柿ノ木川話譚1・狐杜の巻

如月芳美

文字の大きさ
上 下
6 / 64
第二章 木槿山の章

第6話 あばら家1

しおりを挟む
狐杜ことちゃん、随分と腕を上げたねぇ。この調子なら松原屋のお嬢さんの着物を仕立てる日も、そう遠くないんじゃないのかい」
 緊張の面持ちでおいちの言葉を待っていた狐杜は、やっと肩の力が抜けたように笑顔を見せた。
「良かったぁ。やり直しって言われたらどうしようって思ってたの。自信作だったから」
「何言ってんだい。あんたにはおそでさんがついてるんだから、絶対に上手くなるさ。それに狐杜ちゃんは元々が器用だからねぇ」
 お市はもともと狐杜の師匠であるお袖の仲介屋だったが、狐杜が一人で着物を仕立てられるようになってからは、こうしてあちこちに声をかけて彼女の仕事も取って来てくれるようになった。両親のいない狐杜にとって、お市は『町のおっ母さん』のような存在だ。
「もう次の注文が入ってるんだよ。これ、持ってっとくれ」
「ありがとうございます。がんばります」
 お市はチラと与平よへいに目をやると、「こっち」と手招きした。
「あんた今日は荷物持ちだろ。今回の報酬は芋だからね。重いよ」
「そのために呼びだされたんだ、任せとけって」
「おやおや、与平はもう狐杜ちゃんの背を追い越したんだねぇ」
「狐杜が寸詰まりなだけ――うおっふ!」
 狐杜の一撃を脇腹に食らって、一瞬息が止まったようだ。
「いいからさっさと背負う! お市さんありがとう。着物が仕上がったらまた来ます。ほら与平、行くよ」
「おやまあ、今から尻に敷かれちゃって。与平、頑張りな」
 半分からかうようなお市の激励を背に、与平は芋の入った籠を背負い、狐杜は反物を包んだ風呂敷を持って外に出た。
 いい陽気の日だ。すれ違う花売りの声も二人には心なしか弾んで聞こえる。
菖蒲しょうぶか。蛍袋ほたるぶくろ夕化粧ゆうげしょうなら、うちの周りにたくさん生えてるのにな」
「与平ったら今度は花売りを始めるの?」
「まさか。しじみがおいらには向いてるさ。今日も魚獲りに行くぞ、狐杜も来るだろ」
「うん」
 狐杜がじっと見つめると、与平は「なんだよ」と慌てたように顔を逸らす。
「知らないうちに丈が追い越されたね」
「当たり前だろ。男の方がでかくなるに決まってんだ」
「だけどずっとあたしより小っちゃかったじゃない」
「二つも違うんだから当たり前だろ」
 狐杜は今年数えで十六、与平は十四、だが小柄な狐杜は身の丈四尺七寸、黙っていれば十二くらいにしか見えない。
 一方の与平も小柄ながらも四尺八寸はある。昔は姉と弟のように見えていた二人も、今ではすっかり兄と妹のようである。
 だが、与平としては狐杜がいつまでも自分を弟扱いするのが気に入らない。背も大きくなったし、彼女の代わりに芋だって運んでやれる。いつまでもガキじゃねえんだよ、などと思っても口にしようものなら笑われるだけなので、そこは黙っておくのだが。
「松原屋さんのお嬢さんみたいな着物、着てみたいなぁ」
「え?」
「ほら、あそこのお嬢さん、あたしと同い年でしょう? だけどあたしこんなだし。着物もおっ母さんのお下がりだしね」
 与平は何も言えずに押し黙る。
 狐杜も年頃の女の子だ、華やかに着飾ってみたいのだろう。狐杜だって素材は悪くない、きっと彼女のことだから明るい色の着物も似合うに違いない。
 だが、何を言ったところで運命が変えられるものでもない。
 それにもし、狐杜が松原屋のお嬢さんだったら与平と知り合うこともなかっただろう。そう考えると、これはこれで幸運だったのかもしれない。少なくとも与平にとっては。
「柳澤のお姫様はどんなお着物をお召しなのかなぁ。きっとあたしなんか一生お目にかかれないんだろうな」
「姫様は好き放題に走り回ったりできないんだぜ。狐杜には無理だろ」
「確かに! あたしには貧乏暮らしが合ってるよ。じっとしてたら死んじゃう」
「良かったな、貧乏人で。たくさん仕事して、そこそこの着物買えれば十分だろ」
「そうだね」
 与平は狐杜の笑顔を眺めながら「いつかおいらが着せてやる」と心に誓った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黄金の檻の高貴な囚人

せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~

水葉
歴史・時代
 江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく  三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中 「ほんま相変わらず真面目やなぁ」 「そういう与平、お前は怠けすぎだ」 (やれやれ、また始まったよ……)  また二人と一匹の日常が始まる

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

処理中です...