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第三章 絵師

第31話 殺し1

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 結局二人は、万寿屋で栗饅頭を買ってから悠一郎宅へ向かった。
「わたしは紅秋斎先生の絵も鉄宗先生の絵も見たことがあるの」
「どうでした?」
 奈津はちょっと小首を傾げて「うーん」と考えた。
「紅秋斎先生の絵は、断崖と海辺とか、森の中の急流とか風景画が多いの。鉄宗先生は生き物を描く人で、嵐の中に立つ花とか水しぶきを上げて跳ねる鯉とか野性的な力強さを感じさせるわね。悠一郎さんは、植物と小動物が多かったでしょう。蝶とか螽斯きりぎりすとか、小さい生き物や植物に対する優しい視線があるの」
 悠介は奈津の観察眼に感心する。少々奈津を甘く見ていたかもしれない。
「悠介さんの絵は悠一郎さんに似てるわね」
「そうかもしれません」
 悠介は歩きながら足もとの小石を蹴った。画風が悠一郎に似ているのが嬉しいのか嬉しくないのか自分でもわからなかった。父と絵が似ていると言われれば喜ばしい気もするが、そのまま父の二番煎じになるのは嫌だった。自分なりの絵を描きたい、そう強く思った。
「潮崎のお城の唐紙全部替えるとなると、かなりの数になるし、褒美もかなりの額になるでしょうね。もしも悠一郎さんに決まったら、お弟子さんがいないから大変なんじゃないかしら。悠介さん、手伝ってあげたら?」
「手伝えるようなことがあればいいんですけどね」
 悠一郎の家に着くと、まず二人は仕事場を覗いた。こちらにいる確率が絶対的に高い。
 ところが予想に反して仕事場の方には居なかった。居間の方に声をかけてみようということで、奈津が「ごめん下さいまし」と声をかけた瞬間、示し合わせたかのように引き戸が開いた。
 中から出て来たのは悠一郎ではなかった。大柄な男が奈津を突き飛ばして走って行った。悲鳴を上げて尻もちをついた奈津に駆け寄りつつ、大男の顔を見た。知らない顔だった。
「お嬢さん、大丈夫ですか」
「ええ、それより悠一郎さんは」
 そうなのだ、今の大男は確かに血にまみれていた。
「ここにいて。動かないで」
 奈津に指示するとすぐに悠介は部屋に飛び込んだ。入れば一望できてしまうその狭い部屋の真ん中で、悠一郎は血まみれで倒れていた。
「お嬢さん、お仙さんを呼んでください!」
「はいっ」
 奈津はすぐに立ちあがると、末広屋へと走った。
 悠介の方は胸から血を流している悠一郎を抱きかかえて、少しでも頭を高くしようとした。
「悠一郎さん、しっかりしてください」
「悠介か」
「はい。あれは知っている人ですか」
「知らない」
 そこにお仙を連れて奈津が戻って来た。
「悠一郎さん!」
 駆け寄るお仙を制止して、悠介は彼女に指示を出した。
「医者を呼んでください。それから佐倉の主人と勝五郎親分にも連絡を」
「わかったよ!」
 お仙が行ってしまうと、奈津が悠一郎のもとへと駆け寄って来て手ぬぐいで傷口を押さえた。手ぬぐいはあっという間に真っ赤に染まり、あまり役に立っていないのが分かった。
「悠介、よく聞け」
「はい」
「船戸様は知ってるか」
「その話なら聞きました。悠一郎さんも参加されるんですよね」
「この仕事場とここにある画材はみんなお前にやる。だから俺の代わりにお前が描け。お前ならできる」
 悠介は悠一郎の手を強く握った。今言わないと一生後悔する。
「分かりました、父上」
 悠一郎が力なく笑った。
「やはりお前は俺と柚香の息子だったのか。そんな気はしていた。柚香は」
「花柳病でこの春に」
「そうか。やっと……会えるか」
 彼の声が掠れ、瞼が重そうに閉じて来た。
「悠介、お前に会えて良かった。自慢の……息子」
「父上?」
 それっきり悠一郎は動かなかった。たくさんの美しい絵を生み出した右手も、だらりと力なく下がるだけだった。
「悠一郎さん! 悠一郎さん!」
 奈津が何度も絵師の名を呼んだが、彼が返事をする事はなかった。
「あなたの息子で良かった。短い間でしたが、ありがとうございました」
 悠介は悠一郎を畳に寝かせると、一歩下がって畳に額を擦り付けた。
 そこにお仙が戻って来た。彼女は平伏する悠介と手放しで泣いている奈津を見て、愕然と足を止めた。
「ちょっと、悠一郎さん」
「たった今、亡くなられました」
「そんな。今、暗黒斎あんこくさい先生を呼びに行って貰ってるんだ、もうちょっと待っとくれよ。悠一郎さん、目を覚ますんだよ」
 悠一郎に触れようとするお仙を、悠介が止めた。
「そっとしてやってください。もう目を覚ますことはありません」
 お仙はそのまま膝の力が入らなくなったのか、ぺたんと土間に座り込んでしまった。
 そのまま三人は勝五郎が来るまでへたりこんだまま何もできずにいた。
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