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第二章 木槿山の章
第18話 接触1
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勝孝と思われる襲撃からふた月、山の麓にある柳澤の城も蝉時雨に包まれる季節になっていた。さすがにこれだけ待っても音沙汰がないとなると、橘の安否は絶望視された。それでもこの間、喜助は毎日町へ下っては診療所などに橘が立ち寄っていないか聞いて回った。
いくらなんでもふた月だ。いい加減けじめをつけないと勝孝から余計な詮索をされることになる。家老は止む無く橘が亡くなったということにした。
当然、喜助と姫は反発した。橘が死ぬわけなどない、きっとどこかで戻ってくるために一計を案じている、そう言ってきかなかった。だが、小夜に「勝孝さまを欺くのです」と言われてしぶしぶ従った。
勝孝は放っておいても十日と置かずに探りに来る。その時に話せばいいだろうと言っていた矢先に、まるで噂を聞き付けたかのように本人がやって来た。
「帯刀殿、橘殿が亡くなられたと聞いたが、まことか?」
家老は「こういう時ばかり大喜びで飛んで来るわい」と心の中で文句を言いつつ、表ではわざとらしいほど沈痛な面持ちで頷いて見せた。
「数日前に葬儀を行った。家臣の葬儀ゆえ、簡単なものじゃったが」
早く話を切り上げたい家老は話しながら廊下を進み、奥書院の方まで行くが、なかなかどうして勝孝は当然といったふうにそこまでついて来る。
さすがに部屋に入れると長居されそうで、やむなく奥書院の廊下で立ち話となった。
「姫の御様子は如何じゃ? 橘殿にはなついておられたゆえ、さぞお心落としのことであろうの」
こうして探って来るところを見ると、まだ家老が行方不明の姫を探していると思い込んでいるらしい。馬鹿め、最初からずっと城におるわ――などとはおくびにも出さず、「それはもう」などと沈んで見せる。
「そろそろ姫に会わせてはいただけぬか? もうふた月もお顔を拝見しておらぬ」
――黙っておればいけしゃあしゃあと。とっとと姫が死んだと公表させて家督を相続するつもりであろう、そうは行くかというのだ。
「橘を失って起き上がる気力もなく床に臥せったままじゃ。おいたわしや」
「ふた月もの間床に臥せておると申されるか」
その時、庭の方から喜助の声がした。
「御家老様ぁ! 大変だ、姫様が町に!」
「なんじゃと?」
「なんか変装しちゃって農家の子みたいな恰好で松原屋さんの前に――」
と、ここまで来て、廊下の勝孝にようやく気付いたようだ。
「ええと、その、姫様が農家の子に変装して、お忍びで町に出たら気付かれるかなって話してて」
どう考えても苦しすぎる言い訳である。
「そうじゃな、お忍びで出かけられるくらいお元気になられれば良いのじゃが」
家老の助け舟もほとんどその役目を果たしていないと言っていい。
勝孝は厭味なほどに深刻な顔をして、その話を正面から受けた。
「これはこれは。少しは冗談も言えるほどにご回復されたようで何よりですな。早々に御目通りが叶いますことを心よりお待ち申し上げておりますと、姫にお伝え下され」
口の端をわずかに上げながら、それを扇子で隠すようにして勝孝は背を向けた。
いくらなんでもふた月だ。いい加減けじめをつけないと勝孝から余計な詮索をされることになる。家老は止む無く橘が亡くなったということにした。
当然、喜助と姫は反発した。橘が死ぬわけなどない、きっとどこかで戻ってくるために一計を案じている、そう言ってきかなかった。だが、小夜に「勝孝さまを欺くのです」と言われてしぶしぶ従った。
勝孝は放っておいても十日と置かずに探りに来る。その時に話せばいいだろうと言っていた矢先に、まるで噂を聞き付けたかのように本人がやって来た。
「帯刀殿、橘殿が亡くなられたと聞いたが、まことか?」
家老は「こういう時ばかり大喜びで飛んで来るわい」と心の中で文句を言いつつ、表ではわざとらしいほど沈痛な面持ちで頷いて見せた。
「数日前に葬儀を行った。家臣の葬儀ゆえ、簡単なものじゃったが」
早く話を切り上げたい家老は話しながら廊下を進み、奥書院の方まで行くが、なかなかどうして勝孝は当然といったふうにそこまでついて来る。
さすがに部屋に入れると長居されそうで、やむなく奥書院の廊下で立ち話となった。
「姫の御様子は如何じゃ? 橘殿にはなついておられたゆえ、さぞお心落としのことであろうの」
こうして探って来るところを見ると、まだ家老が行方不明の姫を探していると思い込んでいるらしい。馬鹿め、最初からずっと城におるわ――などとはおくびにも出さず、「それはもう」などと沈んで見せる。
「そろそろ姫に会わせてはいただけぬか? もうふた月もお顔を拝見しておらぬ」
――黙っておればいけしゃあしゃあと。とっとと姫が死んだと公表させて家督を相続するつもりであろう、そうは行くかというのだ。
「橘を失って起き上がる気力もなく床に臥せったままじゃ。おいたわしや」
「ふた月もの間床に臥せておると申されるか」
その時、庭の方から喜助の声がした。
「御家老様ぁ! 大変だ、姫様が町に!」
「なんじゃと?」
「なんか変装しちゃって農家の子みたいな恰好で松原屋さんの前に――」
と、ここまで来て、廊下の勝孝にようやく気付いたようだ。
「ええと、その、姫様が農家の子に変装して、お忍びで町に出たら気付かれるかなって話してて」
どう考えても苦しすぎる言い訳である。
「そうじゃな、お忍びで出かけられるくらいお元気になられれば良いのじゃが」
家老の助け舟もほとんどその役目を果たしていないと言っていい。
勝孝は厭味なほどに深刻な顔をして、その話を正面から受けた。
「これはこれは。少しは冗談も言えるほどにご回復されたようで何よりですな。早々に御目通りが叶いますことを心よりお待ち申し上げておりますと、姫にお伝え下され」
口の端をわずかに上げながら、それを扇子で隠すようにして勝孝は背を向けた。
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