17 / 35
第十七話 南雲屋吉右衛門
しおりを挟む
夕食はハンバーグなるものにございました。なんでも伴天連の食べ物で、豚と牛の肉を細かくし、玉ねぎなどとよく混ぜて焼いたものだそうでございます。そして醤油でも味噌でもないソースという『たれ』をかけていただくのですが、これがもう、天にも昇るおいしさにございまして、日本橋の料理屋として名高い寿屋さんの高級料理に引けを取らない味でございました。と言っても寿屋さんのお料理を食べたことはありませんが。
この時代では一般家庭でこのような料理が食べられるのだなぁと、つくづく幸せを感じておりましたが、母上が怪訝な顔をするのです。
「あんたハンバーグも忘れてもーたん? いつになったらその人格やのうて太一の人格が戻って来るんやろね?」
「にゃ?」
太一と呼ばれてイヌが返事をしています。が、今はわたくしが太一でございます。
「あ、あの、父上」
「ん?」
父上は父上と呼ばれることに抵抗を示しません。
「キーボードが欲しいのですが」
「え? 壊れたか?」
「いえ、決して。あの、少し大きめのキーボードが欲しいのです。猫の手でも打てるくらいの」
「イヌがキーボード打つのか?」
そう言って父上はワハハと笑います。が、笑い事ではありません、その通りなのです。
「いえ、それくらいの大きさが欲しいということなのですが」
「いいよ。明日学校から帰って来るまでに作っとくよ。何に使うんだ?」
「あ、あのですね、学校で少々」
父上はハンバーグに添えてあったジャガイモを熊手のようなスプーン……フォークか、それで刺しました。こうやって食べるのですね。
「じゃあ、少し頑丈に作っとくか」
「よろしくお願いします」
「あんた、階段落ちてからやたらと言葉遣いが丁寧になったなぁ。関西弁も出ぇへんし」
イヌがこちらをチラリと見ます。気になるのでしょう。
「そうですね、忘れてしまいました。勉強も全部忘れてしまいましたので、頑張って追いつかなくてはなりません」
「あんたなんか最初から勉強できひんかったんやし、そんな無理せんてもええのんちゃう?」
そうではないのです、母上。ここで生活するための基礎知識が欠乏しているのです!
「そうは参りません。ご馳走様でございました。大変美味しゅうございました」
わたくしが手を合わせて席を立つと、背後で母上が「ホンマにこれ太一かいな」とぼやいています。違います、と言えたら楽なのでしょうが。
部屋に戻るとイヌがついて来ました。
わたくしはパソコンを立ち上げました。このスイッチを押すとかすかに聞こえる「ウィーン」という音と、それぞれの機器が立ち上がる時に赤や青に光る小さなギヤマンの明かりがとても好きなのです。ああ、そういえばこの光るギヤマンは「えるいーでぃー」というものでした。早く覚えなければ。
それにしてもこのインターネットというのは非常に便利です。知りたいことがあれば単語を書くだけでそれに関連したことが出てくるのですから。慣れてしまえばこんなに便利な時代はありません。
ただ、このキーボードが厄介です。五十音順でも無ければいろは順でもない。しかもアルファベット順に並んでいるわけでもない。誰が考えたんでしょうか、何か理由があるのだろうとは思いますが。
「に……に……に……」
「にゃ」
『に』を探しているとイヌが『N』の場所を教えてくれます。ローマ字変換というのをやっているのですが、なかなか探せません。声に出すとイヌが教えてくれるので便利です。
「ほ……ん……ば……し……な……ぐ……」
「にゃ……にゃにゃ」
なんとか日本橋南雲屋のホームページを開くことができました。創業者の名前を見ると……ああ、南雲屋吉右衛門わたくしの祖父の名前でございます。この時代まで南雲屋は商いを続けてきたのですね。感無量です。
「にゃー?」
「ええ、この日本橋の菓子処・南雲屋がわたくしの家でございました。吉右衛門はわたくしの祖父でございます。なんだかお菓子が作りたくなって参りました。母上に頼めば厨房を貸していただけるでしょうか」
「にゃっ!」
「では早速頼んでみましょう」
イヌがわたくしの頬を前脚で軽く叩きました。それでやっと気づいたのです。わたくしがこの世界に来て、初めて心から笑っていたことに。
この時代では一般家庭でこのような料理が食べられるのだなぁと、つくづく幸せを感じておりましたが、母上が怪訝な顔をするのです。
「あんたハンバーグも忘れてもーたん? いつになったらその人格やのうて太一の人格が戻って来るんやろね?」
「にゃ?」
太一と呼ばれてイヌが返事をしています。が、今はわたくしが太一でございます。
「あ、あの、父上」
「ん?」
父上は父上と呼ばれることに抵抗を示しません。
「キーボードが欲しいのですが」
「え? 壊れたか?」
「いえ、決して。あの、少し大きめのキーボードが欲しいのです。猫の手でも打てるくらいの」
「イヌがキーボード打つのか?」
そう言って父上はワハハと笑います。が、笑い事ではありません、その通りなのです。
「いえ、それくらいの大きさが欲しいということなのですが」
「いいよ。明日学校から帰って来るまでに作っとくよ。何に使うんだ?」
「あ、あのですね、学校で少々」
父上はハンバーグに添えてあったジャガイモを熊手のようなスプーン……フォークか、それで刺しました。こうやって食べるのですね。
「じゃあ、少し頑丈に作っとくか」
「よろしくお願いします」
「あんた、階段落ちてからやたらと言葉遣いが丁寧になったなぁ。関西弁も出ぇへんし」
イヌがこちらをチラリと見ます。気になるのでしょう。
「そうですね、忘れてしまいました。勉強も全部忘れてしまいましたので、頑張って追いつかなくてはなりません」
「あんたなんか最初から勉強できひんかったんやし、そんな無理せんてもええのんちゃう?」
そうではないのです、母上。ここで生活するための基礎知識が欠乏しているのです!
