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第二章 御奉公
第21話 絵師4
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目を見開いている奈津に向かって悠介は小声て言った。
「柄鏡を出してあたしの方に向けてください、急いで」
奈津は袂から柄鏡を出すと、悠介の背後の二人に見られないように悠介に向けた。「一体何をする気ですか」
小声で尋ねる奈津に「絶対に動かないで」と囁き、わざとらしいほど大きな声を上げた。
「お嬢さん覚悟はいいですね」
背後のウマシカ兄弟が「やめろ!」と慌てて悠介を押さえたが、時すでに遅し、奈津の悲鳴が神社にこだました。
地面に血がぽたりぽたりと垂れ、奈津は立っていられずにしゃがみこんだ。
「おめえ、なんてことすんだ!」
「いえね、耳飾りをしたかったんですよ。でもどうやって穴を開けたらいいかわからなくてね。お兄さんたちのお陰で耳に穴を開けられました。この針、少しの間貸して貰えませんかね」
耳たぶに畳針を貫通させたままの悠介が鹿蔵に笑顔を向ける。鹿蔵は開いた口が塞がらないまま突っ立っている馬之助とは違って「あ、ああ」と心ここにあらずな返事をする。
「あとでお返ししなきゃいけません。どこへ持って行ったらいいですかねぇ」
「いや、それはおめえにやる」
鹿蔵はもう関わり合いたくないのだろう、とにかくここから逃げ出したそうにしている。
「そうはいきません。あたしは絵描きです。畳針なんか使いませんし、使わない人間が持っているのは宝の持ち腐れです。必ずお返ししますからどちらへお持ちしたらいいか教えてください」
「いや来なくていいから」
「では取りに来てください。十日後に」
その方が自分たちの居所を知られるよりはマシだと思ったのか、鹿蔵がうんうんと頷いた。
「どこへ取りに行ったらいいんだ」
「佐倉様のお屋敷に。あたしはそこで下男をしております」
「佐倉……さまだって?」
馬之助が鹿蔵の袖を引っ張る。
「兄貴ぃ、サクラさまって誰だよ」
鹿蔵が馬之助の頭をひっぱたいて言った。
「馬鹿、大名主様だよ!」
「じゃあ兄貴、そのお嬢さんは大名主様のお嬢さんじゃねえのか」
「ひぃいぃぃぃぃいいい!」
慌てる鹿蔵とよくわかっていない馬之助を放置して、悠介はしゃがみこんだ奈津に手を貸した。
「さ、お嬢さん、行きましょう。遅くなってしまいました。旦那様が心配なさいます」
奈津は気丈に「そうですね、参りましょう」と言って立ち上がったが、足はまだ震えていた。
二人と別れてからしばらく歩いているうちに、奈津が声もなく泣いていることに悠介は気づいた。
「お嬢さん、どうなすったんです?」
「だって……だって……」
それまで我慢していたのか、奈津は悠介の袖を掴んで急にわっと泣き出した。
「怖かったんです。人通りも少ないし、何を言われるかわからなくて、それに、それに悠介さん、耳に……」
その後はもう言葉にならなかった。悠介はさほど気にしていなかったが、奈津はこんなにも怯えていたのだということに今やっと気が付いた。
「怖い思いをさせてしまって申し訳ありません」
こんな時、柏華楼で仲良くしている禿の少女たちなら何も考えずに抱きしめてあげられるのだろうが、自分は下男で相手はお仕えしている家のお嬢様だ。迂闊に手を触れることもできない。悠介はただただ、自分の軽率な行いを恥じた。
「血がまだ出ています。この針、なんで抜かないのですか」
「抜いたら塞がっちまうからですよ。ちゃんと穴が開くまで塞がらないようにしておかないといけません」
「そんなに耳飾りがしたかったの?」
「まさか」
「だって、さっき耳飾りがしたかったって」
悠介はふふふと笑った。
「彼らはそんなに悪い連中じゃない。ちょっとお頭の出来は悪いが、根っこのところはいい人だと思いました。ただちょっとワルぶっていたいだけなんです。だから知り合いになっておきたいと思いました。あたしが優位に立つために、耳に穴をあけたんですよ」
「優位に?」
「そう。この耳に穴があいている限り、彼らはあたしに協力してくれる。こちらが何も頼まなくてもね。契約の印を刻んだと思えばいいんですよ」
