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第二章 木槿山の章
第34話 訪問3
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その頃、喜助は姫の部屋を訪ねていた。狐杜をここで姫と共に匿うよう話が付いていたにもかかわらず、いつまで経っても狐杜が来ないとなれば、さすがに姫も心配するに違いない。
家老から姫に事の次第を説明しようとしていたところへ松原屋が来たというので、松原屋を他の者に任せるわけにもいかず、姫の元へは喜助を向かわせたのだ。
それが裏目に出ようとは、その時は誰も思わなかったのであるが。
喜助はまだ十歳、どこまでを伝えどこから伏せるというところまで頭が回らず、綺麗さっぱり姫に伝えてしまった。
自分が家老と共に狐杜を迎えに行ったこと。駕籠でここに連れてくる途中で敵に襲われ、狐杜が連れ去られたこと。何より姫を驚かせたのは、狐杜の家に橘がいたことだ。
「橘がいたのですね」
「はい、月守さまと名乗ってました。川に流されて狐杜――あ、姫様によく似た人です――に拾われたらしいんです。それで、名前とか、住んでた場所とか、仕事とか、そういうの全然覚えてなくて。橘って名前も柳澤って言葉も知らないって言うんです。どこかにしこたま頭をぶつけたのかもしれないけど、姫様とか若様とかまるでわかんないみたいなんです」
姫は訝るように眉根を寄せて喜助を見た。
「その方は本当に橘なのですか?」
「わかりません。見た目は橘さまそっくりだったけど、おいらは違う人だと思いました。でも御家老様は間違いなく橘さまだって言って……じゃなくて仰ってました!」
未だに言葉遣いが怪しいが、これだけ興奮していたら「言ってたよ!」などと言い出さないだけまだ良しとしなければならないだろう。
「喜助はどうして別人だと思ったのです?」
「だって、もうやってることが全然橘さまじゃねえ」
両腕を大きく広げて、ハッとしたように慌ててまたかしこまる。
「あ、いえ。草履とか傘とか作ってるんです。すげえ上手です」
「橘が?」
「はい。っていうか月守さまですけど。あと、変な事言ってた。芋と稗の粥がご馳走だったのを覚えているって」
姫が「芋と稗がご馳走ですって?」と大袈裟に驚いた。
「ここの城でそのような粗末なものを食べさせたことはありませぬ!」
「でしょ? だから橘さまじゃないっておいらは思ったんです」
喜助が自信無さそうに言うのと裏腹に、姫は毅然として立ち上がった。
「確認しましょう」
「へ? どうやって?」
「直接その月守とやらに聞くのです。わたくしが会ってそれでもわからないのなら別人です。橘がわたくしを見てわからないわけがありませぬ」
「でも御家老様もわかんなかったんですよ。狐杜なんかすげえそっくりなのに、その狐杜を見てもなんとも思わなかったらしいんですよ」
「出で立ちが違うからわからなかったのかもしれませぬ。例の緋色の羽織を持って行きましょう。喜助、わたくしの供をなさい」
「ええっ? は、はい、わかりましたけど、御家老様に報告してこないと」
あたふたする喜助に姫はピシャリと言い放った。
「そんな事をしていたら日が暮れてしまいます。爺のところには松原屋が来ているとそなたが申したのではありませぬか。松原屋が直々に来るのは新しい着物を誂えるときなれば、すぐに終わる話ではありませぬ。この着物なら目立たない地味な色合いゆえちょうどいい、このまますぐに参りましょう」
考える暇もなく、喜助は例の羽織を持たされた。
「与平兄ちゃんいるか?」
――お八重が帰ったと思ったら、今度は喜助か。今日は来客が多い。
与平が引き戸を開けると、想像通りの人間が困惑顔で立っていた。
「よぉ、喜助。どうした?」
「それがさ」
そこまできて、彼の後ろにおなごが一人立っているのが見えた。頬被りをして俯いているので顔は見えないが、背丈と雰囲気から十二、三の娘であることがうかがえる。
「と、とにかく家に入れてくれよ」
喜助が慌てたように言うのを見て何か訳ありだと感じ、与平は急いで二人を中に入れた。お袖が「おや喜助じゃないか、いらっしゃい」などとのんびり言うのを遮って、喜助は与平の腕を掴んだ。
「月守さまは?」
「呼んだ方がいいか?」
「うん、今すぐ」
「私を呼んだか?」
いきなり引き戸が開いた。月守のヤツ、地獄耳持ってやがる。
「今そこで喜助を見かけたものでな」
月守のヤツ、心まで読みやがる。
涼しい顔で入ってきた月守は喜助が連れてきた娘に目を留めた。
「こちらは?」
「それが、その」
喜助がモゾモゾしていると、突然娘が頬被りを取って顔を上げた。
