パスカルからの最後の宿題

尾方佐羽

文字の大きさ
上 下
5 / 20
ブレーズ・パスカルの死

フェルマの嘆き

しおりを挟む
 さらに、アルテュスはトゥールーズのフェルマからの手紙にも目を通した。

<ずっと故人に会いたいと願い、クレルモン・フェランとトゥールーズの厳密な中間でよいから出てきてもらって会うことはできないかと都合を聞いたりしていましたが、それが結局は叶わなくなってしまったことを心から残念に思います。世俗的な、あるいは宗教的な事情などどうでもよかったのに。本当に悔いても悔やみきれません>

 アルテュスは、「厳密な中間」という言葉を見て、数学者らしい表現だと微笑んだ。厳密な中間はどの辺りにあるだろうか。

 二年前の一六六〇年、ブレーズは生まれ故郷のクレルモン・フェランに滞在していた。フェルマはその時に会おうという話をしていたのだろう。
 以前からルーレットの問題(サイクロイド)についてやりとりをしていたフェルマはブレーズに会うことを熱望していたのだ。それはブレーズにとって、最後に取り組んだ数学の問題となったが、フェルマはその成果についてじっくり語り合いたいと思っていたに違いない。

 それは下記の発問からはじまる。

<1-1>平面上の「直角三線形」と、それが直角をはさむ各辺を軸として作る回転体との、大きさと重心
<1-2>三線形の斜辺の重心、および斜辺が上と同じ意味で作る回転面の大きさと重心
<2-1>三線形の斜辺をルーレット(またはサイクロイド)の弧に限ったうえで、1-1に対応するもの
<2-2>同じ条件のもとで1-2に対応するもの


 ただ、数学以外の部分でふたりはお互いに微妙な立場に置かれていた。
 そのときフェルマと数学のパートナーを組んでいたのが、イエズス会の聖職者だったからである。
 イエズス会の聖職者とブレーズがなぜ相容れないのかは後で述べるが、ブレーズは自身の体調不良だけではない事情でフェルマに会うことを避けていたようだ。

 しかし、フェルマはずっと会いたいと思っていたに違いないのだ。のちにアルテュスは他にもフェルマからの懇願に近い手紙を親友の許から見つけることになるのだが、結局その後も会うことは叶わなかった。
 「ルーレットの問題」(サイクロイド)、そして解は二人で作り上げたようなものだったのに……。

 ブレーズより十五歳ほど年上のフェルマは「数」についての専門家だった。とはいえ、学者ではなくトゥールーズで法律家を営んでいた。市井の人で数学は趣味なのである。
 しかし趣味と言う段階をはるかに超え、今日まで残るその業績はたいへん重要なものばかりである。数学を通じた交友も幅広く、デカルトとも解析、幾何学の問題について旺盛な研究を重ねていた。そのすべてをここで紹介することはできないが、彼が残したメモのうちの一つが後世の人間に大きな宿題を与えた事実だけは書いておく。

<立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に冪(べき)が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる>

 これが有名な「フェルマの最終定理」である。それは後世の人間がつけた呼び名であるが、この証明がなされるまで実に三六〇年の月日が費やされた。証明がなされたのはつい先頃、一九九五年のことである。

 アルテュスは親友に大いに触発されて数学の話もよく学んでいた。
 ブレーズの考えを折に触れて聞く機会も多かったし、それもよく理解していた。だからこそ、ホイヘンスともブレーズの代理としてではなく専門的な話をすることができたのである。公爵という高位貴族には珍しいことであったが、それはブレーズとの交友なしにはできないことだったかもしれない。

 しかし、ホイヘンスもフェルマもブレーズに会ってとことん語ることはできなかった。それを思うとアルテュスはやりきれない気持ちになる。
 稀代の数学者、物理学者(という言葉が当時なかったとしても)が論議しあうことでその考えを深化させ、また新しい発見をなす。相互にそのような役割を担えるほどの天才ばかりなのだ。ガリレオ・ガリレイにはじまり、数学、物理学、天文学が飛躍的に発展している時代に……。

 親友はその舞台から早々に降りて天に召されてしまった。
 なんという損失だろう。

 アルテュスは学識者からの手紙の山を見る作業を中断して、ため息をついた。
「弔意の手紙でこれだけ悩むのか。彼の書いたものを前にしたら、途方に暮れるしかないな」

 アルテュスはふと、親友の人生を自分はどれほど知っているだろうと考えた。
 親友の姉、ペリエ夫人に告げたときよりさらに自信を失っていた。彼とはきょうだいほどではないとしても、少年の頃からの長い付き合いだった。ずば抜けて頭脳明晰な男だった。そして、その頭脳明晰さゆえに、特に信仰においての問題では困難にぶつかってきた。それに長い病が重なった。もし、親友の家族以外に彼の生涯を語れる存在がいるとしたら、アルテュス・グフィエ・ロアネーズであるという自負が公爵にはあった。
 それはアルテュスに責務を感じさせる。彼という人間が残した軌跡をきちんと整理する責務である。ただ、それをどのようにすすめていくのか、膨大に違いないその軌跡を自分が捉えることができるのか、何より自分は彼のことを本当に知っているのか。

 アルテュスにはそれが無限の宇宙で星くずを拾い集めるのに等しい作業であると思えた。
 実際は有限なものであるとしても。
しおりを挟む

処理中です...