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第12章 スペードの女王と道化師

オレンジの木を眺める窓辺

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〈フランシスコ・ボルハのユステ滞在に関する回想〉

 急造ではあったが、先王(スペイン王・カルロス1世と神聖ローマ皇帝・カール5世を兼任し退位した)の新居は森の中のかなり広大な邸宅といった趣である。
 イベリア半島でしばしば見られる高塔付きの頑丈な要塞ではない、庭園のある広々とした家だ。グラナダのアルハンブラの中に建てようとして中断した王宮ともだいぶ様子が違う。

 建築には先王の希望が存分に取り入れられていた。庭を望んだのもそうだし、間口や窓が多く光と風をよく通す造りなのもそうだ。もちろん元の修道院を凌駕してはいるが、建屋はそのまま残されている。
 「修道院に入る」というのが先王のおおもとの希望だったが、修道院を取り壊したわけでも、修道院長や修道士を追い出したわけではないので、当初の願いに沿ったものである。回りには数十人の人が仕え、すでに客もひっきりなしに訪れていた。「ユステ参り」が定着しそうな勢いだ。
 ヴァリャドリッド滞在の頃よりは良くなったものの、先王の歩行は覚束ないままだったので、応接はもっぱら寝室と近接した窓辺の広間で行われた。驚いたことに王室付の肖像画家も出向いており、先王の姿をデッサンしている。

 一見すれば隠棲とはずいぶん様子が違うが、神聖ローマ皇帝とスペイン王を兼ねた人の身の施し方としては順当なものだろう。
 あとは御身のために麦酒や過食を控えてもらえば何も言うことはないのだが。

 私は先王付きの司祭の一人としてしばらくここに滞在していた。私はかなり前に聖職を選び、王の近臣も総督もとうに辞していた。なので、こちらでは王の友人として近くに在ったのである。それは周囲からも認められていたのだが、貴族の一族だからというよりも、新王の教育係だったことや、前王妃と母王の葬儀を任されたという「過去の実績」が大きかっただろう。
 思えば、どれも先王の命によるものだった。

 これまでも述べたように、先王はスペインの航海者が辿った破壊への道について思うところが大いにあった。
「ラス・カサスの告発が提出されるまで、私は朧気な噂を聞くばかりだった。なぜ突然乗り込んだ土地で金銀が得られるのかさっぱり理解できていなかったのだ」
「はい、あなたさまはかのエンリケ王子とも血縁がございますし、Presbyter Johannes(プレスター・ジョン)の国があるという伝説を当然聞いていたでしょう。ですので、善良な人々と公平な取引をしていると思われたのかもしれませんが……あれだけのことが行われていたとは想像もできないでしょう」

 先王の血筋を遡れば、父方の曾祖母の叔父がエンリケになる。
 航海者たちが海に出た大きな理由が「Presbyter Johannes」(プレスター・ジョン……東方にあるといわれた理想のキリスト教王)の国を目指すことだった。なので、当初の航海者たちに対して先王はいくばくかの共感は持っていたのだと思う。しかし、先王が物心ついたとき、あるいは広大な帝国の治世者となったときでもいいが、インディアスに対するスペイン人の「行為」は規定路線となっていた。さきにコロン(一般的にはコロンブス)の航海を認めたのは先王の祖父母、イザベラ女王とフェルナンド王だった。先王が継いで王位についたのはその20年以上後で、ラス・カサスの最初の告発はその頃にまず出された。そこからさらに20年以上後で「報告」が提出され、王の諮問委員会が召集されたのだ。
 ことは年を重ねるうちにとてつもなく膨れ上がっていた。

