慈童は果てなき道をめざす

尾方佐羽

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新田義貞の甥に会いに行く

後日譚 新田義興の最期とひとつの謡曲

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 さて、脇屋義治に聞いた話はさきで終わりだが、しばらく後で私は旅の途中に武藏国に立ち寄り、義治の訪れた社を訪ねてきた。義治があれほど悔やんでいた新田義興の最期について、どうしても聞いておきたかったのである。以下にそのことを、武藏国矢口の社の宮司が語るままに記してみる。


  ◼️矢口の宮司の話

 義興さまのことにつきましては、船頭や村人、女房、下働きをしていた者などの多くの者の話を聞き私が取りまとめさせていただいております。義興さまをお祀りする社を村人の勧請で建立するにあたり、縁起としてまとめる必要があったからでございます。
 あれは南朝の延文三年(一三五八)のことにございます。越後から鎌倉に向かわんと進まれていた左兵衛、すなわち義興さまは石瀬川(多摩川)近郊のこの村に一党で逗留されました。一五〇ほどの兵がおられたそうです。足利尊氏公が亡くなったのを好機として、この地で体勢を整えて挙兵に参加する同朋を募り、鎌倉に進発されるつもりでした。義興さまはここからいくらか奥にある領主の館に迎えられたと聞いています。

 この土地の領主について付け加えさせていただきますが、かつて初代武衛さま(源頼朝)による挙兵の呼びかけに応じた秩父氏の庶流江戸氏、そのまた庶流がこの土地の領主である蒲田氏でございます。江戸氏は北朝方の足利基氏公、関東管領の畠山国清公と密かにつながっておりました。

 そのつながりに気づかなかったことが義興さまの見舞われた悲劇の一端にございました。



 義興さまは若く勇ましく、道中で襲撃を受けましたが一蹴して進みます。そして宗良親王の庇護も受けております。あからさまに攻められないと考えた北朝方は義興さまを懐柔した上で、密かに謀殺せよという命を下したのでございます。戦にするよりは密かに殺めた方がよいと考えたのでしょう。
 そのためにまず竹沢右京亮(たけざわうきょうのすけ)という男を義興さまのもとに向かわせることにしました。さきの武蔵野合戦では義興さまの南朝方に加勢していましたので、近づきやすく懐柔しやすいと思われたのでしょう。

 義興さまの信を得んがため、呆れるばかりの大芝居が打たれました。

 竹沢はそこいらの宿から遊女を数十人集めて飲めや舞えや歌えの乱行三昧の日々を過ごしました。それに飽きたらず、そこいらの悪党を集めて博打三昧。これらの所業により関東管領の勘気を買いました。いや、買ったことにしました。表向き「所領の没収かつ追放」という処分を受けた竹沢は、もう頼るものがないとして義興さまに文を出し、「お仕えしたい」と願い出たのでございます。

 そうです。策略でした。
 さらに竹沢は策を弄しました。

 京にて宮仕えをしていた小将局(しょうしょうのつぼね)という女性を養女にして呼び寄せました。こちらも大がかりですな。お付きを多く付けてはるばる京から呼び寄せました。唐の国の楊貴妃のごとく、傾城(けいせい)の役を担わせようと目論んだのでしょう。義興公の父上である義貞公が勾当内侍(こうとうないし)という女性を帝から任されたのに通ずるのかもしれません。
 局は屋敷を与えられ、義興さまの妻になりました。
 本来ならこれだけのことをする竹沢に対して「没収だの追放だのは作り話ではないか」と疑っても不思議ではなかったでしょう。少将局は中宮のお側に付く中でも位の高い上臈(じょうろう)でした。それほどの女性を、追放された武士が養女にして連れてこられるはずがありません。
 竹沢を鋭く追及しなかったのには理由がありました。義興さまは少将局に一目で心を奪われてしまわれたのです。かの女性は数えで十六か七だったといいますが、美しく優しい花のような人だったといいます。
 このような話を聞きました。
 お二人が外を散策されたとき、道に空木(うつぎ)が見事に咲いていたそうでございます。
 義興さまはそれを見て、
「おお、空木の白い花がたくさん、かように長く咲いている。今年はきっと豊作じゃ」
「そのようですね。わたくしは空木がたいへん好きなのです」
「あれが好みか。そなたは芍薬のような花の方が似合うように思うが」
「それは嬉しいお言葉です。空木は茎の芯が空洞ですが、あれだけたわわに花を咲かせます。そして出すぎることがない。そのようなところが愛おしく感じられるのです」
 義興さまはそれをふむふむと聞いておりました。
「なるほど、そのように思うそなたがわしは愛おしくてたまらない。可憐で控えめで、そして見るものの心を穏やかにする。これからはそなたをうつぎと呼ぼう」
 少将局は義興さまの言葉を聞くと、ぽっと頬を染められました。その仕草がうぶで愛らしく、義興さまはいっそう強く少将局を引き寄せるのでした。
 その一方で少将局は胸のうちに大きな苦しみを抱えておられたと存じます。竹沢右京亮の企みをうっすらと知っていたからです。一途に自身を想ってくれる義興公を局も愛しいと思っておりましたが、茎が空である「空木」にも自らの身のはかなさを感じておられたのかもしれません。
 悲しいことに、少将局は傾城の女などでは決してございませんでした。

