お嬢さん、誘惑してもよろしいでしょうか?

椿野 更紗

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たかがサッカーボール。されどサッカーボール。蹴ったのが子供だったのが不幸中の幸いだった。

「仕方ない、戻るか。」

一人ぶつくさと文句を言いながらジャケットを手に立ち上がった。

出入り口には未だソーダ水売りの親子がいるかも知れない、と思ったジェフは他の出口は無いかと辺りを見渡した。
この公園は時々横を通るだけで、中に入ったのはこれが初めてだった。敷地全体を覆う芝生にぽつぽつ置かれたベンチ、二つ三つの遊具。後はフェンス近くにパームやソーセージツリー、ランタナやブーゲンビリアの咲き誇る花壇だ。出入り口とおぼしきものは、さっきジェフの入ってきた場所の他には……

ーあった。

ガジュマルの樹の影にフェンスの切れ目が見える。ジェフは縦横無尽に走り回る子供達をひょいと避けながら出口に向かった。



公園を出ると雑貨店やカフェが集合住宅やこじゃれた一軒家に混ざってぽつりぽつりと並んでいた。
喉が渇いていたが、いかんせんニセントしか持ち合わせがない。携帯電話を持っていないジェフはバイク持ちの友人を呼ぶことも出来ないので、歩いて帰るしかなかった。
この辺はヒスパニックより白人率が高い地域のせいか、見事に手入れされた庭や綺麗に飾り付けされた窓の家が多い。

ー贅沢言わないから、こういうところに住みたいな。

今から帰る寝ぐらのことを思うと憂鬱になった。洗えば洗うほどボロボロになるリネン。繕いきれないほど繕った靴下。カーテン替わりのバスタオル、掃除しても取り切れないシャワールームのカビ。
スプリングベッドなんて名ばかりの硬いベッド。それがジェフの生活の場であり、逃げられない現実だ。

子供達の声がここまで届いてくる。

ーあいつらくらいの頃、自分がこうなるなんて想像つかなかったな。

ジェフの脳裏に甦ってくるのは幸せだった子供の頃のこと。優しい父母、温かい家、楽しい友達……

フルッと頭を振って幻を払い落とす。

ー今更だ。

不意にカラフルな色が目の端に映り込んだ。ジェフがそちらに目を向けると、バケツ一杯の花々がワゴン車から降ろされているところだった。
バラやアンセリウム、マム。ホテルのロビーやレストランでお馴染みの花がどんどん降ろされていく。
よく見るとワゴン車の後ろのショーウインドーにリースや花籠がディスプレイされている。

ー花屋、か。

降ろしているのは女性らしい。ジェフからは背中しか見えなかったが、体の線は細かった。ただ女性にしては背がかなり高い。スリムジーンズが包むその足は見事に長く細く伸びていた。
頭にはスカーフをガッチリと巻き付けてあり髪の色は解らないが、手の白さから判断すると白人。
そこまで観察した後ジェフは我に返った。

ー俺、なに見てんだ?

慌てて視線を逸らそうとした時、ワゴン車からバシャンと音がした。


ハッとして視線を戻すと、女性が掴み損ねたのか、バケツが斜めに傾いて中の水が道路にぶちまけられていた。
中途半端な状態でバケツを支える彼女は一歩も動けないでいた。

「そのまま頑張って!手を貸す!」

叫びながらジェフは彼女の元に走り、バケツを車に戻した。体勢を立て直すと「俺がやるよ」とバケツを改めて地面に置いた。

「ありがとう。助かったわ」

低めの声がジェフに礼を述べた。

「大丈夫かい?濡れたんじゃない?」

ジェフの視線が彼女を正面に捉えた。
白い肌、紅い唇、高い鼻。
案の定アングロサクソン系だ。眉が金色だから髪の色も同色だろう。
だがもしかしたら混血かも知れない、とジェフは感じた。この辺りでは白人とヒスパニックの混血はそう珍しくは無い。

「ええ、少しばかり。」

そう答える彼女の綿シャツは肩からずぶ濡れだった。車の中にはまだ、三つほどバケツが残っていた。

「もし良かったら着替えてくるといいよ。あれを降ろすだけなら俺がやっておくから。」

ジェフは伝えた端から後悔した。この街で通りすがりの人間に商品の荷下ろしを、はい宜しくと任せるお人好しがどこにいる?いくらこの辺りが高級住宅街や大学に近い場所とはいえ、マイアミなのだ。アメリカの中でも犯罪率はピカイチだ。
ところが彼女から返ってきた言葉は意外にも、「お願いしても?」だった。

ジェフは落ち込みかけた気分が一気に浮上するのを感じた。

「もちろん!」

そう答え、改めて彼女の瞳を見つめた。彼女の瞳は濃い茶色、ヒスパニック系の黒い瞳だった。









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