柿ノ木川話譚4・悠介の巻

如月芳美

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第六章 結

第52話 結2

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 船戸様の屋敷に着くと、紅秋斎と鉄宗が笑顔で悠介の方に歩み寄って来た。悠一郎の葬式で一度会っている。
 紅秋斎が悠介に親しみを込めて声をかけた。
「悠一郎さんのお弟子さんだったね、ええと名前はなんだったかな」
「悠介です」
「済まないね、歳をとると忘れっぽくなってしまって。そうか、悠一郎さんのお弟子さんが悠介さんか。名前も似ているが顔もよく似ているね」
「あたしは弟子というか……絵の手ほどきをして貰ったことは無いんです。たった一度、一緒にお茶を飲んだことがあるくらいで。ただ、あたしの絵を見て貰ったことがあって」
 自分が悠一郎の息子であることはなぜか言わずにおこうと思った。先入観を持ってほしくない。自分は悠介であって、悠一郎の息子ではない。
「ほう、それで悠一郎さんはなんと」
「良い絵だと。それで二度目に遊びに行った時にちょうど賊に襲われたときで、死に際に『あの家にある画材を全部譲る』と言って」
 鉄宗が控えめに口を挟んだ。
「あの悠一郎さんが良い絵だと言って画材をすべて譲ったんですから、悠介さんも相当な腕前なんでしょう」
「いや、まだ絵を描き始めて数カ月の素人なんです。でも素人っぽさがいいかもしれないし、悠一郎さんの遺言なので出さないわけにはいかないといいますか」
「あとで拝見させていただくのが楽しみですね、紅秋斎先生。才能のある若い人が出てくるのは私たちも嬉しい」
 若いというか、まだ子供なんだけどいいんですかねぇ……と心の中で首を傾げつつ、悠介は「ありがとうございます」と言った。母が言っていたのだ、どんな時でも褒められたら謙遜せずにお礼を言いなさい、と。
「それにしても美しい着物だね。儂ももっと華やかなので来れば良かった。鉄宗さんも地味だねぇ」
「ええ、正装で来る必要もなかったでしょうか」
「あの……これがあたしの正装なんです」
 二人は目を点にして、一瞬の後に「なるほど」膝を打った。絵師同士だと余計な言葉は要らないらしい。
「この大胆な構図がいいね」
「そうですね、岩群青に山吹という色合わせも目を引きますね。これは……柚子かな? 耳飾りも同じだね」
 二人とも悠介の着物に興味津々である。
「ええ、母が柚香という名前だったんです」
 だった、という言い方に母がもうこの世の人ではないと悟ったのか、二人は「美しい名だね」とだけ言ってそれ以上詮索してこなかった。
「そういえば」
 鉄宗が何かを思い出したように言った。
「潮崎の熊谷様と猪助親分が相次いで亡くなったと聞きましたが」
 悠介は身を固くした。あの二人の断末魔が頭の中に残って消えない。
「なんでも二人で山に入ってそこで熊にやられたんだそうだよ。猟師が二人の着物と熊の足跡を見つけたらしいからね。気の毒に」
「お二人は仕事の出来るお方だったと楢岡では評判でしたよ」
 楢岡じゃあの連中の悪だくみは知らないだろうなと悠介は心の中で溜息をついたが、紅秋斎が思いがけないことを言い出した。
「実は熊谷様にこの唐紙の件、儂に有利に働くように裏で手回しをしようと持ちかけられたんだよ」
「ええっ?」
「だが儂は断った。老いたとはいえ絵師で生計たつきを立てていた身だ、正々堂々と勝負がしたい。それで負けたとしても悔いは残らん。手伝いをさせて貰うさ」
「まさか熊谷様が悠一郎さんを、ってことは無いですよね?」
 そのまさかだよ、とは思っても言えない。知らない方が彼らも幸せだろう。
「ゴロツキにやられたと聞いたな」
「ええ、あたしもその場に居合わせたので見ましたよ。若いゴロツキでした。あたしが似顔絵を書いて、熊谷様が捕まえたんです」
 その後熊に食わせましたけどね。
「それなら安心して悠介さんとも勝負できますね」
「あたしなんざお二人と同じ土俵に立たせていただくだけで夢のようですよ。今後もどうぞ目をかけてやってくださいまし」
 そこにちょうど船戸様のお付きの者が現れ三人の絵師を案内すると言った。三人は自分の作品を持って船戸様に御目通りするため、彼のあとについて行った。
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