パスカルからの最後の宿題

尾方佐羽

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答え合わせの時間

フェルマからの手紙

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 アルテュスは続けて、フランス・トゥールーズの弁護士かつ数学者のピエール・ド・フェルマからの手紙を読み始める。
 シャルロットはアルテュスが先ほどまで読んでいたホイヘンスの手紙に目を通している。ホイヘンスはオランダ人なのに、フランス語でよく手紙がかけるものだと感心する。

 学者にとって語学は基礎科目であった。ラテン語は必須であったし、必要があれば交流する国の言語を習得するのも珍しいことではなかった。これは今でも似たような状況だろう。論文を英語で書くのは普通のことである。ラテン語が英語になったということだ。

 言うまでもないが、フェルマからの手紙はフランス語である。

<アルテュス・グフィエ・ロアネーズ公爵閣下、

 乗合馬車事業が成功を収めているという噂は、ここトゥールーズにまで聞こえております。聞こえているばかりではありません。わざわざトゥールーズからパリまで出かけて行って、乗合馬車に乗ったと自慢げに話す人も少なくありません。その脇で私がどのような顔をしているか、公爵閣下には決してお見せすることはできません。

 そうです。まさに、「苦虫を噛みつぶしたような」顔で聞いております。

 いや、それは冗談ですが、ブレーズ・パスカル君の遺志を継いでおられる公爵閣下には、まず私個人としても感謝を申し上げたいと存じます。国王陛下の勅許を受けて認可され、軌道に乗せるというのは、実にたいへんなご苦労があったことでしょう。私の体調が許してくれれば、パリまで出かけて乗合馬車に乗ってみたいと熱望しております。しかし、生前のパスカル君にも手紙を書きましたが、たとえ長距離馬車を乗り継いだとしても、私はその振動に耐えられないほど体力を失っております。

 本当に、クレルモン・フェランに滞在していたときのパスカル君に会えなかったことが悔やまれてなりません。彼はきっと、乗合馬車のアイデアを、長く温めていたに違いないのです。パスカル君の手紙を読み返して涙しております。
 本当に早すぎる彼の死が無念でなりません。

 彼は思考するために生まれたような人間だったと思います。ひとつのことをどんどん展開し、誰もがたどり着かないようなところまで進んでいく。もちろん、父上のエティエンヌ・パスカル氏が幼年の彼に与えた影響は大きかったと思っておりますが、それだけではない。
 彼は生まれながらの天才だったと思っております。

 さて、何ゆえパスカル君がこの事業を思い立つに至ったのか、というご質問を閣下よりいただきました。
 たいそうな難問でございました。おそらくは整数の問いに対する解を求めるよりも難問でした。いろいろな命題が浮かぶのですが、どれも的を射る正解ではないように思えて、ずいぶん悩ませていただきました。
 その上で、私がこれではないかと想像したことをお知らせ申し上げます。

 彼は、パリの街に大きな図形を描きたかったのではないでしょうか。それは循環路線が開通したと聞いたときにふっと考えたことがありました。パリという街の中心地を囲む大きな円、そしてその円周上に接し、また交差するように1点からまた1点を結ぶ路線。おそらく閣下はパスカル君が描いた路線図をお持ちかと存じますが、一度それをご覧になってみてください。これまで、私やパスカル君が取り組んできた円錐曲線の問題で描いてきた図に似てはおりませんか。
 数学に堪能な公爵閣下ならば、よく理解いただけるのではないでしょうか。
 その意味ではセーヌ川の川幅も円周の一部であり、川の流れる様も円を横切る2つの曲線になるのです。これはパスカル君が解いてきた問題を、パリという大きなカンバスに描いたものだと思いました。何と大きな図形でしょうか。

 ただ、その答えだけでは閣下に呆れられてしまうかもしれません。もう1点あげておきましょう。

 ポンヌフ橋の建造にも見られますように、パリもどんどん姿を変えていると聞いております。増大していく市民が十分に暮らしていくだけの機能を持たせるには途方もない労力と資金が必要です。その一環として、パスカル君は乗合馬車を位置付けたようにも思えます。馬車を走らせることだけが目的ではない。どんどん新しくなる町にまず人々の流れを作るのが目的だったのかもしれません。

 もし彼がもっと生きることを許されたなら、公爵閣下とともにまた町を発展させる新たな事業のアイデアを出したかもしれません。どう考えても、私にはこれがパスカル君の最後の夢だったとは思えないのです。もっと大きな計画の一端に過ぎなかった。

 いずれにいたしましても、パスカル君にその話を聞く機会がなくなったことは、厳然たる事実です。
 公爵閣下、パスカル君からの宿題はそのように考えるべき性質のものではないでしょうか。そうすれば、私たちは引き続きパスカル君の思考の跡を追うことができるのです。

 私はそう結論づけた自分を子どものようだと思いましたが、微笑みを持ってこの答えを閣下に献呈したいと存じます。

 とは言いましても、世界に類のない事業を運営するのは困難も多いことと存じます。末永く事業が繁栄の道を進まれますことを願ってやみません。

ピエール・ド・フェルマ拝>


 アルテュスも微笑みを浮かべた。
 シャルロットは兄の持っている手紙を見たくてたまらなくなった。
「お兄さま、わたくし数学は分かりませんけれど、フェルマさまのお手紙も拝見したいわ」

 アルテュスは笑いながら、「大丈夫、さほど難しいことは書いていないよ」と言って手紙をシャルロットに渡す。椅子に腰掛けてその手紙を読み始めようとするシャルロットに、アルテュスは機嫌よく告げた。

「シャルロット、明日僕は仕事を休む。一緒に乗合馬車に乗ってみないか」
「え、外に出てよろしいんですの?」とシャルロットは驚いて顔を上げる。
「一緒に行こう」とアルテュスは立ち上がる。


 ピエール・ド・フェルマはこのときから2年数ヵ月後、1665年にこの世を去った。
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