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第12章 スペードの女王と道化師

ヴェッキオ橋に秘密の通路を作ればいい

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 1559年のカトー・カンブレッジ条約でスペインと神聖ローマ帝国、フランス、イングランドの間での領土が確定し、足かけ65年にわたる戦争状態はようやく終わった。

 フランスは長年の悲願だった北部イタリアを諦めることになったし、イングランドは百年戦争以降領有していたカレーを手放すことになった。イタリア半島のうちミラノ(神聖ローマ帝国)、ナポリ・シチリア・サルディーニャ・トスカーナ西南岸(スペイン)などはハプスブルグ朝のものとなった。戦費の涸渇が戦争終結の直接の原因だったが、この結果だけ見ているとハプスブルグ朝スペインが戦勝国のように映る。ただ、ミラノは紆余曲折があったが、他はスペインが早くから支配してきた地域であり、この後もそのまま継続するという後追い承認のようなものだった。
 王が娘と妹を嫁がせるというのもあって、全体としてはフランスが譲歩した形ではあるが、国王のアンリ2世も納得して決めたのである。実際、婚礼の支度が進むにつれ、惨めな敗戦色はかき消されていった。

 ここで、カトー・カンブレッジ条約で利益を得た人の話をしておかなければならない。シエナを獲得したフィレンツェ公コジモ・ディ・メディチである。

 コジモはカトリーヌ・ド・メディシスの縁者である。
 ごくごく簡単にいうなら、二人の曾祖父はメディチ家の黄金時代を創出したロレンツォ(イル・マニーフィコ)である。もう少し続ければ、ロレンツォの娘ルクレツィアの孫がコジモで、嫡男ピエロの孫がカトリーヌである。
 これまでの章でもカトリーヌが(重んじられるものであるとするなら)唯一のメディチ家正嫡の子であるのに、両親が早世したため不遇に暮らしたことを書いてきた。それは縁者に教皇レオ10世(ロレンツォの子)、教皇クレメンス7世(ロレンツォの兄弟の子)がいたことが大きく影響している。まだレオ10世は「よい後見人」だったが、クレメンス7世は実子のアレッサンドロをメディチの当主にしようと考え、カトリーヌにはしばしば冷酷な態度を取った。カトリーヌが四面楚歌の人質状態でフィレンツェに留め置かれたのはその最たる例である。最終的にカトリーヌはフランスに嫁ぐのだが、それは茨の道でもあったのだ。ただ、当時のフランス王フランソワ1世はイタリアびいきでもあったし、カトリーヌの知性を高く買っていたので、フィレンツェにいた時よりは自由でいられたと思われる。

 コジモの母マリア・サルヴィアーティは長く、愛情を持って小さいカトリーヌの養育・庇護につとめていたが、コジモは離れて暮らしていたためカトリーヌとの面識はほとんどなかった。それも影響しているのだろうか。コジモがフィレンツェの僭主となった後も、彼は縁者のいるフランスではなく敵のスペインと遠慮なく同盟を組んだ。カトリーヌとしても、マリアに恩義はあるもののコジモと手を組もうと一切考えなかったようだ。

 その結果、コジモはカトー・カンブレッジ条約でフィレンツェから80kmほど離れた古都シエナを手に入れたのである。それは、ただひとつの街を手に入れたというだけではない。中部イタリア・トスカーナ地方の重要な拠点を得たということになる。

 かつて、この地方からローマ近郊、ボローニャまで(紀元前9世紀から紀元前1世紀)エトルリア人が住み繁栄を享受したが、共和政ローマに支配され終焉を迎えた。意識していたか定かではないが、コジモは明確にイタリア中部を支配しようと考えていた。

 同じことを考えた人がこの16世紀初頭にもいた。チェーザレ・ボルジアである。
 彼はカトリックの枢機卿を辞任すると、教皇軍司令官としてイタリア中部の攻略にかかった。いくつかの都市を得たもののフィレンツェは陥落に至らなかった。また、彼は当時の情勢を見てフランスに付くことを選んだが、コジモはスペインとつかず離れず立ち回って、当初の目的であるシエナを獲得した。
 結果、チェーザレは病に倒れて目的を完遂できなかった。
 チェーザレ・ボルジアの目的が後に受け継がれたかという視点で見るならば、当人が意識するしないに関わらず、コジモに受け継がれたといってもさしつかえないかもしれない。ただコジモは当面アレクサンドロス大王になって東征するつもりはないようだったし、ローマ帝国を再興する野望もなかった。彼はいにしえのエトルリア人のように、何はなくともまずトスカーナが欲しいのだった。そこはチェーザレと決定的に違う点で、この世紀的な着地点でもあった。

 いくつかの戦いを経てなお、王侯貴族に金を貸すほどの余裕がコジモにはあったので、自らの都・フィレンツェの整備に力を注いでいる。
 彼は今シニョリーア広場にあるヴェッキオ宮殿ーー元は共和国政府のあった建物であるーーを居としているが、もっと広く全てを統括できるような建物を求めていた。また、妻のエレオノーラが体調を崩していたので、ゆっくりと静養できる空間も欲しかった。そこで以前フィレンツェの有力者が途中まで建造していた広大なピッティ宮殿を買い取り、自身の居城として新たに建て直すことにした。
 話はそれだけではなかった。

「え、ピッティ宮脇の川を渡ったところに政庁を築くのですか」とうつむいて長い顎髭を撫で下ろしている男がいる。フィレンツェ公のお抱え芸術家・建築家まで出世したジョルジョ・ヴァザーリだ。
 メディチの肖像画を描く仕事は主に他の画家(ブロンズィーノ)が担っているので、ヴァザーリはフィレンツェの都市計画の仕事にも携わっている。現代でいえば、プロデューサーといったところだろうか。

「うむ、対岸にはいくらか家屋もあるが、移ってもらう。ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿の間の区画はできるだけ空けたいのだ」と言ってコジモはぎょろりとヴァザーリを見る。
 ヴァザーリは主君の姿を仰いでしばらく思案する。
 その目の光ははなはだ強烈で、獅子と対峙しても獣の方が後ずさりしていくのではないかと思うほどである。戦いの場でなくとも、この主は臨戦態勢のように見える。
「分かりました。土地の確保を進めて設計技師と案を作ってまいります。ひとつお伺いしたいのですが、政庁から宮殿への船着き場を当然設けられますね。アルノ川をはさんでいるのですから。ヴェッキオ橋を市民と一緒に渡るというわけにもいかないでしょう。設計案に加えておきましょう」

 コジモはニヤリと笑う。
「それについてはひとつ腹案がある」
 彼がアルノ川をどう扱うかについて、ヴァザーリは驚くような案を聞く。それは、すでにあるヴェッキオ橋に秘密の専用通路を作るというものだった。
「ローマのカスタル・サンタンジェロの『法王庁の抜け穴』のごときものを橋に作るのですか!」とヴァザーリは目を丸くする。
「ああ、いい喩えだ。ローマ劫掠のとき大伯父の教皇クレメンス7世はそこを通って命拾いしたという。戦時中にも有効なものだ。まさか、アルノ川を掘って地下通路を作れとはいえない。けれど、ヴェッキオ橋は堅牢にさえすれば通路のひとつふたつ作れる。すでにあるものを使うのだから、倹約にもなるのではないか」とコジモはこともなげにいう。
 ヴァザーリは反論する言葉もなく、「それでは設計技師と相談してまいります」とうなずくのだった。

 これがのちにフィレンツェの名物になる『ヴァザーリの回廊』のもとになるのである。コジモはやがて手にするものを、必ず得られると確信していた。
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