柿ノ木川話譚4・悠介の巻

如月芳美

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第二章 御奉公

第15話 徳兵衛2

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 久しぶりの柏華楼だが特に懐かしいという気はしなかった。入っていくと釜焚きの太助が「お? 帰って来たのか?」と言った。お雪に会いに来たことを告げると納得したように「喜ぶぞ」とだけ言った。
 楼主に案内された部屋は、母が最期に闘病していた隔離部屋だった。花柳病に罹った女はみんなここで死ぬんだなと漠然と思った。
 唐紙を開けると、そこにはお雪が母と同じように寝ていた。顔にも赤疱が出ていた。人の気配に気づいたのか、お雪がゆっくりと悠介の方に顔を向けた。
 お雪は驚いたように「悠介かい?」と聞いた。
「そうです。たまたま楼主さんと町で会って、お雪さんのことを聞いてすっ飛んで来たんです。あたしにできることなら何でもします」
「まあ……なんてこと。もう会えないと思ってたよ。あんたの顔が見られただけで十分さ。元気でやってるようだね、本当に良かった」
「あたしがここを出て行った日、夏みかんをくださいましたよね。あの夏みかんのお陰でなんとかやって来れたんです。あれが無ければあたしは今頃母の後を追ってました」
「柚香を追うのはあたしの役目さ。向こうで仲良くやるから、あんたは心配しないで自分の人生を歩むんだ。今は何をやってるんだい?」
「名主の佐倉様のところで下男をやっております。可愛がっていただいています」
「そうかい、それは良かった。名主様なら安心だ」
 お雪は疲れたように「ふぅ」と息を切らすと、しげしげと悠介を眺めた。
「ずっと佐倉様のところでご厄介になるわけじゃないんだろ。あんたは美的感覚が優れているからかざり職人か、そうだね、蒔絵師とか。単に絵師なんてのもいいね。自分で絵を描いてさ。きっと売れるよ」
「絵師……」
 父の悠一郎も絵師だった。
 悠介はお雪の手を握ろうとしたがお雪がひっこめた。
「花柳病がうつるといけないからね、あたしに触れちゃいけないよ。さあ、もうお行き。あんたはここのことなんかもう忘れて、これからのことだけ考えるんだ。あんたが立派に一人で頑張ってるって柚香に伝えとくよ。来てくれてありがとう。ここから一歩出たら、もうここには関わりのない人間になるんだよ」
 悠介はお雪の心遣いが痛いほどわかったので、何も言わずに畳に指をそろえて頭を下げた。
「大変お世話になりました。このご恩は一生忘れません。母に悠介は元気でやっているとお伝えください」
 悠介は立ち上がって廊下に出ると、もう一度廊下に平伏してからそっと唐紙を閉じた。彼女の頬にきらりと光るものが見えた。もう彼女に会うことはないだろう。そう思うと悠介は鼻の奥がつんとした。
 それから釜焚きの太助と楼主に挨拶をして、柏華楼を出た。出る時に楼主から「お前の稼ぎだ」と言って重い風呂敷を背負わされた。

 それからというもの、悠介は暇さえあれば絵を描いた。絵師も悪くない、お雪の言葉でそう思ったのだ。
 庭の花や白里師匠の家の床の間に飾られた花など花を描くことが多く、木やそこに生る実を描くことも多かった。仕事の合間にちょこっと描く程度だったが、それでも結構な数を描き溜めた。
 ある日、部屋で乾かしている時に風が吹いて来て、何枚か中庭に飛ばされてしまった。中庭は奈津の部屋や御隠居様の部屋にも面している。たまたまそれを奈津が拾ったのだ。
「これ、まさか悠介さんが描いたの?」
「ええ、あたしが描いたんですけど、恥ずかしいんであんまり見ないでください」
 悠介は照れたように後ろ頭をポリポリと搔いた。
「何言ってるのよ、凄いわ悠介さん、絵の才能があるわよ、見る人が見たら驚くわ」
「でもあたしは花しか描けないんです。動くものは形が変わりますからね」
「にゃべを描いたらどうかしら」
 にゃべというのはこの屋敷に来た日に悠介の扇子を掻っ攫って逃げたあの野良猫のことだ。まるで自分の家のようにここの中庭でいつも寛いでいるので、奈津がにゃべと名付けたらしい。にゃべの態度を見ていると、奈津と悠介を自分の仲間か何かだと勘違いしているように見える。よく百日紅の木の下で丸まって昼寝をしているので、寝ている時なら描けそうだ。
 それから悠介はにゃべの絵をたくさん描き溜めた。自分でも上達していくのが分かったので、描くのが楽しかった。それでも下男の仕事を優先するのは忘れなかった。自分は雇われの身であり、ここに住まわせて貰っていることを忘れてはならないと思っていた。
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