合わせたことすらないのに。
「十郎太さま、大きな声では言えませんが、この屋敷もさほど広いとは言えませぬ。勝孝さまのご指示であればまだしも、そうでないのなら使っていないものや再利用できるものがあれば残しておく必要もないのではありませぬか? 私も勘定方を任されて五年、この家の財政状況は心得ているつもりにござりますれば、使われていないものは外に売りに出――」
「やめんか」
 なぜ十郎太は取っておくことにこだわる? 勝孝さえ二度として踏み込むことのない、お末の方のための納戸。
 待てよ? 本当に『お末の方のための』納戸なのだろうか?
「お末の方さまはこうして美しい着物が納戸の奥で眠っていることをお喜びになるでしょうか」
 返事を待たずに畳みかける。
「十郎太さま、勝孝さまはこの納戸に何があるのかご存じなのですか」
「いや……」
「では、勝宜さまがここの品に思い入れでも?」
 十郎太が口を噤む。
「勝孝さまもご存知なく、勝宜さまも特にご関心を示さない。なぜ残しておくのですか。『誰のための』思い出なのです?」
 十郎太が目を上げた。その表情を見てはっとした。なぜか瞳に哀しみが宿っているように雪之進には見えたのだ。
「申し訳ござりませぬ。出過ぎたことを申し上げました」
「言ってみろ」
「は?」
「今言おうとしたことを言ってみろ」
 雪之進は一瞬その意味を測りかねた。だが、十郎太は自分がここへ来てからずっと手取り足取り指導してくれた教官だ、正直に言った方が良いような気がした。
「十郎太さまご自身は、萩姫様を殺めることに賛成していらっしゃらないのでは?」
 本来ならばそのようなことを言える立場にはない。だが、十郎太と雪之進の間柄ならば、この無礼を許して貰えると雪之進は確信していた。そして十郎太もそれを裏切らなかった。
「お前は俺に似ている。だが決定的に違うところがある。俺はしたくないと思ったことでもやれと言われれば黙ってやる。お前は納得がいかなければ納得のいく説明を求め、自分が納得できない限り己の心に忠実であろうとする」
「申し訳ござりませぬ」
 十郎太の言葉がすんなりと入って来た。その通りだ。
 だが、それはやはり十郎太としても姫を殺めることには賛成しかねるということをも意味する。
「お前を見ていると、俺の心の中にあることを全て代弁されている気分になって来る。俺が思っても言えないことをお前がさらりと言ってのけるのが、俺にはとても羨ましく感じるよ」
 いきなり砕けた口調になった十郎太は、チラリと外を確認して納戸の扉を閉めた。
「俺は女と子供を手にかけるのは恥ずべき行為だと思っている。それを指示するのもな」
 初めて聞く十郎太の勝孝批判だ。そんなそぶりすら見せたことが無かった彼がはっきりと言葉にしたのは、おそらくこれが最初で最後だろう。
「ここは俺の贖罪の部屋なのだ」
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