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第二章 御奉公
第19話 絵師2
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翌日、奈津が絵を見たいと言って悠介の部屋にやって来た。
悠介の部屋はもともと以前の女中(ここを紹介してくれたお芳さんだ)が使っていた部屋で、奉公人が使うにはかなり贅沢な部屋だ。一般的な奉公人なら一間半四方(四畳半)の板の間に二人と言ったところだろうが、悠介にあてがわれていた部屋は四畳半に一人だけ、しかも畳が敷いてある。張り出した縁側があり、そこも悠介が自由に使っていい領域なので、彼が自由にできる広さは六畳分にもなる。縁側は中庭に面していて、奈津の部屋と御隠居様の部屋に続いているので、縁側からそれぞれの部屋に行き来することができる。とは言え、さすがに奉公人の悠介が縁側から奈津や御隠居様を訪問することはないのだが。
この日の奈津は縁側の方からやって来た。いきなり来るのも行儀が悪いので、隣から「縁側の方から行ってもいいかしら?」と断って来たのだが。
文箱に並ぶ花々の絵を見て、奈津は感嘆の声を上げた。
「凄いわ、どれもこれも本物そっくり。これは桜、こっちは梅、水仙、竜胆、桔梗、菖蒲、朝顔、萩、女郎花。そのうちに蝶がとまるわよ」
絵を眺める奈津に、悠介は訊いた。
「お嬢さんは大きくなったら何をしたいんです?」
なぜか彼女はギョッとした顔で悠介を見返した。
「あたしは何か変な事を聞きましたかねぇ」
「いえ……ただ、他人様にはお話しできません」
「誰にも?」
「悠介さんになら言ってもいいかも」
「秘密なんですね」
奈津は目を伏せた。
「ええ、それも父上が激怒しそうな」
悠介はわざと中庭の方に目を向けて奈津から視線を逸らした。
「無理には聞きませんよ。お嬢さんが話してもいいと思った時に教えて下されば結構ですから」
「なんでそんなことを聞くんです?」
「いえね、漠然と将来のことを考えたからなんですよ」
奈津が黙って促す。
「あたしは旦那様に拾っていただいてこうして暮らしていけてる。遊郭で育って世の中のことなんざなんにも知らずにいたのに、ここで少しずつ勉強させていただいているのはありがたいことです。そもそもにゃべを追いかけて来たあたしを追い出したって良かったのに、お嬢さんはここへ招いて旦那様に引き合わせて下さった。大旦那様もお内儀さんも、あたしみたいな遊郭出の子を下男として置いてくださる。こんな立派な部屋も。あたしのような身分の者にはもったいないくらいの待遇です。だからね、だから」
悠介は逸らしていた視線を戻して、奈津の目を捉えた。
「あたしは佐倉家の人達にご恩返しがしたいんですよ。いつかここを出て独り立ちしたときに、佐倉のために働けるようになりたいんです」
「そんなこと気にしなくていいのに」
「あたしの気が収まらないんですよ。だけどあたしは掃除や洗濯、針仕事に炊事くらいしかできやしない。絵が描けたって佐倉の役に立てるとは思えない。そんなあたしがどんな職に就いたら佐倉のために働けるだろうってね」
黙って聞いていた奈津は、不意に悪戯っぽく微笑んだ。
「それなら良い方法があります。わたしがいずれ大人になった時にやろうと思っていること、それを悠介さんと一緒にすればいいんだわ」
「なんです、それは」
「ここでは話せません。いつかお稽古の日に道すがら話しましょう。わたしも一人では難しいと思っていたの。きっと悠介さんも気に入ると思うわ」
悠介はそれ以上は聞かないことにした。いつかお稽古の日にどうせ聞けるのだ。旦那様に聞かれたくない話をわざわざここで聞く必要はない。
「悠介さんが目を回してひっくり返るかもしれないわ」
そう言って笑う奈津を、悠介は首を傾げて見ているしかなかった。
悠介の部屋はもともと以前の女中(ここを紹介してくれたお芳さんだ)が使っていた部屋で、奉公人が使うにはかなり贅沢な部屋だ。一般的な奉公人なら一間半四方(四畳半)の板の間に二人と言ったところだろうが、悠介にあてがわれていた部屋は四畳半に一人だけ、しかも畳が敷いてある。張り出した縁側があり、そこも悠介が自由に使っていい領域なので、彼が自由にできる広さは六畳分にもなる。縁側は中庭に面していて、奈津の部屋と御隠居様の部屋に続いているので、縁側からそれぞれの部屋に行き来することができる。とは言え、さすがに奉公人の悠介が縁側から奈津や御隠居様を訪問することはないのだが。
この日の奈津は縁側の方からやって来た。いきなり来るのも行儀が悪いので、隣から「縁側の方から行ってもいいかしら?」と断って来たのだが。
文箱に並ぶ花々の絵を見て、奈津は感嘆の声を上げた。
「凄いわ、どれもこれも本物そっくり。これは桜、こっちは梅、水仙、竜胆、桔梗、菖蒲、朝顔、萩、女郎花。そのうちに蝶がとまるわよ」
絵を眺める奈津に、悠介は訊いた。
「お嬢さんは大きくなったら何をしたいんです?」
なぜか彼女はギョッとした顔で悠介を見返した。
「あたしは何か変な事を聞きましたかねぇ」
「いえ……ただ、他人様にはお話しできません」
「誰にも?」
「悠介さんになら言ってもいいかも」
「秘密なんですね」
奈津は目を伏せた。
「ええ、それも父上が激怒しそうな」
悠介はわざと中庭の方に目を向けて奈津から視線を逸らした。
「無理には聞きませんよ。お嬢さんが話してもいいと思った時に教えて下されば結構ですから」
「なんでそんなことを聞くんです?」
「いえね、漠然と将来のことを考えたからなんですよ」
奈津が黙って促す。
「あたしは旦那様に拾っていただいてこうして暮らしていけてる。遊郭で育って世の中のことなんざなんにも知らずにいたのに、ここで少しずつ勉強させていただいているのはありがたいことです。そもそもにゃべを追いかけて来たあたしを追い出したって良かったのに、お嬢さんはここへ招いて旦那様に引き合わせて下さった。大旦那様もお内儀さんも、あたしみたいな遊郭出の子を下男として置いてくださる。こんな立派な部屋も。あたしのような身分の者にはもったいないくらいの待遇です。だからね、だから」
悠介は逸らしていた視線を戻して、奈津の目を捉えた。
「あたしは佐倉家の人達にご恩返しがしたいんですよ。いつかここを出て独り立ちしたときに、佐倉のために働けるようになりたいんです」
「そんなこと気にしなくていいのに」
「あたしの気が収まらないんですよ。だけどあたしは掃除や洗濯、針仕事に炊事くらいしかできやしない。絵が描けたって佐倉の役に立てるとは思えない。そんなあたしがどんな職に就いたら佐倉のために働けるだろうってね」
黙って聞いていた奈津は、不意に悪戯っぽく微笑んだ。
「それなら良い方法があります。わたしがいずれ大人になった時にやろうと思っていること、それを悠介さんと一緒にすればいいんだわ」
「なんです、それは」
「ここでは話せません。いつかお稽古の日に道すがら話しましょう。わたしも一人では難しいと思っていたの。きっと悠介さんも気に入ると思うわ」
悠介はそれ以上は聞かないことにした。いつかお稽古の日にどうせ聞けるのだ。旦那様に聞かれたくない話をわざわざここで聞く必要はない。
「悠介さんが目を回してひっくり返るかもしれないわ」
そう言って笑う奈津を、悠介は首を傾げて見ているしかなかった。
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