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ブレーズ・パスカルの死
マルグリットの奇跡
しおりを挟む公爵家令嬢シャルロットの激情が発端となった事件とは、どのようなものだっただろうか。
それを語り起こすには少し脇に逸れることになるが、前の世紀、十六世紀の宗教改革からはじめたほうが分かりやすいかもしれない。
十六世紀、ルターやカルヴァンが新教(プロテスタント)運動を唱え始めたことに端を発する「宗教改革」の嵐がヨーロッパを席巻した。そしてローマの教皇庁(旧教、カトリック)が対抗するために新しい修道会を全面的に支援する。
十七世紀のフランスではその新しい修道会が大きな勢力を持っていた。イエズス(ジュズイット)会である。彼らは東洋布教のため、続々とインド、タイ、フィリピン、マラッカ、日本に拠点を築くようになっていた。そして、最後の牙城とでも言うべき、中国大陸への布教も宣教師マテオ・リッチらによって、軌道に乗りはじめていた。
貿易活動あるいは軍事活動に乗じる形での布教活動によって、イエズス会はそれまでの修道会、フランシスコ会やドメニコ会を凌駕してあまりある勢力を築いたのである。会員は激増し、ヨーロッパにもどんどん拠点を築いている。
飛ぶ鳥を落とす勢いのイエズス会は必然的にカトリック教会とそれを支持する国での発言力を強め、波及していく。もともとカトリックを重視してきたフランスも同様で、イエズス会は主流の位置にあった。
その一方、別の潮流も現れる。
十六世紀後半のフランスで起こった「サン・バルテルミの虐殺」は旧教徒が新教徒を弾圧した事件だったが、新教あるいは新しい思想の側に立つ層は根強く残っていて、高位の貴族にも支持する者が見られた。
十七世紀に入って、オランダの神学者、コルネリウス・ヤンセン(ジャンセニウス)はカトリックを基盤にしつつも、神の恩寵を重視することが最も大切で、人間はその前に非力であるという思想を打ち出した。言い換えれば、「中心にあるのは常に神であり、人間はその意思に従うべきである」という趣旨である。これをジャンセニスムという。
この思想はイエズス会のように人間が主体的に活動して神の意思を広めることや、現世利益(貿易、戦益など)の獲得を是認する考えと対立するものだった。
もちろん、イエズス会はキリスト教を広めるために現実的な方法を選んだのだから、否定されて黙っているわけにはいかない。イエズス会とフランスのジャンセニストは日常的に口角泡を飛ばして相手を弾劾するようになった。
フランスにおけるジャンセニスムの拠点はアントワーヌ・アルノーが院長をつとめるポール・ロワイヤル修道院だった。ブレーズの家族はその関係者と出会ったことで、みなジャンセニスムおよび、ポール・ロワイヤル修道院と深い関わりを持つことになる。
ブレーズの父エティエンヌ・パスカルの死の後、妹ジャクリーヌがポール・ロワイヤル修道院に入る。そして、ブレーズ自身も決定的な回心を迎えることとなった。
以降、ジャンセニスムがカトリックの主要勢力であるイエズス会からの攻撃を受ける中、ブレーズは匿名でジャンセニスム擁護のため数々の著作を書き綴ることになる。
それはイエズス会側の猛烈な反発を招いた。
そんなとき、ポール・ロワイヤル修道院で世間の話題を集めるできごとが起こった。それはペリエ夫人の娘に大きな幸いをもたらすものだった。
ペリエ夫人の娘マルグリットは重い眼病を患っていた。目の周囲に膿をもつできものがつぎつぎと現れ、それが破れては膿がこぼれる。それは医師に涙嚢炎(るいのうえん)と診断され、視力に影響を及ぼすばかりか鼻にまで悪影響を与えるだろうと言われた。それを治療するには患部を焼ききる外科手術が必要だと言われていた。
そんなある日、マルグリットはポール・ロワイヤル修道院に連れられていった。そしてそこに納められている聖遺物(聖荊冠)に触れた。するとたちまち眼病が快癒したのである。
事実はその通りなのだが、このできごとは「奇跡か、そうでないか」という新たな論争を生むことになる。
後世、「ルルドの泉」で有名なベルナデッドの話でも、「奇跡かそうでないか」という議論が巻き起こったのをご存じの方もいるかもしれない。
奇跡の認定は厳密に規定されている。
それに加えて、マルグリットの快癒はポール・ロワイヤルで起こったものだ。当時のカトリックの主流であるイエズス会と対立する場での現象である。議論は多分に感情的になる。そのいきさつについてここでは触れない。ただ、ブレーズがこの一件についてものを書き、証言に立会ったりするうちに、さらなる内的変化を果たしたであろうことだけを書き添えておく。
さて、話がだいぶ公爵令嬢シャルロットから離れてしまったように思われるだろう。
いや、ここまで語って初めて、シャルロットの起こした事件を説明できるのである。
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