 月がとりわけ美しい、九月十三夜のことにございました。
 竹沢右京亮が義興公を月見の酒宴に招いて、暗殺しようと企てたのです。自身の館の周囲には三百人ほどの郎党がいつでも襲いかかれるように控えておりました。そして、白拍子も呼んでいるので月を愛でないかと義興さまを誘い出そうとしました。
 少将局はふとしたことでその企てを知りました。しかし、自身が行って告げれば義興は竹沢と戦になるだろう。それを恐れた彼女は義興に文を届けさせました。

〈最近、あなた様が夢に出てきたのですが、どうにも夢見が悪く、夢占い師に尋ねたのです。そうしたら七日七晩、厳に身を慎むようにと告げられました。あなた様に何かあったらと心配でたまりません。どうか、しばらくはお外に出るのをお控えくださいませ。うつぎよりお願いいたします〉


 そう義興さまに懇願されたのです。
 はじめ、文を見て義興さまはやきもちかと思われたようです。白拍子が来る遊興といえば、妻として穏やかにはなれないというのが普通です。取り合わずに出かけることもできたのでしょうが、ご自身でも胸騒ぎを感じられて外出を思い止まられたのでございます。

「今宵は体調がよくなく、酒宴に出るのを取り止める」という使者のことばを聞いて、竹沢右京亮は怪しみました。誰かが暗殺の企てを漏らしたのではないかと考えたのです。少将局も漏らしてはいません。
 あるいは、竹沢の企みをすべて告げたほうがよかったのかもしれません。そうすれば、この後の悲劇はまた別の形になったかもしれないのです。

 義興さまの逗留する屋敷には、竹沢の手の者も入っておりました。ですので、少将局が義興さまを文で引き留めたことはすぐに気取られるに至ったのです。
 竹沢は後日少将局を呼び出し、ひと気のないところに連れていくとひと突きに刺し殺しました。誰にも見られないようにことを済ませ、近くの井戸になきがらを放り込んだのです。

 そして後刻、何くわぬ顔で愛想よく義興さまの前に出ました。

「右京亮、うつぎに文を出したが返答がないのだ。館にはいない。今家人に探すように命じている。行きそうなところを知らぬか」
 義興さまはいらいらと竹沢に尋ねました。
 竹沢はしれっと答えたそうです。
「確か病にかかっておると聞きましたが、疱瘡でお顔を見せたくないとお隠れになっているのではないでしょうか」

 神仏をも畏れぬ物言いです。

 義興さまはそれでも局を探しておられました。

 竹沢も企てがどこかで漏れるのではないかと心中穏やかでなかったのでしょう。義興さまも彼女の不在に竹沢が噛んでいるのではないかと思われたかもしれません。いずれにしても、慈しんでいた少将局がいなくなったことは、義興さまの心に大きなうつほ(空洞)を与えたのです。

 一方で竹沢は関東管領に急の知らせを飛ばしました。
〈左兵衛殿の居場所を知っているが、自分ひとりで討ち果たすことは難しい。縁者の江戸遠江守と下野守の援軍を頼みたい〉
 畠山国清は言われた通りに援軍を出しました。派遣された江戸遠江守とその甥である下野守も竹沢と同じように再び一芝居を打ちました。義興さまの滞在されている荏原矢口郷の対岸にある稲毛庄に兵を詰めさせ、義興さまに使いを出しました。
 自身らは畠山に理由なく領地を取り上げられた。これほどの仕打ちは承服できない。畠山を滅ぼすため挙兵したいーーということです。
「しかるべき大将を立てなければ、兵に勢いがつかないのでぜひ新田左兵衛殿にその役をお願いしたい」と依頼した。
 これは竹沢が使った手と同じですが、嘘のつじつまは合っている。竹沢はまだ忠ある風を装っている。つじつまが合っていたからか、あるいは少将局がいなくなって落胆していたのもあったでしょう。義興さまはさして疑いもせず、鎌倉に赴くことにしたのです。

 ここまで念入りにたばかるのには舌を巻くほどでございます。その次第をお話しなければならぬのは、手を下した者ではなくとも、たいそう心苦しいことにございます。さらにこの先は辛く悲しいことにございますが、ようお聞きくださいませ。

 十月十日のことにございました。

 江戸遠江守の誘いに応じた義興さまは鎌倉に向かわんと矢口の渡し場に向かいました。付き従っていたのは十三人だったといわれております。他の郎党はみな鎌倉に先発していました。それも企てのうちだったのでしょうが、竹沢右京亮は船頭と組んで巧妙な罠を仕掛けておりました。

 義興さま一党が乗る渡し舟には穴がふたつ開けられ、杭を軽く打ちノミが差し込まれました。すぐに外すことができます。
 招いた側の江戸遠江守は川辺の草葉の間に五百の兵を武装させ、渡ってくる新田勢を討とうと待ち構えていました。こちら岸でも竹沢勢が密かに射手百五十を構えさせています。
 十三人はこの場では無勢に過ぎません。
 逃げ場はありません。
 十三人は一艘の船に乗せられ、流れに漕ぎ出しました。そして、川の中程まで来たときに示し合わせていた船頭と漕手が櫓を落としてノミを引き抜きました。そして、すぐに川に飛び込み泳いでいきました。
 義興さま一党の目には、対岸に押し寄せる軍勢の姿がはっきりと見えました。はっとして後ろを振り返ると、そこには竹沢の兵百五十が揃って弓を構えて立っている。
「愚かな者どもよ。たばかられたのに気づかぬとは。何と滑稽な」
 江戸の軍勢から上がった嘲笑の声に教えられるまでもなく、義興さまは自身らの身に何が起こったのかをはっきりと知りました。そして彼の心のうつほになっていた、愛しい女性がどうなったのか、はっきり想像できたのです。

 うつぎはわしを救おうとしたのだ。
 そして……。

 しかし、すべてはもう遅すぎたのです。
 船は浸水しみるみるうちに沈んでいきます。義興さまも十三人の郎党も甲冑を急ぎ捨てますが、万事休すであることは誰の目にも明らかでした。
 郎党はあるじの形相が鬼神のごとく憤怒に染まっているのを見ました。その憤怒は皆も同じです。義興さまのすぐ脇に付いていた伊井弾正はあるじを抱え上げて少しでも沈む間を伸ばそうとしていました。その体勢で義興さまは、腰の刀を抜きました。
「悪辣非道の所業、安からず。
 日の本一の卑怯者にたばかられるとはあな悔し。
 この怨恨、七生先まで報いてやろうぞ」

 そう言うと、左の脇からあばらにかけて刀の切っ先で抉り掻き回し、さらに掻き回しました。下で抱える伊井弾正の身体に主君のはらわたがだらんと降りかかるほどでした。
 すでに辺りは一面血の海です。
 絶命したあるじの塊を川に沈めると、伊井弾正は自らの喉笛をあるじと同じように二度掻き切って、自らのもとどりを後ろに引き、首を折りました。自らボキッと首を折る音は向かう岸まで響いたそうです。
 他の郎党も後に続きました。
 世良田右馬助と大島周防守はお互いを突き違えて川に飛び込びました。由良兵庫助と新左衛門は船尾に立ち刀を逆手に握り直し、喉を掻き切りました。
 この凄まじい自害の有様を川の両岸の兵は微動だにせず見ていたといいます。いや、あまりのおそろしさに動けなかったのに相違ありません。
 義興さまの郎党のうち、土肥三郎左衛門、水瀬口六郎、市川五郎の三人は直垂(ひたたれ)の紐を引きちぎり、裸になって刀を咥えて川に飛び込びました。水の底を潜り対岸まで泳ぎきると、裸姿で敵陣に切り込みました。敵五人を討ち取り、十三人に手傷を負わせましたが、多勢に無勢もはなはだしくそこで力尽きました。
 兵らが役目を果たしたのはその後のなきがらの探索のみでした。
 十三人と義興さまの首は樽に入れられ、酒に浸けられて、武蔵入間川に在陣する畠山国清のもとに届けられました。関東管領はたいそうお喜びになったそうでございます。

 しかし、それでことは済みませんでした。
 たばかった者たちは、恐ろしい報いを受けることになるのです。

 彼を騙し少将局を殺めた竹沢右京亮は恩賞を賜って有頂天になっていましたが、障りにあって表に出ることが一切なくなったそうです。一族に類が及ぶのを恐れ竹沢という名を捨てたとも聞きました。
 義興さまをたばかった江戸遠江守も同じです。
 恩賞で得た領地に喜び勇んで向かう途中、彼は矢口の渡で舟に乗った。そこには舟に仕掛けをした船頭がいました。
 舟を漕ぎ出すとじきに異変が起こりました。空はみるみるうちに雲に覆われ、雷が光り始めた。海からの強い風がびゅうびゅうと吹き荒れ、波が舟を大きく揺らします。船頭は慌てて舟を漕ぎ戻そうとしますが、一気に岸に押し戻される。
「ただごとではない。義興の怨霊ではあるまいか」
 江戸遠江守の一行はすぐに岸に戻り、少し上流から舟に乗り換えることにしました。そして、岸に残してきた馬に慌てて飛び乗る。岸で待っていた郎党も青ざめながら付き従います。
 皆一刻も早くそこを離れたかった。
 彼らは上流へ向かいますが、雷光が行く先に次々と矢のように落ち、追いかけてきます。遠江守らは思わず、「左兵衛殿、お助けたまえ」と唱えながら一目散に逃げました。すると観音堂が見えてきた。「そこまで逃げれば大丈夫だ」と思ったまさにその時、真後ろの黒雲から閃光が走り遠江守の脇に轟き落ちました。

 遠江守は恐ろしさに凍りつき、後ろを見たのです。
 そこには義興さまが立っていました。
 火のような色の糸を通された鎧に、龍の頭の前立ての兜を被り、額に角の生えた白栗毛の馬に跨がって、鐙にずんと体重をかけ、長さ七、八寸ほどの二又の矢の先を遠江守の急所に定めて、今にも射掛けようとします。その表情はどこまでも蒼白く暗く、目ばかりが業火のように赤かったそうです。
 思わぬ異形の姿におののき、遠江守は馬からまっ逆さまに落ちました。そして血を吐いてもがき苦しみます。一同は慌てて急造で輿をしつらえると、いっさい後ろを振り返ることなく江戸郷に主を運びました。
 遠江守は七日の間手足をバタバタとさせて、溺れているかのように、「もうだめだ、もうだめだ、来てくれる人はいないのか。助けてくれ」と叫んで絶命されました。
 聞くと、畠山国清の夢にも義興さまが立ったそうです。恐ろしさのあまりはっと目を覚ましたのですが、その直後に雷が落ちてお屋敷が火事になったということです。

ーーーーーーーー

 以上が宮司の語った一部始終である。
 話は終わったのだが、私は義興の非業の死に大きな衝撃を受けていた。まっとうに戦って散ったのではない。幾重にもたばかられて、妻ともども追い詰められて死んだのだ。
 社の宮司が不意に尋ねてきた。

「この社の建立はいつだと思われますか」
「はて、どうも不案内にて……」と私は素直に答えた。
「義興さまのことがあって、当時の船頭が地蔵尊を建てた頃とほぼ同時です。その年のうちでございます」
「何と、それほど間もない頃なのですか」
 宮司はうなずいて、少し遠い目になった。

「それほど凄まじいものでございましたよ、お坊さま。夜な夜な光るものがある。地のそこから唸るような声が夜毎に聞こえる。雷が里のほうぼうに落ちる。水際に人の姿が現れる……言ってしまえば簡単ですがまことに恐ろしゅうございました。辺り一帯の民は恐れおののきました。申の刻が過ぎると皆早々に家に籠り、固く木戸を閉ざして」

 私は、ここに来るときに見た川べりの湿地の光景を思い出していた。そして、義興の凄絶な最期と底なしの悔しさを思った。私が見た景色にはそのような凄まじい気配はなかったのだが、きっと義治に話を聞いてから来たゆえかもしれぬ。

「それで、そのあとは鎮まっていったのでしょうか」と尋ねてみる。
 宮司は少し微笑んだ。
「しばらくして周辺の村人らが少将局のなきがらを見つけたのでございます。そしてこちらと同様に丁重に埋葬をし、その塚の脇に社を建立いたしました。それ以降は、不思議なことにこちらの怪異もだいぶ収まりました。思うに、義興さまも少将局を探しておったのかもしれませぬな」
 ああ、そうかもしれないと私も思った。
 そしてなぜかは分からないが、不意に涙があふれてきたのだ。
 その晩、私は里で宿を借りたが、たいそう篤くもてなされた。翌朝宮司に挨拶をしてから、義興の胴体が埋葬された塚、ともに討ち死にした朗党を祀った社、そして少将局が葬られた塚を訪れて丁重に手を合わせた。
 その側に二本の銀杏の木が夫婦のように並んで立っていた。



 鮮やかな黄色に染まった葉が落ちているのを拾うと懐にそっと収めた。
 それが義興夫妻の形見のように思えたのだ。

ーーーーーーー
 
 私がなぜ新田の話を聞こうと思ったのか。

 それは、彼が敗れたのち生き延びた武士であるからだ。生き延びた者は往々にして、ひっそりと身を隠し名を変えて余生を過ごす。もともと大きい力を持っていた者ほどその落差は激しい。世は憎い勝者のものとなり、一族の誇りや輝かしい名誉は封印されてしまう。そして、汚名だけが残ることさえあるのだ。
 武士の争いにおいて、どちらが完全に正しいということはない。極論すれば戦う力ーー武力、知略、計略、あるいは謀りーーに秀でた方が勝つ。そして最終的には運があるかないかが勝敗を左右する。私は勝った者ではなく、敗れた者の声をより熱心に聞きたいと思う。
 近い時代のことを語るのは政権の勘気を買うかもしれない。例えば私が新田義興のことをそのまま申楽に起こせば将軍は激怒されるだろう。平家のあらましがいくらかの装飾を付けても残ったのは、それが仏教を語る説話でもあり、琵琶語りだったからだ。
 なれば私は申楽という形で、ひとつの芸として残してはゆけまいか。
 現実であり夢でもある。
 過去のようであり、今のようである。
 勇ましいもの、はかないもの、声なき声。
 この世のもののようで、この世のものではないようでもある。
 そのような新しい何かを創っていけるのではないか。
 美しくも儚い芸として。
 
 私は後に、退治されて淀川の川辺に沈められる化け物についての謡曲を書いた。『鵺(ぬえ)』という。平安の頃、源頼政が鵺という化物を退治した逸話を題材にしているが、そこにはこのような嘆きのことばがある。

〈頼政右の膝をついて、左の袖を広げ、月を少し目にかけて、
弓張月の、いるにまかせてと、仕り御剣を賜り、
御前をまかり帰れば、頼政は名を揚げて、
我は名を流すうつほ舟に、押し入られて淀川の、淀みつ流れ行く末の、
鵜殿も同じ芦の屋の、浦曲の浮洲に流れ留まって、
朽ちながらうつほ舟の、
月日も見えず冥きより、冥き道にぞ入りにける、
遙かに照らせ山の端の、遙かに照らせ、山の端の、
 遙かに照らせ、山の端の月と共に、
 海月も入りにけり、海月と共に入りにけり〉

 源氏の末裔の一に対する、これは私なりの鎮魂の言葉である。

『新田義貞の甥に会いに行く』完

・謡曲出典
『菊慈童』作者不明
『鵺』世阿弥作
(岩波書店 新日本古典文学大系 『謡曲百番』より)
※『義興』という作者不明の謡曲もあります。
・参考文献
『太平記』(岩波文庫)
・写真
穴八幡神社(東京都新宿区)
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
矢口の渡し跡(東京都大田区)
多摩川(旧石瀬川)
女塚神社の銀杏(東京都大田区)

※補足 源氏伝来の刀『鬼切』は現在、京都・北野天満宮所蔵とのことです。
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