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第10話 仇6

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 文字を覚えた凍夜は算術を教わった。算術は彼にとって、とても楽しいものだった。よく一人でおはじき遊びをしていたのが役に立ち、数の概念などはお恵に教わるまでもなく、むしろ凍夜の方が応用力があったかもしれない。
「一坪の土地に藁を敷き詰めるのに藁が二束半要るのなら、五坪の土地には十二束と半分あればいいとサラリと言い出したのにはお恵も驚いた。
 こんなことを続けるうちに、勉強を教わりたいと凍夜が言い出したきっかけをお恵は忘れ始めた。お恵にとってはこうして凍夜と一緒に勉強している時間が何より楽しかったのだ。
「凍夜は算術なんてあたしが教える必要ないみたい」とお恵が笑うと、凍夜は急に真面目な顔になった。
「なあ、おいら読み書きも覚えたし算術も得意だ。あとは何をしたら強くなれるんだ?」
 お恵は驚いて目を見開いた
「まだ喧嘩に勝ちたかったの?」
「喧嘩じゃねえ。仇討ちだ」
「え……まさか、強くなりたいって、仇討ちするつもりだったの?」
 凍夜は静かに頷いた。
「そういえばお父つぁんとおっ母さんが死んだのは自分のせいだって……」
「うん。おいらのせいで殺された。おいらは仇を討ちてえ」
 お恵はゆらゆらと首を横に振ると「そんな」と呟いた。
「仇討ちは喧嘩とはまるで違うんだよ。殺し屋でも頼まなきゃ無理だよ」
「殺し屋ってのがいるのか」
「いるけど……でも、ものすごくお金がかかるのよ。人を殺すんだもの」
「殺し屋に頼んだりしねえ。おいらは自分の手で仇を討つんだ。でも殺し屋は必要だ」
 お恵がどういう意味かと首を捻っていると、凍夜はもう一言継いだ。
「殺し屋に弟子入りするんだ」
 今度こそお恵は目を剥いた。
「何言ってんの、そんなことしたら凍夜も殺し屋になっちゃうじゃない。もう仇討ちは諦めて平和に暮らそうよ。せっかく落ち着いたんだから」
「落ち着いてなんかいねぇ。あいつは今でもおいらに付きまとってる。そのうちに三郎太さんのところに来るかもしれねえ。そうなる前においらはあの家を出なきゃなんねえ」
「枝鳴長屋を出るの?」
 凍夜はお恵をじっと見つめたまま静かに頷いた。もう決定事項だという顔だ。
「ねえ、あたしたちが凍夜を守るよ。三郎太さんだってきっとそう言う。悠さんも栄吉さんもあたしのお父つぁんとおっ母さんも、みんなで凍夜を守るよ。だから出て行くなんて言わないで」
 だが凍夜の表情は動かなかった。お恵の必死の説得も空しく、彼は静かに首を横に振っただけだった。
「ここの人達には本当に世話になった。だからここに迷惑をかけたくないんだ。あいつがここをかぎつける前に出て行くよ。何かがあってからじゃ遅いんだ。おいらの両親を虫けらのように殺した奴らだ、三郎太さんも狙われるかもしれねえ」
 そこへちょうど当の三郎太がやって来た。
「おう凍夜、ここにいたか。布袋屋さんの荷物を運ばなきゃなんねえ。ちっと手伝ってくんな」
「わかった」
 チラリとお恵に目をやった三郎太は申し訳なさそうに後ろ頭をポリポリと掻いた。
「お恵ちゃん済まねえな。人の恋路を邪魔する奴ぁ馬に蹴られて死んじまえってな、おいらそのうちに馬に蹴られて死んじまうぜ」
 あははと豪快に笑う三郎太に聞かれないように、凍夜は「今の話は誰にも言うな」とお恵に釘を刺した。お恵は何か言いたそうにしながらも小さく頷いたが、しっかり三郎太に見られていたらしい。
「おっと、まだ話があったのかい? そりゃああるわな、大あり名古屋のコンコンチキでい。話の続きはまた帰って来てからにしてくんな。おめえさんたちには未来がある。おいらにゃ未来も希望もねえ。ナイナイ尽くしで髪もねえと来たもんだ。じゃ、凍夜を借りてくぜ」
 一気にまくし立てて嵐のように去っていく三郎太を、お恵はポカンとしたまま見送った。
「いい人なんだけどな。あの人、一生独身だわ……」

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