NINE inch stories

尾方佐羽

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ぷくぷくよ、靴下を高々と揚げよ〈1〉

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 19××年6月、Y市で起こったできごとがそれなりの注目を集めていた。

 扱いとしては、6大紙の地域欄(ベタ記事)が1件、ラジオ局のレポートが1件、ラジオ番組出演が1件、あと、タウン雑誌の取材(筆者はこれで事件を知った)、町内会のかわら版である。平たく言えばローカルニュースなのだが、私は非常に興味深く感じた。

 タウン雑誌の記事に加え、周辺で聞き取りをして、この件を私なりにまとめてみる。

 きっかけは、市内の三日月中学校の慣習である。
 この学校では、1年生女子は白いソックスを折らなければいけないという慣習があった。

 生徒手帳にある校則では「白いソックスを着用」という記載しかない。

 どれぐらい前からの慣習なのか明らかになっていないが、卒業生への聞き取りによれば、10年前にはすでにあったようだ。オイルショックと関係があるのだろうか。

 ソックスを折るのは、表向き、「上級生への礼を尽くすため」とのことで、このご時世に珍しく古風な理由だった。
 実際はソックスを折らないと、「反抗的な1年生」というレッテルが貼られ、その筋の上級生から放課後に「呼び出し」を食らうというのが通例となっていた。それはソックスを折るまで続けられる。

 ソックスを折るか、別のものを折られたいかということである。

 これに疑問を持つことは長く許されておらず、教師も黙認していた。

「まぁ、生徒が自主的にやっていることですし、校則違反でもないですし」
 
 その年の新入生の中に数人、その慣習を知らずに来た女子がいた。回りの新入生たちはこぞって、彼女らにソックスを折るよう忠告する。

「折らないと、目を付けられるよ」

 それを聞いた該当者は慌ててソックスをくるくるっと折り曲げたが、1人だけそれに躊躇(ちゅうちょ)する女子がいた。反抗心旺盛だったわけではない。自前のソックスが短すぎて、折るとくるぶしまで丸出しになってしまうのだ。

「カッコ悪いなぁ、私脚太いし……また新しいの買わなきゃダメかな」

 その女子は泣きべそをかいた。その家庭には3人の弟妹がいて、家計は火の車。制服を買ってもらうのも心苦しかったというのだ。しかも別地域の小学校から来たため、「ソックスを貸して」と気安く言える友人もいない。

 その女子がいる1年3組、名字が「あ」行と「さ」行ではじまる、要は近くの席の女子たちがその話を聞いていた。

 1学期はじめは「あいうえお」順で席を並べるのが通例である。

 なぜかそこに、名字「は」行の女子が1人寄ってきた。
 天然だと言い張っているが、くりんくりんのパーマに脱色の跡が著しい茶髪である。体重はおそらく30kgほどであろう。なぜそんなに痩せているのかは記すのを控えたい。スカートは床に付くほど長い。指定のブラウスではなく、白いハイネックを着ているところが渋すぎる。目付きは震え上がるほど鋭い。知り合いでなければ避けて歩きたくなる偉容である。

 その「は」行の女子がやってきて、「あ」行の女子の1人に言った。

「確かにさぁ、校則じゃないよね、これ」

「あなたは校則をワープしてますから!」
 とクラスの大半の生徒が心の中でつぶやいたに違いない。

「あたしもさぁ、これ何か違う気がするんだよね~」

 発端となった女子は困り果てた顔になる。
「あ、あの……私のせいで何か問題になっちゃうのは何だし、買ってもらうようにするから」
 「は」行の女子はニコリと笑った。前歯が1本欠けている。そして発端女子のおかっぱ頭をクシャクシャになでた。

「おまえ、ぷくぷくでかわいい。何とかしてやるから、ちょっと待ってて。明日はこれを履きな」
 そう言うと、「は」行の女子はおもむろに自分のソックスを脱いで発端女子に渡した。受けとる方はかなり引いていたが、仕方のないことだろう。


 この中学校に来るのはひさかた小学校、あしひき小学校の出身者が大半だ。

 「は」行の女子、今後は愛称の「天パ」と記載するが、彼女はひそかに両小学校まんべんなく、1年の主要人物に召集をかけた。もちろん下校後、近隣の奥まった空地に17時30分集合である。