奈津には悠介の言っていることが半分も理解できなかった。だが、そのうちにわかるのだろう。この時奈津は初めて悠介を恐ろしいと感じた。
「柄鏡を出してあたしの方に向けてください、急いで」
奈津は袂から柄鏡を出すと、悠介の背後の二人に見られないように悠介に向けた。「一体何をする気ですか」
小声で尋ねる奈津に「絶対に動かないで」と囁き、わざとらしいほど大きな声を上げた。
「お嬢さん覚悟はいいですね」
背後のウマシカ兄弟が「やめろ!」と慌てて悠介を押さえたが、時すでに遅し、奈津の悲鳴が神社にこだました。
地面に血がぽたりぽたりと垂れ、奈津は立っていられずにしゃがみこんだ。
「おめえ、なんてことすんだ!」
「いえね、耳飾りをしたかったんですよ。でもどうやって穴を開けたらいいかわからなくてね。お兄さんたちのお陰で耳に穴を開けられました。この針、少しの間貸して貰えませんかね」
耳たぶに畳針を貫通させたままの悠介が鹿蔵に笑顔を向ける。鹿蔵は開いた口が塞がらないまま突っ立っている馬之助とは違って「あ、ああ」と心ここにあらずな返事をする。
「あとでお返ししなきゃいけません。どこへ持って行ったらいいですかねぇ」
「いや、それはおめえにやる」
鹿蔵はもう関わり合いたくないのだろう、とにかくここから逃げ出したそうにしている。
「そうはいきません。あたしは絵描きです。畳針なんか使いませんし、使わない人間が持っているのは宝の持ち腐れです。必ずお返ししますからどちらへお持ちしたらいいか教えてください」
「いや来なくていいから」
「では取りに来てください。十日後に」
その方が自分たちの居所を知られるよりはマシだと思ったのか、鹿蔵がうんうんと頷いた。
「どこへ取りに行ったらいいんだ」
「佐倉様のお屋敷に。あたしはそこで下男をしております」
「佐倉……さまだって?」
馬之助が鹿蔵の袖を引っ張る。
「兄貴ぃ、サクラさまって誰だよ」
鹿蔵が馬之助の頭をひっぱたいて言った。
「馬鹿、大名主様だよ!」
「じゃあ兄貴、そのお嬢さんは大名主様のお嬢さんじゃねえのか」
「ひぃいぃぃぃぃいいい!」
慌てる鹿蔵とよくわかっていない馬之助を放置して、悠介はしゃがみこんだ奈津に手を貸した。
「さ、お嬢さん、行きましょう。遅くなってしまいました。旦那様が心配なさいます」
奈津は気丈に「そうですね、参りましょう」と言って立ち上がったが、足はまだ震えていた。
二人と別れてからしばらく歩いているうちに、奈津が声もなく泣いていることに悠介は気づいた。
「お嬢さん、どうなすったんです?」
「だって……だって……」
それまで我慢していたのか、奈津は悠介の袖を掴んで急にわっと泣き出した。
「怖かったんです。人通りも少ないし、何を言われるかわからなくて、それに、それに悠介さん、耳に……」
その後はもう言葉にならなかった。悠介はさほど気にしていなかったが、奈津はこんなにも怯えていたのだということに今やっと気が付いた。
「怖い思いをさせてしまって申し訳ありません」
こんな時、柏華楼で仲良くしている禿の少女たちなら何も考えずに抱きしめてあげられるのだろうが、自分は下男で相手はお仕えしている家のお嬢様だ。迂闊に手を触れることもできない。悠介はただただ、自分の軽率な行いを恥じた。
「血がまだ出ています。この針、なんで抜かないのですか」
「抜いたら塞がっちまうからですよ。ちゃんと穴が開くまで塞がらないようにしておかないといけません」
「そんなに耳飾りがしたかったの?」
「まさか」
「だって、さっき耳飾りがしたかったって」
悠介はふふふと笑った。
「彼らはそんなに悪い連中じゃない。ちょっとお頭の出来は悪いが、根っこのところはいい人だと思いました。ただちょっとワルぶっていたいだけなんです。だから知り合いになっておきたいと思いました。あたしが優位に立つために、耳に穴をあけたんですよ」
「優位に?」
「そう。この耳に穴があいている限り、彼らはあたしに協力してくれる。こちらが何も頼まなくてもね。契約の印を刻んだと思えばいいんですよ」
奈津には悠介の言っていることが半分も理解できなかった。だが、そのうちにわかるのだろう。この時奈津は初めて悠介を恐ろしいと感じた。
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