肥後の春を待ち望む

尾方佐羽

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柳河の水の音

隈部親永、柳河城主と会見する

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 久しぶりに戸外で見る日の光は、まぶたを固く閉ざさなければ耐えられないほどまぶしかった。

 隈部但馬守親永(くまべ たじまのかみ ちかなが)は何度も目をしばたいて、しかめ面になった。土竜(もぐら)がいきなり白昼の野に飛び出したらこのようになるのだろう。
「お天道様もわしに辛くあたりよっとか」

 かれは高熱を出し、十日ばかりうなされ続けていた。側に付く十一人の郎党らは交替で看病を続けたが、熱は蛇のようにしつこく親永にまとわりつき容易に彼を離そうとはしなかった。
「お齢やけん、本復には時間がかかるとね」
「あげなことに耐えてきたけん、芯からお疲れになったとたい」
 側に付く者たちは言いようのない寂寥(せきりょう)を、七十半ばのこの病みついた老人に感じていた。そのなかで親永の息子、犬房丸だけがうなされている老人を励まし続けていた。

「父上、早う元気になられませ。ともに山鹿(やまが)に戻らんといかんです。城はもうなかけんが、畑仕事でもして慎ましゅう暮らしましょう」

 犬房丸は数えで十二歳、熱からようやく醒めた老人からすれば孫、いや場合によってはひ孫といってもよい年齢である。それだけに親永は犬房丸を目に入れても痛くないほどに可愛がっていた。そんないたいけな息子の励ましにも、ろくに答えられないほど老人は消耗していたが、一途な気持ちが通じたのか、次第に熱は下がっていった。
「犬房さまの願いを仏さまが聞いてくれましたな」と近習の隈部善良がほっとしたように言う。かれは元々隈部の者ではなく、寺僧としてつとめていたのを親永に気に入られ、隈部の姓を与えて家臣に取り立てたのである。

 起きることができるようになると、隈部親永はうなされていたときのことをぼうっと考えた。
 熱にさいなまれていたのは、五日か六日……そんなものだろう。はっきりとしない。うなされている間もずっと考え続けていたように思う。みんな散り散りになった。ともに捕えられた郎党がどのような状態でいるのか、また、捕えられたが別の場所に移されたらしい三人の息子がどこにいるのか、いや、そもそも皆生きているのか。現実、郎党のうち十一人と息子の一人はずっと側に付いていたのだが、それも熱に惑わされ、意識の端にのぼっていなかったのである。
 それも心配だったが、親永の頭の中で渦巻き、絶えず考えることを強いたのはおのれの選択についてだった。
 ここまで七十余年を生きて数々の試練を乗り越えてきた自分が、なぜこの老境に至って膝を屈さねばならなかったのか。完膚なきまでに敗れたのか。自身をここまで追い込んだとてつもなく強大な力に対して、他に何か戦いようがあったのだろうか。

 どこで道を違えたのだろうか。

 堂々巡りで答えの出しようがない問いを絶えず繰り返しているとき、親永の耳にはどこからか流れる水の音が聞こえてきた。それも親永の問いと同様、絶えることはなかった。
「あぁ、ここは柳河やけん、どこも水が流れちょるんは道理たい」

 かれらは柳河にいた。

 筑後柳河(現在の福岡県柳川市)は有明海沿いの水郷である。親永の地元である肥後山鹿(現在の熊本県山鹿市)と十里ほどしか離れていないが、山鹿は山間の地である。水の音に馴染んでいないのはいたしかたない。はじめはそう納得していたものの、次第に水の音は彼の耳から意識の奥にまで浸透していった。うなされる意識の下で水は流れ続け、その音ではっと目覚める。意識がはっきりしたあとも、水の音が深く響いている気がする。そしてまた、同じ問いを繰り返すのだった。
 これまでの人生でこれほど考えたことはない、と親永は思う。

 答えば出せたらどげんよかか。

 久しぶりに外の光を浴びて、おぼつかない足取りで進んでいく。これから柳河城主に会見するためである。自身が熱にうなされていたのは、結構広い館だったらしい。水の音が始終聞こえたのは、館の脇二方に堀が通っているからだった。一つの堀は小川といってもさしつかえなく、舟が進むこともできた。柳河の名にふさわしく、堀端には柳の木がところどころ見える。館から一番近い城門までは徒歩でいける距離であったが、親永は少し息が切れた。善良が肩を支えようとするが、遠慮した。
 館の造作も周りの光景も、親永が初めて目にするものばかりだった。来たときは熱にうなされていて、意識も朦朧としていた。何も目に入ってはいなかった。

 なぜ、わしはここにおるとやろうか、と親永はふと思う。
 はて、これが最期のときっちゅうもんか。

 それはどんな風に迎えるものなのか、誰かが決めるものなのか、自身が決めるものなのか。今歩いているのは、もう最期のときを決められたということなのか。それぐらいは自分で決められたらよいのだが。
 途端に親永はおかしくなった。

「何をいまさら」

 かれはもう、生命以外のすべてを失った身であった。


 城門をくぐってからも、ずいぶんと長く歩く。この城、柳河城は広大である。本丸と二の丸を囲んで、ぐるりと三の丸が続いている。まるで町のようだ。
「広くて美しか城ばい」
 本丸の長い廊下を導かれるままに進み、大広間に入る。そこにはこの城主が座して待っていた。
 若い。
 自身の息子よりはるかに、いや孫ほどに若い。
 城を開城し降伏した後、かれに初めて会ったのだがそのときにはまったくそんな風には感じなかった。あの堂々とした振る舞いは、意気がっている若造になせる業ではない。今ここに静かに座しているのを見ると、そんなことがあったのも夢の中の出来事に思える。

「隈部但馬守親永殿、そこへおかけくだされ」
 呼ばれた親永はほう、と息をついた。いつからか忘れるほど湯を浴びておらず、髭も伸び放題。さぞかし臭かろうと思う。しかし、それは表に出さない。臆することなくあるじの前に進み、どかっと胡坐をかいた。
「ときが来たのか」と親永は単刀直入に問う。
 城主は静かに首を横に振った。
「いや、それはわれらの思案の外、貴殿も病みあがりでかなりお疲れの様子、しばらくは今いる城下の館でじっくり養生されたらよい。蟄居(ちっきょ)の扱いゆえ警固は付くが、障りになることはないと思う」
 親永は目を見開いた。
 そして城主の言ったことをもう一度心で反芻(はんすう)した。
 切腹まで蟄居ということか。これがしきたりというものなのか。

 難しい顔をしている親永に、城主は変わらず静かに続けた。
「何はともあれ、熱が下がられてよかった。これから屋敷にお戻りいただくが、その前に湯を遣っていかれたらいかがか」
 親永は相変わらず難しい顔で俯いていた。湯の話はうわの空で聞いていたらしい。ふっと顔を上げて訪ねた。

「すべては、これまでのすべて、これからのすべては関白の指図によるものか」

 ほんの少し間があった。そして統虎はうなずく。
「さよう。ゆえに、そのときまでは客人として居ていただこうと思うておる」
 すべてが関白秀吉の指図によるものである。目の前に座す、柳河城主・立花左近統虎(たちばな さこん むねとら)は肯定した。
 やはりそうだったのか。
 わしは取り返しのつかんことをした。もう手遅れたい。

 統虎は思案している様子の親永を見ていた。側に付く善良が、「お屋形様、湯をいただきましょう」と促す。
「あい承知」とだけ親永は答えた。

 湯殿からはすでにもうもうと湯気が出ていた。さっそく湯浴み着を着せられ、親永はふぅと息をついた。清潔な湯殿で遠慮することなくくつろぐ。何と温かく贅沢なことか。自身がここまでに至ったいきさつを考えると暗澹(あんたん)たる気持ちになるが、それでも湯はいい。
 このようなささいなことが、これほど身に沁みるものか。
 どれもこれも、あと少しで生を断ち切らねばならない未練というものかもしれない。しかし、今の心地よさはこの上ない。どんな状況にあっても、快楽というものはあるのだ。女を抱く、うまいものをたらふく食べる、多くの民の崇敬を受ける。いや、そんなに大層なことではない。日の光を、温かい湯殿で心底からくつろぐ。そしてまっさらな衣類に身を包む。そんなことが笑い出したくなるほど気持ちがいい。

 湯から上がると、髪は真っ白になっているものの、それほど皺もない顔に切れ長の目、太い眉のりりしい老人が現れた。世話役の女も驚いたように目を見張った。これから屋敷か、と思ったところ、「休憩していけ」ということなのか、城内の茶室に案内された。襖戸をくぐると統虎が席亭として座していた。

「さて、一服さしあげましょう」
 茶を点てる統虎を見ながら、親永はふといぶかしんだ。毒が盛られているかもしれぬ。それは至極(しごく)まっとうな想像だった。幽閉の後、客人として扱うと言われ安心したところに毒を盛る。たばかって敵を亡き者にする。そのような例はいくらでも挙げることができた。この時分では珍しいことではない。

 しかもわしは反乱の火付け役じゃ。

 隈部親永の籠城をきっかけに一党が抵抗の狼煙(のろし)を上げたことで、他が呼応し肥後国全体で反乱が起こった。
「肥後国人一揆」と後に呼ばれることとなる。
 そしてそれは筑前や肥前にも波及していった。関白豊臣秀吉の立場で言えば、やっと成し遂げた九州平定に後ろ足で泥をかけるようなものだった。寛大に扱われることは決してない。首謀者が見せしめとして、その場で斬首され晒し者になっても不思議はないのだ。どのように殺そうが、首を取ってしまえば分かりはしないではないか。もしや、すでにここにいない郎党も皆討たれたか……親永の頭はまたくるくると回り始める。そして目の前の統虎を見た。

 茶筅を動かす音が聞こえるばかりである。

 統虎の顔は平静そのものである。疑念の目を持ってしても、毒を盛っているような不審な様子はまったくない。背筋の真っ直ぐな長身に堂々とした体躯、太い首、少々角張った鼻筋、薄い唇、その目はあまり大きくはなく瞳ばかりが目立つ。この若造は何を考えているのか、親永は相手の本心をはかりかねていたが、かまをかけるように口を開いた。
「何か一句詠んだほうがよいか」
 これから殺されるのであれば辞世の句を詠むべきか、と暗に問いかけたのである。
 統虎は茶筅を置き、じっと親永を見た。そして、「好きにされたらよい」とだけ告げた。そして茶を親永の前に置いた。親永が怪訝(けげん)そうな顔をしていると、統虎が話しはじめた。

「貴殿は肥後菊池氏の家臣の血筋、わしは豊後大友氏の家臣の血筋、一族代々、ともに永くつとめてきたことはわしの家臣らに聞いた。わしは豊後国東で生を受けすぐに筑前に移ったが、幼き頃豊後を発つとき九重の山々を眺め、その南方に見える阿蘇山まで見渡し美しいものだと思ったことを覚えておる。そして貴殿は向こう側におって、阿蘇の奥に九重を望んでおったに相違ないと思う。山々はわれらの鏡のようだと思いませぬか。そして鏡のこちらと向こうで同じように生きている」
 叙情的な喩えをするものだ、と親永は思った。
 普段なら、「なんばこつごたる」と笑い飛ばしてしまうだろう。
 しかし今はなぜか素直に聞くことができる。いかんばい、親永は思わず身を乗り出した。
「鏡んごたる言うば、きれいごとたい。今んありさまはいかがか。先頃まで肥後国衆の筆頭と呼ばれようた隈部も風前の灯火やないと? いったい、何ぞ間違えてこげんなったとね。熱の下でずっと思案しようたばい。教えてくれんね」
 思わず感情が先に立ってしまった。
 親永ははっとした。それを見た統虎は少し微笑む。
「何も違わんち思います。ただ、自身の地で気兼ねなく暮らしたい。そう思ってやってきたけんが暮らせんかった。そんだけたい」
 親永は言葉に詰まった。統虎は言葉を続ける。
「貴殿が覚悟されとる通り、結末はおそらく決まっとるとです。わしも貴殿もときを決めることはできんこつ申し上げましたが、せめてそれまでの間、わしに話ばしてくれんとですか」
「話? 」
 突然の提案に、親永は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「あぁ、いきなりやったとです。わしの考えばまず申し上げてよかですか? 」
「よかよ」と親永は答えた。すっかり統虎の調子にのまれてしまっている。

 統虎の目は真っ直ぐに親永を見据えている。

「貴殿の結末はわしには変えられぬ。どんな散りかたにせよ、死んだらしまいじゃ。しかし、名を残すために、少なくともわしの耳に、頭に残すために話が聞きたかとです。そして将来、隈部の縁者が立花の戸を叩いてくれたときには、さきの戦の様子も含め、貴殿のことをきちんと伝えられるようにしたか。それがわしの考えたい」

 そこまで言うと、統虎は喋りすぎたとでも言いたげに、ふぅと息をついた。
 そして親永に点てた茶を引き取って、ごくごくと飲んでしまった。もちろん、毒が入っているはずはない。

 親永はそれを見て泣きたいような、笑いたいような妙な気分になった。

 こん男ば、何もかんもようわかっとったい。

 最後の最後で救いの手が差し伸べられた。

 生きることはできないようだが、もう十分かもしれん。この若造が自身の命を託すのにふさわしいようだ。

「承知、すべて貴殿にお任せ申す」

 統虎は改めて湯を沸かした。そして自身が飲み干した茶碗をきれいに拭き取り、改めて茶を点てた。親永はためらうことなく茶碗を受け口にした。すがすがしい香りが鼻腔に広がり、喉だけでなくすべての渇きが満たされていくように感じた。
「うまか」
 統虎はにこやかに微笑み、懐紙を手渡した。
「但馬守殿、次は貴殿の話す番にてお願い申す。今日はまだ松の内、後で皆に雑煮を振舞いましょう。あと、わしのことは左近と呼んでくだされ、お屋形やら殿やらは言いづらかけんね」

 親永は丁寧に頭を下げて、茶室を後にした。
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