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第二章 御奉公
第16話 徳兵衛3
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数日後、徳兵衛がやって来た。以前は徳兵衛が来なかったので御隠居様の相手に時間が取られていたが、今は徳兵衛が相手をしてくれるので、お茶だけ出して悠介は別の仕事をしたり絵を描いたりできる。その日はお茶出しをして出て行こうとする悠介を御隠居様が引き留めた。
「最近、絵を描いているそうじゃないか」
徳兵衛はそれを聞いて目を見開いた。彼は悠介の父である悠一郎をよく知っている。悠介に悠一郎の描いた柚子の扇子をくれたのも彼だ。
「ええ、先立って柏華楼でお世話になった方が病に倒れたと聞きましてお見舞いに行ったんですが、その時に言われたんです。あんたは絵師か薪絵師に向いている、と。それで物の試しにと絵を描いてみたら、もう楽しくて。あたしはやっぱりそっちに向いているのかもしれませんねぇ」
徳兵衛が是非見たいというので、悠介は描き溜めた絵の中から花木の絵を何枚か持って来て二人に見せた。
「楽しく描いているだけで他人様に見せられるような代物じゃございませんが」
二人は絵を見て「おお、これは」と言ったきり固まってしまった。
「拙いものをお見せして申し訳ありません」
九つの子供の描く絵だ、拙くて当然である。だが、悠介の絵は九つの領域を超えていた。
しばらく無言で眺めていた二人だったが、ふと、徳兵衛が口を開いた。
「うちの新茶のために絵を描いてくれないか」
以前徳屋でお茶の淹れ方を教わっていた時に、悠介がお茶毎に花の名前を付けたらどうかと提案したことがある。それが当たりに当たって大店のお内儀さんやお嬢さんたちにバカ売れしたのだ。花の名前というところが良かったのかもしれない。
今度はその花の絵を描いてくれというのである。
お茶の袋に墨文字で「水仙」や「紫陽花」や「躑躅」と書いてあるよりは、花の絵がついている方がお洒落だというわけだ。
「ですが、あたしはここの下男ですんで」
「そういうことなら儂が許可しよう。悠介、お前もいつかは独り立ちしなきゃならん。その時のために今から絵の修行を徳屋さんでさせて貰いなさい」
御隠居様がそう言うのだ。断る理由はどこにもない。
「袋に絵を描くのは大変だし、絵を失敗したら袋が無駄になります。絵が描ける紙を茶袋にするということになると紙代も馬鹿になりません。それよりは小さい紙に絵を描いて、その紙で袋に封をすれば良いのではないかと思うんですが」
「ほう。悠介はさすがに聡いな。この子は下男にしておくには惜しい子だ」
「ありがとうございます。ですが、あたしは下男の仕事が好きなので。その合間に書かせていただく感じでよろしゅうございますでしょうか」
この一言であっさりと悠介の仕事が決定してしまった。こうして彼は絵師としての第一歩を歩み始めたのである。
翌日、さっそく徳兵衛が一寸五分四方の紙をたくさん持って来た。試しにいくつか描いて持ってきて欲しいと言う。次の奈津の稽古で白里師匠のところに来るときでいいというので、その依頼を引き受けた。
奈津も悠介の絵を見るのが楽しみで、一緒になって「そこの百日紅の枝ぶりなんかいいわよ」だの「朝顔は朝のうちに描かないと萎れてしまうわ」だのと自分のことのように盛り上がっていた。
「最近、絵を描いているそうじゃないか」
徳兵衛はそれを聞いて目を見開いた。彼は悠介の父である悠一郎をよく知っている。悠介に悠一郎の描いた柚子の扇子をくれたのも彼だ。
「ええ、先立って柏華楼でお世話になった方が病に倒れたと聞きましてお見舞いに行ったんですが、その時に言われたんです。あんたは絵師か薪絵師に向いている、と。それで物の試しにと絵を描いてみたら、もう楽しくて。あたしはやっぱりそっちに向いているのかもしれませんねぇ」
徳兵衛が是非見たいというので、悠介は描き溜めた絵の中から花木の絵を何枚か持って来て二人に見せた。
「楽しく描いているだけで他人様に見せられるような代物じゃございませんが」
二人は絵を見て「おお、これは」と言ったきり固まってしまった。
「拙いものをお見せして申し訳ありません」
九つの子供の描く絵だ、拙くて当然である。だが、悠介の絵は九つの領域を超えていた。
しばらく無言で眺めていた二人だったが、ふと、徳兵衛が口を開いた。
「うちの新茶のために絵を描いてくれないか」
以前徳屋でお茶の淹れ方を教わっていた時に、悠介がお茶毎に花の名前を付けたらどうかと提案したことがある。それが当たりに当たって大店のお内儀さんやお嬢さんたちにバカ売れしたのだ。花の名前というところが良かったのかもしれない。
今度はその花の絵を描いてくれというのである。
お茶の袋に墨文字で「水仙」や「紫陽花」や「躑躅」と書いてあるよりは、花の絵がついている方がお洒落だというわけだ。
「ですが、あたしはここの下男ですんで」
「そういうことなら儂が許可しよう。悠介、お前もいつかは独り立ちしなきゃならん。その時のために今から絵の修行を徳屋さんでさせて貰いなさい」
御隠居様がそう言うのだ。断る理由はどこにもない。
「袋に絵を描くのは大変だし、絵を失敗したら袋が無駄になります。絵が描ける紙を茶袋にするということになると紙代も馬鹿になりません。それよりは小さい紙に絵を描いて、その紙で袋に封をすれば良いのではないかと思うんですが」
「ほう。悠介はさすがに聡いな。この子は下男にしておくには惜しい子だ」
「ありがとうございます。ですが、あたしは下男の仕事が好きなので。その合間に書かせていただく感じでよろしゅうございますでしょうか」
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翌日、さっそく徳兵衛が一寸五分四方の紙をたくさん持って来た。試しにいくつか描いて持ってきて欲しいと言う。次の奈津の稽古で白里師匠のところに来るときでいいというので、その依頼を引き受けた。
奈津も悠介の絵を見るのが楽しみで、一緒になって「そこの百日紅の枝ぶりなんかいいわよ」だの「朝顔は朝のうちに描かないと萎れてしまうわ」だのと自分のことのように盛り上がっていた。
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