 この頃はLINEなどあるわけがないので、人による伝言である。それでも時間と場所ぐらいは伝わる。

 この時間設定には理由がある。18時30分に夕食がはじまる家もあるし、何よりテレビでアニメが始まる時間でもある(某熱血スポ根もの)。そろそろ魔球が生み出される回である。ここまでに男子はまず帰るだろう。
 限られた時間でパパっと合意をはかるには絶好のシチュエーションである。

 集まったメンバーは以下の通り(順不同)。まさにエース級の顔ぶれである。ひとつの共通点といえば、卒業生か上級生にきょうだいがいることだろうか。1年1、2、3組からそれぞれ3人ずつの陣容だ。

【ひさかた小学校出身者】
・天パ 男女を問わず、裏表を問わず、ボス。女子。容姿はさきに述べた通り。
・アタッカ 小学校からバレーボールの名手。マイペースなB型、よく寝ている。女子。
・ゲタ ひさかた小前生徒会長。坊主頭のゲタを履いたような顔、尊敬する人物はガンジー。男子。
・めだま 美形なのに行動が大味。声も大きい。面倒見がいい。格好はふつう。天パの親友、女子。
・アイドル 呼び名にたがわず美形。付き合った女子は数知れず(との噂)。男子。

【あしひき小学校出身者】
・おきく なぜか艶っぽい。にらみはメデューサ並みで大変怖い。あしひきを陰で仕切る。女子。
・メカ あしひき小前生徒会長。機械を自作するのが趣味だがスポーツもいける。万能のモテ理系男子。
・かえる あしひき小前生徒副会長。学業優秀だが乗り物酔いがひどいため、私立に行かなかった。理系女子。
・眉なし 一般人に対しては非常に温厚かつひょうきんだが、キレると無敵。無駄な戦いを回避するに十分な知性がある。男子。

 通常、二つの小学校の生徒どうしがツーカーということは少ないと思うが、ひさかたーあしひきラインは事情が異なる。生徒数が少なかったので、プールなどの体育交流や文化交流、あるいは私的なガチ交流などがところどころにあったのである。

「何かあった? この取り合わせ」とかえるがいう。
「うん、これから話す」と天パが簡単に昨日の教室のやりとりを説明する。

「それで? その子に靴下あげる?」とアイドル。

「いや、そんな生ぬるいことはしない。ソックスは上げさせる。だからおまえらに集まってもらった。考えたことを聞いてほしい」と天パが断定口調で切り出す。

 一同はゴクリと唾を飲んだ。



 翌日学校で、天パは発端になった「あ」行女子、ぷくぷくの席に寄っていった。失礼ながら便宜的なものなので勘弁してほしい。ぷくぷくは天パににっこりと感謝のことばを告げた。

「昨日は本当にありがとう。おかあさんに話したらね、帰りに2足買いなってお金もらった。ソックス、今日だけ借りるね」

 天パはそのシーンを思い浮かべた。
 小さいきょうだいがギャーギャー喧嘩やらお漏らしで泣き叫ぶ中、共働きの母親はパートから帰り着替える間もなく夕食のしたく。そんな状況の中、ぷくぷくは申し訳なさそうに、消えそうな声で母親に告げたに違いない。

 天パは目に涙を浮かべた。人情家らしい。鼻水をすすって、天パは言った。

「ぷくぷく、大丈夫。用意したソックスを無駄にさせるようなことはしないよ。1足だけ買って、釣りは母ちゃんに返すんだ。私のをしばらく貸す。それでゴールデンウィークまで何とか持つだろう」

「え……でも……」

 よく意味が分からず戸惑うぷくぷくに天パは笑って言った。

「いいから、任しときなって」



 ゴールデンウィークを翌日に控えた4月28日、帰りのホームルームを待つ生徒を前に、天パは教卓にグーを振りおろした。竹刀などは持っていない。そんなもの一般人相手に見せることもない。

「みんな、ちょっと聞いて!」

 一同が注目する。
「ゴールデンウィークと開校記念日明けの5月9日、みんなにしてほしいことがある」
 みんなはキョトンとしているが、空地にいたメンバー、めだまとメカは済ました顔をしている。

「女子、ソックスを上げるんだ。折らなくていい。登校時に怖いと思ったら、学校に着いた後でもいい。男子、ソックスを上げている女子を見たら、側についてくれ」

 一同はザワザワしはじめた。めだまが自席で立ち上がる。
「1年だけソックスを折るって校則にはないよね。おかしくない? みんな、1年我慢すればいいって思ってるかもしれないけど、そんなの私たちで終わらせようよ」

 メカも続けて立ち上がる。
「男子にはそんな風習はない。女子はそうなのかって、ひとごとだと思ってるよな。俺もそう思ってた。でも、天パの話を聞いた。それは間違った考えじゃない。だから、男子も出来る限り協力すべきだと思う」

 みんなが熱心に耳を傾ける中、ぷくぷくは青くなっていた。自分のソックスが短いことで、こんな大ごとになるなんて。そう思っていた。

「協力してくれる人?」
 全員が手を上げた……と思ったら、ぷくぷくは青い顔で泣きそうになっている。
「悪いよ、そんな、わたしのせいで……」

 メカが続けて言う。
「ぷくぷく、確かにおまえはきっかけだ。でも、おまえのせいじゃない。すごいよ。天パを一瞬で動かすんだから。おまえはひさかたでもあしひきでもないけど、1年3組の立派な一員だ」

 ぷくぷくは真っ赤になったが、それは恥ずかしいからだけではなかった。メカにそう言われて、キュンとしない女子はいない。

「よぉし、ぷくぷくがOKなら決行だ! やろうぜっ。ただし、これは家族にも漏らさないように」と天パが言う。


 1組と2組はどうだったのだろうか。

 その日の夕方17時30分に、またも9人は集まっていた。この空地には土管がないので、臨場感にやや欠けるが仕方ない。腰かけるものがないと、しゃがむしかなく長時間の打ち合わせにならない。効率的だ。世の会議もそうしたらいいと思うが。

「どう?」と天パが手短に聞く。言葉も最小限だ。

 1組はアタッカとゲタとかえるの担当だ。
「OKだよ。ゲタの演説が長かったけど」とかえる。
「話は手短にしないと」と天パ。
「そうだよ、私寝ちゃったよ。あんまり話長くて」とアタッカ。

「やっぱり、非抵抗、非暴力ってところは強調しないと。それに、ジョージ・オーウェルが描いた管理社会を現実にしないための大切な一歩だし……」云々とゲタ。

「1984読んでる人なんていないからね、たぶん。私は分かるけど」とかえる。

「ふわああああ……わかんない。でもみんな乗るってさ」とアタッカ。

 天パにもジョージ何とかは分からないが、問題はないようだ。「了解、2組は?」とスキップした。

 2組はおきくとアイドルと眉なしの担当だ。なぜか眉なしが説明役だったらしい。おきくが天を仰いで、いや頭を抱えている。

「こいつ、脱線しまくりだよ。これを機に剃りも認めさせようだの、原付ぐらい乗せろだの。そりゃ法律の話だって。最後に、ボクに清き一票をって締めやがった。選挙か」

「大丈夫だよ。僕が呼びかけたら全員が手を上げてたから」
 アイドルが笑いを堪えながら付け足した。

「あたしの出番なかったし」とおきくが不満げにつぶやく。

「まあまあ、おきくには後で出番あるから」とかえるがいう。
「戦闘要員じゃん」とおきくはまだ不満そうだ。

「はいはい、みんなよくやったよ。あとは5月9日を待つだけだね」と天パが笑う。
 そこで不思議そうにメカが言う。

「でもさぁ、よくこんな綿密に考えたもんだよなあ。天パがそこまで策士とは、正直意外な……」
 天パがニヤリとする。
「ぶわぁ~か、あたしが一人で思いつくわきゃないだろ。眉なしとの合作だよ」

「ええええええええええええーっ!」

 一同の声が茜空にこだまする。ノラネコがびくっとして逃げていった。
「ね、眉なし」と天パが言うと、眉なしは片隅でべったりとしゃがみこんでいる。鏡を見ながらリーゼントをクシで整えているのだ。そして注目する一同の前で独りごちた。

「早く鼻の下にヒゲ生えねーかな、俺まだワキ毛も生えてないし、下の方も……」
 すかさずおきくがダッシュして、眉なしをはたき飛ばした。

「何すんのよぉ、私、女優なんだからぁ」と眉なし。こういう台詞がすぐ出てくるところが、もしかしたら賢いのかもしれない。
「レディの前で言うことか?」とおきくがにらむ。
「きゃあ、コワあい」

 一同は二人を放ってそそくさと解散する。

「賽は投げられた」
 立ち去るゲタがつぶやいたが、もう誰も聞いていなかった。

(つづく)
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