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第二章 木槿山の章

第8話 あばら家3

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 それから半刻ほどの間、与平は彼を質問攻めにし、狐杜は芋とひえでゆるい粥を作った。その間、彼が思い出せることは何一つなかった。
 名前もわからない、住まいもわからない、何の仕事をしていたのかも、所帯を持っているのかも、何もかもわからない。
「歳は多分、二十四、五ってとこだよな」
「話し方も普通の町人っぽくないよ。お武家さまだったんじゃない?」
 二人は好き勝手に推理しているが、青年はどれに対しても心当たりのなさそうな顔をしている。
「寺子屋の先生とか」
「医者じゃねえか? まげ結ってねえし」
 確かに青年は髪をそのまま伸ばして結わえてはいない。長い黒髪は艶やかで、狐杜には羨ましくすらあった。
「なあ、傷が治るまでここにいるんだろ? 呼び名が無いと困るよ。なんでもいいから名前つけてくれよ」
「いつまでも世話になるわけには参らぬ。すぐに出て行こう」
「自分が誰かもわからないのに、ここを出てどこへ行くのよ、あたしが名前くらい付けてあげるから、もうちょっとここにいて」
 自分で「ここにいるんだろ」と言っておきながら、狐杜の言葉にちょっとだけ与平は反応する。――なんだそれ、なんか、それ、なんか……やだな!
月守つきもりさまなんてどうかな。月の守り人みたいな。お月様みたいな雰囲気があるから」
 与平としてはますます心がざわつく。月守――ちくしょう、嫌になるほど似合ってる!
「ね、いいでしょ?」
「それで良い」
 青年が頷くと、狐杜は小躍りして喜んだ。そんな彼女に苛立ちを覚えるものの、もちろん与平はそんなことはおくびにも出さない。
「なんでもいいから、どんな小さいことでも思い出したら言ってくださいね。何かの手掛かりになるかもしれないし」
 彼は静かに頷いた。
「まずはご飯食べてください。お芋と稗のおかゆだけど食べられますか?」
「いただこう」
 与平はその間もじっと青年を観察していた。端正な佇まいも品のある物腰も、普通の町人や農民のそれではない。着ているものも質の良い絹で仕立てられており、色は知性派の間で流行っている藍天鵞絨あいびろうどだ。どう考えても上流階級だろう。
 だが、次の瞬間、青年は与平の予想を完全に裏切る発言をした。
「この粥は、懐かしい味がする。この芋と稗の粥、食べたことがある」
「えっ、これをか?」
 二人が目を見合わせていると、さらにもう一声。
「いや、毎日は食べられなかった。いつもは野草の味噌汁だけで、こんな稗の粥が食べられる日はそう度々あるものではなかった。芋も大抵は零余子むかごだった」
「月守さま、お武家様じゃないの?」
「でもただの町人じゃないぜ、あんた」
 青年は首を傾げた。
「だが、これは確かに覚えのある味だ。しかもこれは何か特別な日に食べたと思う」
 それから青年は黙って美味しそうにその貧相な粥を食べていた。
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