「そうは参りません。ご馳走様でございました。大変美味しゅうございました」
わたくしが手を合わせて席を立つと、背後で母上が「ホンマにこれ太一かいな」とぼやいています。違います、と言えたら楽なのでしょうが。
部屋に戻るとイヌがついて来ました。
わたくしはパソコンを立ち上げました。このスイッチを押すとかすかに聞こえる「ウィーン」という音と、それぞれの機器が立ち上がる時に赤や青に光る小さなギヤマンの明かりがとても好きなのです。ああ、そういえばこの光るギヤマンは「えるいーでぃー」というものでした。早く覚えなければ。
それにしてもこのインターネットというのは非常に便利です。知りたいことがあれば単語を書くだけでそれに関連したことが出てくるのですから。慣れてしまえばこんなに便利な時代はありません。
ただ、このキーボードが厄介です。五十音順でも無ければいろは順でもない。しかもアルファベット順に並んでいるわけでもない。誰が考えたんでしょうか、何か理由があるのだろうとは思いますが。
「に……に……に……」
「にゃ」
『に』を探しているとイヌが『N』の場所を教えてくれます。ローマ字変換というのをやっているのですが、なかなか探せません。声に出すとイヌが教えてくれるので便利です。
「ほ……ん……ば……し……な……ぐ……」
「にゃ……にゃにゃ」
なんとか日本橋南雲屋のホームページを開くことができました。創業者の名前を見ると……ああ、南雲屋吉右衛門わたくしの祖父の名前でございます。この時代まで南雲屋は商いを続けてきたのですね。感無量です。
「にゃー?」
「ええ、この日本橋の菓子処・南雲屋がわたくしの家でございました。吉右衛門はわたくしの祖父でございます。なんだかお菓子が作りたくなって参りました。母上に頼めば厨房を貸していただけるでしょうか」
「にゃっ!」
「では早速頼んでみましょう」
イヌがわたくしの頬を前脚で軽く叩きました。それでやっと気づいたのです。わたくしがこの世界に来て、初めて心から笑っていたことに。
2
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
児童絵本館のオオカミ
火隆丸
児童書・童話
閉鎖した児童絵本館に放置されたオオカミの着ぐるみが語る、数々の思い出。ボロボロの着ぐるみの中には、たくさんの人の想いが詰まっています。着ぐるみと人との間に生まれた、切なくも美しい物語です。
【完】ことうの怪物いっか ~夏休みに親子で漂流したのは怪物島!? 吸血鬼と人造人間に育てられた女の子を救出せよ! ~
丹斗大巴
児童書・童話
どきどきヒヤヒヤの夏休み!小学生とその両親が流れ着いたのは、モンスターの住む孤島!?
*☆* *☆* *☆* *☆* *☆* *☆* *☆*
夏休み、家族で出掛けた先でクルーザーが転覆し、漂流した青山親子の3人。とある島に流れ着くと、古風で顔色の悪い外国人と、大怪我を負ったという気味の悪い執事、そしてあどけない少女が住んでいた。なんと、彼らの正体は吸血鬼と、その吸血鬼に作られた人造人間! 人間の少女を救い出し、無事に島から脱出できるのか……!?
