柿ノ木川話譚4・悠介の巻

如月芳美

文字の大きさ
上 下
31 / 54
第三章 絵師

第31話 殺し1

しおりを挟む
 結局二人は、万寿屋で栗饅頭を買ってから悠一郎宅へ向かった。
「わたしは紅秋斎先生の絵も鉄宗先生の絵も見たことがあるの」
「どうでした?」
 奈津はちょっと小首を傾げて「うーん」と考えた。
「紅秋斎先生の絵は、断崖と海辺とか、森の中の急流とか風景画が多いの。鉄宗先生は生き物を描く人で、嵐の中に立つ花とか水しぶきを上げて跳ねる鯉とか野性的な力強さを感じさせるわね。悠一郎さんは、植物と小動物が多かったでしょう。蝶とか螽斯きりぎりすとか、小さい生き物や植物に対する優しい視線があるの」
 悠介は奈津の観察眼に感心する。少々奈津を甘く見ていたかもしれない。
「悠介さんの絵は悠一郎さんに似てるわね」
「そうかもしれません」
 悠介は歩きながら足もとの小石を蹴った。画風が悠一郎に似ているのが嬉しいのか嬉しくないのか自分でもわからなかった。父と絵が似ていると言われれば喜ばしい気もするが、そのまま父の二番煎じになるのは嫌だった。自分なりの絵を描きたい、そう強く思った。
「潮崎のお城の唐紙全部替えるとなると、かなりの数になるし、褒美もかなりの額になるでしょうね。もしも悠一郎さんに決まったら、お弟子さんがいないから大変なんじゃないかしら。悠介さん、手伝ってあげたら?」
「手伝えるようなことがあればいいんですけどね」
 悠一郎の家に着くと、まず二人は仕事場を覗いた。こちらにいる確率が絶対的に高い。
 ところが予想に反して仕事場の方には居なかった。居間の方に声をかけてみようということで、奈津が「ごめん下さいまし」と声をかけた瞬間、示し合わせたかのように引き戸が開いた。
 中から出て来たのは悠一郎ではなかった。大柄な男が奈津を突き飛ばして走って行った。悲鳴を上げて尻もちをついた奈津に駆け寄りつつ、大男の顔を見た。知らない顔だった。
「お嬢さん、大丈夫ですか」
「ええ、それより悠一郎さんは」
 そうなのだ、今の大男は確かに血にまみれていた。
「ここにいて。動かないで」
 奈津に指示するとすぐに悠介は部屋に飛び込んだ。入れば一望できてしまうその狭い部屋の真ん中で、悠一郎は血まみれで倒れていた。
「お嬢さん、お仙さんを呼んでください!」
「はいっ」
 奈津はすぐに立ちあがると、末広屋へと走った。
 悠介の方は胸から血を流している悠一郎を抱きかかえて、少しでも頭を高くしようとした。
「悠一郎さん、しっかりしてください」
「悠介か」
「はい。あれは知っている人ですか」
「知らない」
 そこにお仙を連れて奈津が戻って来た。
「悠一郎さん!」
 駆け寄るお仙を制止して、悠介は彼女に指示を出した。
「医者を呼んでください。それから佐倉の主人と勝五郎親分にも連絡を」
「わかったよ!」
 お仙が行ってしまうと、奈津が悠一郎のもとへと駆け寄って来て手ぬぐいで傷口を押さえた。手ぬぐいはあっという間に真っ赤に染まり、あまり役に立っていないのが分かった。
「悠介、よく聞け」
「はい」
「船戸様は知ってるか」
「その話なら聞きました。悠一郎さんも参加されるんですよね」
「この仕事場とここにある画材はみんなお前にやる。だから俺の代わりにお前が描け。お前ならできる」
 悠介は悠一郎の手を強く握った。今言わないと一生後悔する。
「分かりました、父上」
 悠一郎が力なく笑った。
「やはりお前は俺と柚香の息子だったのか。そんな気はしていた。柚香は」
「花柳病でこの春に」
「そうか。やっと……会えるか」
 彼の声が掠れ、瞼が重そうに閉じて来た。
「悠介、お前に会えて良かった。自慢の……息子」
「父上?」
 それっきり悠一郎は動かなかった。たくさんの美しい絵を生み出した右手も、だらりと力なく下がるだけだった。
「悠一郎さん! 悠一郎さん!」
 奈津が何度も絵師の名を呼んだが、彼が返事をする事はなかった。
「あなたの息子で良かった。短い間でしたが、ありがとうございました」
 悠介は悠一郎を畳に寝かせると、一歩下がって畳に額を擦り付けた。
 そこにお仙が戻って来た。彼女は平伏する悠介と手放しで泣いている奈津を見て、愕然と足を止めた。
「ちょっと、悠一郎さん」
「たった今、亡くなられました」
「そんな。今、暗黒斎あんこくさい先生を呼びに行って貰ってるんだ、もうちょっと待っとくれよ。悠一郎さん、目を覚ますんだよ」
 悠一郎に触れようとするお仙を、悠介が止めた。
「そっとしてやってください。もう目を覚ますことはありません」
 お仙はそのまま膝の力が入らなくなったのか、ぺたんと土間に座り込んでしまった。
 そのまま三人は勝五郎が来るまでへたりこんだまま何もできずにいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。  一般には武田勝頼と記されることが多い。  ……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。  信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。  つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。  一介の後見人の立場でしかない。  織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。  ……これは、そんな悲運の名将のお話である。 【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵 【注意】……武田贔屓のお話です。  所説あります。  あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

夢のまた夢~豊臣秀吉回顧録~

恩地玖
歴史・時代
位人臣を極めた豊臣秀吉も病には勝てず、只々豊臣家の行く末を案じるばかりだった。 一体、これまで成してきたことは何だったのか。 医師、施薬院との対話を通じて、己の人生を振り返る豊臣秀吉がそこにいた。

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

夜に咲く花

増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。 幕末を駆け抜けた新撰組。 その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。 よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...