「狐杜! お前どうやって逃げてきたんだ」
ところが彼女はまっすぐ与平を見据え、凛と声を張ったのだ。
「お初にお目にかかります。柳澤繁孝の娘にして柳澤現当主、萩にございます」
家老から姫に事の次第を説明しようとしていたところへ松原屋が来たというので、松原屋を他の者に任せるわけにもいかず、姫の元へは喜助を向かわせたのだ。
それが裏目に出ようとは、その時は誰も思わなかったのであるが。
喜助はまだ十歳、どこまでを伝えどこから伏せるというところまで頭が回らず、綺麗さっぱり姫に伝えてしまった。
自分が家老と共に狐杜を迎えに行ったこと。駕籠でここに連れてくる途中で敵に襲われ、狐杜が連れ去られたこと。何より姫を驚かせたのは、狐杜の家に橘がいたことだ。
「橘がいたのですね」
「はい、月守さまと名乗ってました。川に流されて狐杜――あ、姫様によく似た人です――に拾われたらしいんです。それで、名前とか、住んでた場所とか、仕事とか、そういうの全然覚えてなくて。橘って名前も柳澤って言葉も知らないって言うんです。どこかにしこたま頭をぶつけたのかもしれないけど、姫様とか若様とかまるでわかんないみたいなんです」
姫は訝るように眉根を寄せて喜助を見た。
「その方は本当に橘なのですか?」
「わかりません。見た目は橘さまそっくりだったけど、おいらは違う人だと思いました。でも御家老様は間違いなく橘さまだって言って……じゃなくて仰ってました!」
未だに言葉遣いが怪しいが、これだけ興奮していたら「言ってたよ!」などと言い出さないだけまだ良しとしなければならないだろう。
「喜助はどうして別人だと思ったのです?」
「だって、もうやってることが全然橘さまじゃねえ」
両腕を大きく広げて、ハッとしたように慌ててまたかしこまる。
「あ、いえ。草履とか傘とか作ってるんです。すげえ上手です」
「橘が?」
「はい。っていうか月守さまですけど。あと、変な事言ってた。芋と稗の粥がご馳走だったのを覚えているって」
姫が「芋と稗がご馳走ですって?」と大袈裟に驚いた。
「ここの城でそのような粗末なものを食べさせたことはありませぬ!」
「でしょ? だから橘さまじゃないっておいらは思ったんです」
喜助が自信無さそうに言うのと裏腹に、姫は毅然として立ち上がった。
「確認しましょう」
「へ? どうやって?」
「直接その月守とやらに聞くのです。わたくしが会ってそれでもわからないのなら別人です。橘がわたくしを見てわからないわけがありませぬ」
「でも御家老様もわかんなかったんですよ。狐杜なんかすげえそっくりなのに、その狐杜を見てもなんとも思わなかったらしいんですよ」
「出で立ちが違うからわからなかったのかもしれませぬ。例の緋色の羽織を持って行きましょう。喜助、わたくしの供をなさい」
「ええっ? は、はい、わかりましたけど、御家老様に報告してこないと」
あたふたする喜助に姫はピシャリと言い放った。
「そんな事をしていたら日が暮れてしまいます。爺のところには松原屋が来ているとそなたが申したのではありませぬか。松原屋が直々に来るのは新しい着物を誂えるときなれば、すぐに終わる話ではありませぬ。この着物なら目立たない地味な色合いゆえちょうどいい、このまますぐに参りましょう」
考える暇もなく、喜助は例の羽織を持たされた。
「与平兄ちゃんいるか?」
――お八重が帰ったと思ったら、今度は喜助か。今日は来客が多い。
与平が引き戸を開けると、想像通りの人間が困惑顔で立っていた。
「よぉ、喜助。どうした?」
「それがさ」
そこまできて、彼の後ろにおなごが一人立っているのが見えた。頬被りをして俯いているので顔は見えないが、背丈と雰囲気から十二、三の娘であることがうかがえる。
「と、とにかく家に入れてくれよ」
喜助が慌てたように言うのを見て何か訳ありだと感じ、与平は急いで二人を中に入れた。お袖が「おや喜助じゃないか、いらっしゃい」などとのんびり言うのを遮って、喜助は与平の腕を掴んだ。
「月守さまは?」
「呼んだ方がいいか?」
「うん、今すぐ」
「私を呼んだか?」
いきなり引き戸が開いた。月守のヤツ、地獄耳持ってやがる。
「今そこで喜助を見かけたものでな」
月守のヤツ、心まで読みやがる。
涼しい顔で入ってきた月守は喜助が連れてきた娘に目を留めた。
「こちらは?」
「それが、その」
喜助がモゾモゾしていると、突然娘が頬被りを取って顔を上げた。
「狐杜! お前どうやって逃げてきたんだ」
ところが彼女はまっすぐ与平を見据え、凛と声を張ったのだ。
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