*☆* *☆* *☆* *☆* *☆* *☆* *☆*
家族のきずなと種を超えた友情の物語。
おっとりドンの童歌
花田 一劫
児童書・童話
いつもおっとりしているドン(道明寺僚) が、通学途中で暴走車に引かれてしまった。
意識を失い気が付くと、この世では見たことのない奇妙な部屋の中。
「どこ。どこ。ここはどこ?」と自問していたら、こっちに雀が近づいて来た。
なんと、その雀は歌をうたい狂ったように踊って(跳ねて)いた。
「チュン。チュン。はあ~。らっせーら。らっせいら。らせらせ、らせーら。」と。
その雀が言うことには、ドンが死んだことを(津軽弁や古いギャグを交えて)伝えに来た者だという。
道明寺が下の世界を覗くと、テレビのドラマで観た昔話の風景のようだった。
その中には、自分と瓜二つのドン助や同級生の瓜二つのハナちゃん、ヤーミ、イート、ヨウカイ、カトッぺがいた。
みんながいる村では、ヌエという妖怪がいた。
ヌエとは、顔は鬼、身体は熊、虎の手や足をもち、何とシッポの先に大蛇の頭がついてあり、人を食べる恐ろしい妖怪のことだった。
ある時、ハナちゃんがヌエに攫われて、ドン助とヤーミがヌエを退治に行くことになるが、天界からドラマを観るように楽しんで鑑賞していた道明寺だったが、道明寺の体は消え、意識はドン助の体と同化していった。
ドン助とヤーミは、ハナちゃんを救出できたのか?恐ろしいヌエは退治できたのか?
放課後モンスタークラブ
まめつぶいちご
児童書・童話
タイトル変更しました!20230704
------
カクヨムの児童向け異世界転移ファンタジー応募企画用に書いた話です。
・12000文字以内
・長編に出来そうな種を持った短編
・わくわくする展開
というコンセプトでした。
こちらにも置いておきます。
評判が良ければ長編として続き書きたいです。
長編時のプロットはカクヨムのあらすじに書いてあります
---------
あらすじ
---------
「えええ?! 私! 兎の獣人になってるぅー!?」
ある日、柚乃は旧図書室へ消えていく先生の後を追って……気が付いたら異世界へ転移していた。
見たこともない光景に圧倒される柚乃。
しかし、よく見ると自分が兎の獣人になっていることに気付く。
忠犬ハジッコ
SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。
「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。
※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、
今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。
お楽しみいただければうれしいです。

こちら御神楽学園心霊部!
緒方あきら
児童書・童話
取りつかれ体質の主人公、月城灯里が霊に憑かれた事を切っ掛けに心霊部に入部する。そこに数々の心霊体験が舞い込んでくる。事件を解決するごとに部員との絆は深まっていく。けれど、彼らにやってくる心霊事件は身の毛がよだつ恐ろしいものばかりで――。
灯里は取りつかれ体質で、事あるごとに幽霊に取りつかれる。
それがきっかけで学校の心霊部に入部する事になったが、いくつもの事件がやってきて――。
。
部屋に異音がなり、主人公を怯えさせる【トッテさん】。
前世から続く呪いにより死に導かれる生徒を救うが、彼にあげたお札は一週間でボロボロになってしまう【前世の名前】。
通ってはいけない道を通り、自分の影を失い、荒れた祠を修復し祈りを捧げて解決を試みる【竹林の道】。
どこまでもついて来る影が、家まで辿り着いたと安心した主人公の耳元に突然囁きかけてさっていく【楽しかった?】。
封印されていたものを解き放つと、それは江戸時代に封じられた幽霊。彼は門吉と名乗り主人公たちは土地神にするべく扱う【首無し地蔵】。
決して話してはいけない怪談を話してしまい、クラスメイトの背中に危険な影が現れ、咄嗟にこの話は嘘だったと弁明し霊を払う【嘘つき先生】。
事故死してさ迷う亡霊と出くわしてしまう。気付かぬふりをしてやり過ごすがすれ違い様に「見えてるくせに」と囁かれ襲われる【交差点】。
ひたすら振返らせようとする霊、駅まで着いたがトンネルを走る窓が鏡のようになり憑りついた霊の禍々しい姿を見る事になる【うしろ】。
都市伝説の噂を元に、エレベーターで消えてしまった生徒。記憶からさえもその存在を消す神隠し。心霊部は総出で生徒の救出を行った【異世界エレベーター】。
延々と名前を問う不気味な声【名前】。
10の怪異譚からなる心霊ホラー。心霊部の活躍は続いていく。

湯本の医者と悪戯河童
関シラズ
児童書・童話
赤岩村の医者・湯本開斎は雨降る晩に、出立橋の上で河童に襲われるが……
*
群馬県の中之条町にあった旧六合村(クニムラ)をモチーフに構想した物語です。
稲の精しーちゃんと旅の僧
MIKAN🍊
児童書・童話
「しーちゃん!しーちゃん!」と連呼しながら野原を駆け回る掌サイズの小さな女の子。その正体は五穀豊穣の神の使いだった。
四季を通して紡がれる、稲の精しーちゃんと若き旅の僧の心温まる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる