3 / 11
*
しおりを挟むたかがサッカーボール。されどサッカーボール。蹴ったのが子供だったのが不幸中の幸いだった。
「仕方ない、戻るか。」
一人ぶつくさと文句を言いながらジャケットを手に立ち上がった。
出入り口には未だソーダ水売りの親子がいるかも知れない、と思ったジェフは他の出口は無いかと辺りを見渡した。
この公園は時々横を通るだけで、中に入ったのはこれが初めてだった。敷地全体を覆う芝生にぽつぽつ置かれたベンチ、二つ三つの遊具。後はフェンス近くにパームやソーセージツリー、ランタナやブーゲンビリアの咲き誇る花壇だ。出入り口とおぼしきものは、さっきジェフの入ってきた場所の他には……
ーあった。
ガジュマルの樹の影にフェンスの切れ目が見える。ジェフは縦横無尽に走り回る子供達をひょいと避けながら出口に向かった。
公園を出ると雑貨店やカフェが集合住宅やこじゃれた一軒家に混ざってぽつりぽつりと並んでいた。
喉が渇いていたが、いかんせんニセントしか持ち合わせがない。携帯電話を持っていないジェフはバイク持ちの友人を呼ぶことも出来ないので、歩いて帰るしかなかった。
この辺はヒスパニックより白人率が高い地域のせいか、見事に手入れされた庭や綺麗に飾り付けされた窓の家が多い。
ー贅沢言わないから、こういうところに住みたいな。
今から帰る寝ぐらのことを思うと憂鬱になった。洗えば洗うほどボロボロになるリネン。繕いきれないほど繕った靴下。カーテン替わりのバスタオル、掃除しても取り切れないシャワールームのカビ。
スプリングベッドなんて名ばかりの硬いベッド。それがジェフの生活の場であり、逃げられない現実だ。
子供達の声がここまで届いてくる。
ーあいつらくらいの頃、自分がこうなるなんて想像つかなかったな。
ジェフの脳裏に甦ってくるのは幸せだった子供の頃のこと。優しい父母、温かい家、楽しい友達……
フルッと頭を振って幻を払い落とす。
ー今更だ。
不意にカラフルな色が目の端に映り込んだ。ジェフがそちらに目を向けると、バケツ一杯の花々がワゴン車から降ろされているところだった。
バラやアンセリウム、マム。ホテルのロビーやレストランでお馴染みの花がどんどん降ろされていく。
よく見るとワゴン車の後ろのショーウインドーにリースや花籠がディスプレイされている。
ー花屋、か。
降ろしているのは女性らしい。ジェフからは背中しか見えなかったが、体の線は細かった。ただ女性にしては背がかなり高い。スリムジーンズが包むその足は見事に長く細く伸びていた。
頭にはスカーフをガッチリと巻き付けてあり髪の色は解らないが、手の白さから判断すると白人。
そこまで観察した後ジェフは我に返った。
ー俺、なに見てんだ?
慌てて視線を逸らそうとした時、ワゴン車からバシャンと音がした。
ハッとして視線を戻すと、女性が掴み損ねたのか、バケツが斜めに傾いて中の水が道路にぶちまけられていた。
中途半端な状態でバケツを支える彼女は一歩も動けないでいた。
「そのまま頑張って!手を貸す!」
叫びながらジェフは彼女の元に走り、バケツを車に戻した。体勢を立て直すと「俺がやるよ」とバケツを改めて地面に置いた。
「ありがとう。助かったわ」
低めの声がジェフに礼を述べた。
「大丈夫かい?濡れたんじゃない?」
ジェフの視線が彼女を正面に捉えた。
白い肌、紅い唇、高い鼻。
案の定アングロサクソン系だ。眉が金色だから髪の色も同色だろう。
だがもしかしたら混血かも知れない、とジェフは感じた。この辺りでは白人とヒスパニックの混血はそう珍しくは無い。
「ええ、少しばかり。」
そう答える彼女の綿シャツは肩からずぶ濡れだった。車の中にはまだ、三つほどバケツが残っていた。
「もし良かったら着替えてくるといいよ。あれを降ろすだけなら俺がやっておくから。」
ジェフは伝えた端から後悔した。この街で通りすがりの人間に商品の荷下ろしを、はい宜しくと任せるお人好しがどこにいる?いくらこの辺りが高級住宅街や大学に近い場所とはいえ、マイアミなのだ。アメリカの中でも犯罪率はピカイチだ。
ところが彼女から返ってきた言葉は意外にも、「お願いしても?」だった。
ジェフは落ち込みかけた気分が一気に浮上するのを感じた。
「もちろん!」
そう答え、改めて彼女の瞳を見つめた。彼女の瞳は濃い茶色、ヒスパニック系の黒い瞳だった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。


今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる