姫様と猫と勧進能

尾方佐羽

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<このお話は新井宿村の義民六人衆の史実に題材をとったフィクションです>

 松の亡き後、あの勧進能のことを信平に語る人物はまだいた。

 他でもない、将軍徳川家綱である。松の四十九日が済み、あいさつのため江戸城に登城した信平に家綱は遠い目をして語った。
「信平、私はお松の仕掛けた勧進能のことを今も思うのだ」
「まことに、ありがたいことにございます。その節は上様もわざわざ足をお運びいただき、木原様にお話いただいたとのこと、新井宿の検地のやり直しがなされたのはそのおかげだとお松は本当に感謝しておりました」
 家綱は静かに首を横に振った。そして、ぽつりと言った。
「かなり前のことになるが、佐倉藩の民から越訴(おっそ)がなされたこと、覚えておるか」
「あれは確か、私とお松が夫婦になった頃だったでしょうか。大分前のことにございます」
「さよう、もう二十五年も前のことじゃ」と家綱はうなずく。
「あのとき、訴え出た者は死罪、藩主堀田正信を改易に処した。老中らもそれを支持しておったし、わしも幼かったがそれが当然の沙汰と疑いもしなかった。まあ、正信は譜代の身をあっさり奪ったと今も根に持っておるがのう。領民に苛政(かせい)を強いたことへの反省はないようじゃ」

 信平は深く同意のため息をつく。

「翻って、こたびの新井宿の件、お松は領民の重すぎる負担を正すことを考えていたように思う。結果、それは成ったが公に領主を咎めることにはならなかった。木原も十分反省しておったからのう。しかし、領民にしてみれば身内なり仲間なりを殺された因縁も残ろう。これからどう折り合っていくか、難しいのではないか。一体どちらがよいのか」

 信平は目を見開いた。まさか上様がそこまでお考えだったとは、と驚く気持ちを隠せない。
 そう、お松はどうしたかったのか。信平も勧進能のことを打ち明けられたときのことを反芻してみた。
「それにお答えするのはたいへん難しゅうございます。ただ上様……お松はまた違う考えだったように思われます」
「ほう」と家綱が身を乗り出す。
「お松は、領民の声とその命が一方的に踏み潰されたことにたいへん憤りを感じておりました。当初より、公儀の沙汰を求めるというよりは領民の思いを代弁してやりたい、そんな気持ちを持っていたように思います」
「それで、死せる者の声を伝えたか。鬼気迫る白拍子の舞に乗せて」
 信平はうなずく。家綱はさらに遠い目になった。
「お松は……まことに稀有(けう)な仕事をしたのう。かれらが命を賭して直訴しようとしたことを果たしたのだから」

 家綱の話を聞きながら、信平はまた悩み始めた。
 やはり菩提を弔うためには、墓を建てねば始まらないのではないか。
 勧進能を通して民の声を伝える、それが領主の考えを改めるきっかけになる。確かにその考えはうまく図に乗った。年貢が減免され、新井宿の民にとってはいくらかの救いとなった。しかし、お松はやはり墓を建てることを最終的には求めていたのではないか。

「六名の方の、あと焼け死んだ妻子の命は今更どうしようとも取り返せませぬ」
 松がきっぱりと言い切った、あの時の言葉を信平は反芻していた。


 後日、信平が月命日の墓参で池上本門寺を訪れたとき、たまたま義姉の茶々も松の墓参に来ていた。二人はしばらく立ち話をした。周りに人がいない安心感からか、茶々は少し恥ずかしそうな顔をして信平に告白した。
「本当はね、私ずっと妹が羨ましかったのです。信平様は側室も持たず、いつも夫婦仲睦まじくて」
「そんなことは」と信平は戸惑った。
 大名として普通ではあるが、茶々の夫、池田光仲にも側室が何人かおり、それぞれ子を設けているのは周知のことだったからである。

「勧進能のことだってそうです。なぜ私にはじめに頼みに来ない、道成寺は大嫌い、知りもしない土地のお社でやるなんてと散々言いましたが、その実はひがんでいたのです。お松がやると言えば、兄上も信平様も喜んで力を貸すでしょう。それが羨ましくて、つい憎まれ口を叩いてしまったのです。こんなに早く逝ってしまうのなら、今後悔するぐらいなら、なぜもっと早く優しくしてあげられなかったのか」
 そう言うと、茶々は声を詰まらせた。目には涙を浮かべている。

「義姉上、お松は決してそんな風に思っておりませんでしたぞ。義姉上は幼き頃の怖い思い出があり蛇は大嫌いだと。だから道成寺は見る気にならないのだと根っから信じておりました」と信平が優しく慰める。
「ありがとう、信平様。あなたと話していると、何やら肩の荷が下りる心地です」

 信平はうなずきながら茶々を見た。
 同じ年のせいだろうか、義姉は松を可愛く思いながらも、一方で羨んでいたのだ。おそらく幼少の頃からそのように思ってきたのだろう。大藩の正室になって采配を振るうようになっても、寺に多額の寄進をして大檀越となっても、なお勝ったとは思えなかったのだ。
 茶々は赤子のうちから母の側で厳しく育てられ、松は紀州でのびのびとした子ども時代を過ごした。それが二人の性格をつくるのに大きな影響を与えたのかもしれない。
 松はそれにとうに気づいて、その上でしっかり者の姉を尊敬していたと信平は思う。松が茶々のことを悪しざまに言うのを信平は一度も聞いたことがなかったからである。それも姉妹の深いつながりの形であると思えた。

 茶々は少し落ち着き、信平に見せたいものがあると紀州徳川家の墓所から離れた山門の右奥へ信平を導いた。
「殿からも許しを得ましたの。これが私のお墓です」
「おおっ!」
 信平は思わず仰天の声を上げた。

 生前にみずから建てる墓を逆修墓(ぎゃくしゅうぼ)という。仏教の在家信者が積む功徳(くどく)の一つとされている。茶々の場合は池田家に嫁いでいることもあり、独立した墓所を設けることになったのである。大檀越にふさわしく、彼女の母瑶林院がかつて寄進した妙見堂の裏手に土地が宛てられていた。

 信平が驚いたのはその広大さであった。
 十間四方、いやそれ以上あろうか。堀が二重に囲んだ中に立派な墓が建てられていた。墓石も大きければ周辺にも十分な広さがある。大名家の正室の墓としては、いや大名の墓としても破格の規模であることは疑いない。
「こちらはまるで城の堀のようですな。内堀、外堀があるとは」と信平は感嘆の意を込めて言った。
「滅相もない。蛇よけですわ」と茶々はいたずらっぽく言う。
「蛇よけ、ですか」
 信平が目を丸くしているのを見て、茶々はクスクス笑った。
「冗談ですよ。水など張ったらぼうふらが湧きますし。ここは少々人の往来もありますから、あまり気安く入られたくはないのです。まあ、蛇より人よけかしら」

 信平は茶々の無邪気な様子を見て、くつろいだ気持ちになった。
「ところで義姉上、こちらの正面はどこになりますでしょうか」
 茶々はよくぞ聞いてくれたとばかり、立て板に水のごとく話し始めた。
「分かりにくいでしょう。ほら、手前を正面にするのが自然なのですが、それではお参りされた方が本堂や紀州の墓所に背を向ける形になるでしょう。ですので、あえて奥を正面として回りこんでいただくような形にしたのです。私のお墓が本堂を向いたさまで見ていただけるようにしたかったのです。そういうことをこまごまと考えられるのが逆修墓のよいところでしょうか」
「なるほど、妙案です」と信平は感心して言う。
 手前が裏で奥が表か、墓の向きを決めるにもいろいろな理屈があるものだ。
 満足そうにうなずく茶々を微笑ましく眺めていた信平だったが、突然の天啓を受けるがごとくはたと気付いた。
「そうか、その方法があった!」
 信平は茶々に突然頭を下げた。
 茶々は驚いて、「え、いかがなされました」と返した。
 信平は晴れ晴れとした顔で、「ようやく道が見つかりましてございます」と告げた。
 茶々は何のことか分からず不思議そうに信平を見ていた。


 信平はそれからすぐに取って返し、善慶寺に赴いた。信平の突然の訪問を受けた住持日応は、話を聞いて思わずごくりと唾を飲んだ。そして見開いた目から、まばたきもせず、はらはらと涙を流した。
「奥様の勧進能のみならず、そこまで六人のことを思っていただけるとは」
 信平はうなずいた。
「わが妻はこれをこそ望んでおったのです。私の考えはまだ足りないかもしれませぬが、今できる最善の策と考えております」

 日応ははらはらと涙を流したまま、信平に語りはじめた。
「異論のあろうはずがございません。よくぞ本寺にお申し出くださった。何を隠そう、木原家への最初の訴状を起筆したのは先代の住持日宣なのです」
 信平は驚かなかった。
 日応が勧進能に終始協力的だったことは松からの文で知っていたからである。表立って動けないものの、村人に深い同情を寄せていたことは十分察することができた。
「先代の行ないに習うべきと、こたび私も六人とともに直訴状を起こしましてございます。しかし、あのようなことになった上に、六人の弔いもできずただただ悔いるばかりでした。それに比べて、松姫様の勧進能は素晴らしかった。村の皆をまた一つにしただけでなく、私の心も救ってくれたのです。その上、ご夫君の松平様にまでこのようなお申し出をいただけるとは」
 そこまで言うと、日応はおいおいと泣き出した。
 信平は鼻がむずむずとして、この住持につられそうになっていたが、咳払いひとつで何とかごまかすことができた。
「それでは、こちらも仕度を整えてまいります」
 日応はおいおいと泣いたまま、うなずくばかりだった。

 それから少し後に、竹やぶに埋められた六人の遺骸を掘り起こす作業が密かに行なわれた。
 朝から市兵衛や藤八郎を含む村の男が、十人がかりで奮闘した。埋められてからすでに二年弱、すでに骨しかない体はバラバラになっていたが、皆宝物を扱うように骨をひとかけらずつ丁寧に拾い、きれいに洗って大きなのり甕に納めていった。そのまま土葬にせず、甕に納めるように勧めたのは日応だった。
 かつて宗祖日蓮が臨終の際、自らの亡骸を甕に詰めて身延山に届けてほしいと言い残したという故事にもとづき、六人の義挙を密かにでも永く残したいと思ったからである。

 いずれにしても、六人の遺骨はこうして納められたのである。


 それからしばらく後、新井宿の善慶寺に新しい墓が建立された。
 表向きは村人間宮藤八郎の父母の墓であり、一見何の変哲もないように見えるが、いささか他とは異なっていた。
 表側の水受けの穴はよく見ると内部が繰り抜かれ全周に溝が掘られている。その溝は表側から裏側にかけて下り傾斜がつけられており、注がれた水は墓の裏側に流れるようになっていた。その裏側は人が回り込めない。誰の目にも触れないその裏側には、
       嘯慶 道春 宗圓 是信 賢栄 椿葱

 すなわち鈴木大炊助、間宮新五郎、間宮太郎兵衛、酒井権三衛門、平林十郎左衛門、酒井善四郎の名が刻まれていた。
 これは六人の墓であった。
 村人はようやく六人を悼み、供養する場を得ることができたのである。


 表向きは藤八郎の父母の法要が行われた日、信平もこっそりと寺を訪れた。
 木原家の面々とはほとんど顔を合わせたことはないので気取られる心配はなかったが、町民風に紺のありふれた着流し姿である。もちろん髪も町人風に整えてある。そこまでしても、墓の完成を見届けたかったのである。
 それを見つけて素早く寄ってきた者がいる。間宮藤八郎である。
「ようこそお越しくださいました。おかげ様で墓も立派に建ちましてごぜぇます。皆ほんとうに言葉にゃできねぇぐれぇ感謝しておりやす。どうか、墓を見てやっておくんなせぇ」

 藤八郎は信平を墓に招いた。この前見た茶々の墓所とは比べようもなく質素であるが、香煙たゆとう中人々が引きもきらず訪れている。如月の昼は陽光もいくらか暖かい。早春の花、干し魚、饅頭など、それぞれが精一杯の供えをし、静かに手を合わせる姿には熱く胸に迫るものがあった。脇には題目講への寸志を募る籠が置かれ、小銭が入れられている。信平は銭を丁寧に納めてから、列の最後尾に並んで墓前に手を合わせた。
 それを待ちかねていたかのように藤八郎が話しかける。
「どうか、熊野社の舞殿もご覧くだせぇ。紀伊様のお差配できれいにしていただきました」
 熊野神社の石段を登ると、そこにはこじんまりとした舞殿が現れた。
 舞殿から横を眺めると富士山もきれいに見渡せる。
 小山には松が堂々とした姿を見せている。あちらが八景坂の松か、見事なものだ。信平はしばらく景色に心を奪われていた。

「ほんに落ち着いた、ええ場所や」 

 信平もくだけた調子になって感嘆の声を上げる。
 お松はここを見て、勧進能を思いついたに違いない。だとすればやはり、すべてが熊野権現のお導きだったのかもしれぬ。
 藤八郎が辺りに人がいないのを確かめてから言う。
「松平様、あの墓をお考え下さって、全部世話して下さったのはあなた様だったと伺いました。素晴らしいお考えでごぜえます。あっしの父母を表にすること、二つ返事でお受けしました」
「いいえ、妻は六人の菩提を弔うことを最期まで気にしていました。思いついたのも妻の差配でしょう。それを私が代わりにしただけのことです」

 信平はふたたび舞殿を眺めた。勧進能を見ることができなかったのが心残りだった。
 お松、私もおまえとともに猿楽を見たかった。ほんに私のしたことはお前の意に叶ったんか。信平は心の中で語りかけた。

 すると、どこからか猫が現れてにゃあと鳴きながら信平の方へゆっくりと向かってきた。
 目を細めて藤八郎がいう。

「奥様は初めてこちらにおいでになったとき、あの猫を抱いておられました。誰にでも懐く猫じゃねえんですが、奥様のほうには進んで寄ってきまして」

 足下まで来た猫を、信平はかつて松がしたように、ひょいと抱き上げた。

「そう……そうか」

 信平は猫をしばらく抱いたまま、目を閉じてそのぬくもりを感じるにまかせていた。

(「姫様と猫と勧進能」おわり)
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