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5ソルの乗合馬車

国王ルイ14世も乗り気になるが

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 パリの乗合馬車、通称『5ソルの馬車』(les carrosses à cinq sols)はこの上なく順調にリュクサンブールを発車した。

 アルテュスは何よりも、この場にいるべき人間がいないことがたいへん悲しかった。

 ブレーズ・パスカル。
 彼がすべての発端であり、計画者なのである。それなのに、この場に来ることができない。

 アルテュスは試運転のとき、ブレーズが青白い顔をしていたのを思い出していた。彼はこれまで、数え切れないほど具合を悪くしてきたし、その都度安静に過ごして回復してきたのを知っている。なので、今回もそうであることを堅く信じていたのだ。
 ただ……あのときの青白く血の気のない、生者でないような顔はアルテュスも初めて目にするものだった。

 一方、ブレーズの代理としてリュクサンブールに出かけたペリエ夫人はこのときの晴れやかな様子を、出資者の一人であるポンポンヌ氏に誇らしげに手紙に書いている。
 病床のブレーズにも、見たままのことをーー多少色をつけてーー話したのだ。しかし、弟はかすかに微笑んで、かすかにうなずくだけだった。

 ブレーズの姉、ジルベルト・ペリエが手紙に書いた様子も含めて紹介しよう。

 三月十八日の朝七時に乗合馬車開業のセレモニーが開かれた。
 サン・タントワーヌ門に三台の馬車、四台がリュクサンブール宮殿の前に待機している。リュクサンブールには法服のパリ上座(シャトレ)裁判所警視(コミッセール)が二人、宮廷裁判所長の衛兵四人が控え、十人以上のパリ市警官(アルシェ)と同数の騎馬警官がついている。その中で二人の警視が開業を布告し、乗合馬車の事業内容を説明した。
 そして、ブルジョワ(上流階級)たちに事業への協力を求めるとともに、すべての民衆に対して、「どのような些細なものでも喧嘩口論をするならば厳罰に処されるであろう」と釘をさした。

 群集は夥(おびただ)しい数にのぼっていた。人が集まりすぎるとどのようなことになるか歴史は多くを教えてくれている。治安の維持というというのは、パリの行政側にとって、たいへん重く見るべき問題だった。
 しばらくは警察が馬車のルートに重点的に配備されることになる。
 それは、ブレーズが当初計画で予想しきれなかった点かもしれない。
 パリ中の人々が集まったようだと人々は噂するのである。

 御者にそれぞれ、国王の紋章付きの騎乗マントが下賜された。
 馬車が軽やかに出発する。そして七分半ごとに馬車が出発していく。

 ペリエ夫人は乗合馬車の開業が順調に始まったと記しているが、彼女自身はあまりの混雑のために、この日は馬車に乗ることができなかったらしい。何も書いていないからである。彼女は残念ながら、来賓扱いとはならなかった。

 現代でも開業初日であるとか記念日、ラストランなどでよくある現象である。人間の心理と言うのはそうそう変わるものではないらしい。
 この場合、その熱狂はしばらく続いたようだ。人々は広い広場はもちろん、沿道やポン・ヌフ橋にずらりと陣取り、馬車の通過を見守り歓声で迎えたのである。

 さて、開業日は断念したが翌日こそ馬車に乗ろうとしたペリエ夫人である。彼女は短い区間だけでも乗車しようと試みたが、来る馬車すべてが満員だった。そして、数日を空しく過ごした末に、五台待ってようやく空席のある馬車に乗ることができたのである。五台待っても四十分ほどなので、待てないほどの時間ではない。
 そのようないらだちに起因するのだろうが、ペリエ夫人はこの点についてだけ不満を述べている。
 それでも、今日の都市のバスと同等の時刻表で運行したのだ。十分な賞賛に値するだろう。

 アルテュス・グフィエ・ロアネーズ公爵は自分が全面的な責任を持つ事業が盛大に、順調に回りはじめたことに安堵していた。
 何人かの人間を使って煩雑な事務は任せていたのだが、アルテュスが共同経営者とともに相談して決めなければならないことも山ほど出てきた。この乗合馬車を見て、民衆からは、「自分たちの街にも乗合馬車を開通してほしい」という声がたくさん寄せられる。
 民衆だけではない、国王ルイ十四世からも、「自身の希望する路線があるので至急検討するように」という命を受けた。為政者というのは往々にしてそのようなものだが、馬車の路線ぐらいならばまだ可愛い部類かもしれない。

 アルテュスはてんてこ舞いになった。そして、ブレーズになかなか会いに行けなかった。三月十八日の様子については、ペリエ夫人が細大漏らさず伝えただろう。それは安心している。アルテュスはブレーズに事業報告をし、今後について相談をしなければならなかったのだ。

 開業の前後から、ブレーズの体調はどんどん悪化していた。
 五月にアルテュスがブレーズの家を訪れたとき、彼は休んでいたようだった。外にまったく出られないのか、顔色は紙のように白かった。親友の体調は坂を転がるような勢いで悪くなっているのだ。アルテュスはそう痛感せざるを得なかった。

「どうする? 長く話すのが辛ければ、文書にしてきみに報告するが」とアルテュスは告げる。
「どちらも大した違いはないよ、アルテュス。横になっていてもいいかい? 母親が子どもを寝かしつけるように話してくれないか」
「了解」とアルテュスはうなずいた。

 ブレーズの体調は六月に入ってさらに悪化した。六月十九日はブレーズの三十九回目の誕生日だったが、家族でそれを祝えるような状況ではなかった。病人は十日後には自宅からペリエ夫人の家に移され、医者が何人もその扉を叩くこととなった。
 考えうるだけの治療と投薬がなされたこと、それに効果がなかったことは、はじめに書いた通りである。

 それ以降、アルテュスは数回見舞いに赴いた。七月に入ってしばらく小康状態が続いたとき、ブレーズとまとまった話をすることもできた。
 この時には乗合馬車の各路線の営業について話をした。細かい問題についてブレーズが知る必要はないと思ったので、アルテュスは事業がたいへん順調であるということを簡潔に述べて、主に今後についての意見を求めた。
 ブレーズはほとんどものを食べられない状態が続いていたのでやせ細っていた。そしてやはり紙のような顔色をしていた。げっそりとこけて、いっそう白くなっている。病人は寝台に腰掛けた状態で、ほんの少しだけ視線を天井に向けている。

「そうだね……新しい路線のアイデアはまだまだあるんだけど、教えるのはやめておこう。僕は結局、計画を作ったり多少の準備をしたぐらいだけど、本当にたいへんな作業は全てきみに押し付けてしまったからね……これ以上きみに迷惑をかけることはしたくない」

 アルテュスは首を横に振る。
「そんなことを僕が思うわけがないだろう。これはきみが考えて、僕が実行していることなんだ。それでいいんだ」

「ありがとう……」とブレーズは言って、じっとアルテュスの目を見ていた。

 それが彼ときちんと話した最後だった。
 八月七日にブレーズは遺言書をしたためている。胃の症状に加えて割れるような頭痛が彼に襲い掛かるようになった。それが彼の思考も奪い去ってしまったようだった。十七日には発作的な痙攣がやってきて、看病しているペリエ夫人ももう駄目だと思ったと言う。翌十八日にほんのわずかの時間だけ彼は痛みから自由になった。この間に彼は聖体拝領を受け、すべての仕度をととのえた。痛みと痙攣はその直後に再開し、それは彼の心臓を止めるまで続いた。

 一六六二年八月十九日、ブレーズ・パスカルは永遠の眠りについた。
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