「最初は40年前、私がまだネーデルラントで暮らしていた頃に遡る。ちょうど祖父(スペインのフェルナンド王)がみまかって、私がスペイン国王を譲り受けた直後だった。カサスはネーデルラントまでやってくるつもりだったようだが、マドリッドでトレド大司教のシスネロスに忠告され、ユトレヒトのアドリアン(のちの教皇ハドリアヌス6世)ーー両者とも私の教師だったーーに相談をした結果、インディアス統治の『改善策に関する覚書』を作成し、それが私の手元に届いたのだ。
 カサスはその前にフェルナンド王の許にも出向いたようだ。確かに、コロンの航海を支援し国家事業にした当事者なのだから祖父に訴えるのが順当だ。しかし臨終の床にある祖父には何もできなかった。祖母(イザベラ女王)が生きていたらまた違っていただろう。彼女は生前、現地の住民をひどく扱うまじとコロンに命じていた。私の母ファナの件もそうだが、つくづく、祖母が長く生きていてくれたら違う結果になったろうと今でも思っている」
「そうですな、イザベラ女王が早く天に召されたのはまことに残念なことでした。あの頃あなたさまはまだ二十歳そこそこだったし、スペインの内情についてもまだ通暁していなかった。そこであの訴えを聞く。内容を知ってさぞ驚かれたでしょう」
「それはもう。私は生まれてからずっとネーデルラントで暮らしていたし、今ほどスペイン語も達者ではなかった。しかし通訳越しにフランス語で知ったとしても、大きな衝撃だったのは間違いない。スペイン王になったとたんに激しい荒波に見舞われたということだ。
 もちろん、何もしないという手はなかった。だが、何をしたらいいのかという正解はなかった。なので、このときは覚書の提言を取り入れて起こした勅書を側近に渡すぐらいしかできなかった。今思えば、あのときすべての航海を止めるぐらいはした方がよかったのかもしれないが……それは今だから言えることだ」
「本国から離れていたら勅命を出すのが精一杯の、最善の策だったでしょう」
「ああ、どこを本国と言ったらよいのか分からないが……離れた国を治めるのは並大抵のことではない。今に至るまでずっとそうだ。だから、次代は統治をそれぞれ(弟フェルディナンドが神聖ローマ皇帝、子のフィリペがスペイン王)に任せることにしたのだ。
 こんなひどい苦労をするのは私だけで十分だ」

 「こんなひどい苦労」は絶えず統治者に襲いかかった。

 ドイツにあっては、神聖ローマ皇帝の座に着くや否や、折からのカトリック批判、長じて新教(プロテスタント)の勃興に向き合わなければならなかった。農民の反乱から広がった戦争も起こった。単に宗教という以上に国をひっくり返しかねない、内乱といってもいい事態だった。発端の論題を投げたヴィッテンベルグ大学の神学教授を議会に召喚するなどしても、新教拡大の波を鎮めることはできなかった。結果、ヨーロッパを取り込んでカトリックとプロテスタントの融和を企図したトリエント公会議でも決着はつかず、さきのアウグスブルグ和議で新教を公的に認めざるを得なくなったのだ。
 もうひとつ、オスマン・トルコの攻勢もたいへんな難事だった。総力戦にはならなかったが、帝国領のウィーンは包囲されあわや陥落を覚悟しなければならなかったほどだ。
 先王はそれでも「こんなひどい苦労」を生じた件に何とか決着をつけようと折々に奮闘してきたのである。

 征服者(コンキスタドレス)の蛮行にどう対応すべきかという問題は、その後再びやってきた。万事終わってはいなかったのである。1542年と1550年にラス・カサスは公的に自身の経験と見聞きした状況について述べる場を与えられた。
 1542年。
 折しもその頃はオスマン・トルコとの戦闘状態を終え、『トリエント公会議』開催がいよいよ煮詰まってきた時期でもあった。
 本筋からは離れるが、私が聖職の道を選ぶのを決意した頃でもある。
 先王はスペインに戻ってきた。
 そしてラス・カサスが新たに提出した、最近にいたる「報告」を目にした。
「最初にカサスの提言を受けたとき、エスパニョーラ島にまとまった人数で植民させ、平和的に統治体制を整えようとしたのだが、うまくいかなかった。その後もカサスは何度も聖職者として現地に赴き、事態を改善しようと試みた。自身の分配された土地の人々を解放もした。しかし、告発したことで現地のスペイン人からは敵視される。後ろ暗いところのある人間ならば当然そうするだろうな。そのうちにコルテスやピサロに代表される『探検者』らがどんどん奥地に進み、われわれ特有の病と暴力で、もとからある国を滅ぼしてしまった。
 これは侵略以外のなにものでもないだろう。
 インディアスに関する特別審議会を召集したのはその頃だった。カサスはあの『報告』をすべて、堂々と読み上げた。そして私はエンコミエンダの撤廃を含んだ『インディアス新法』を制定するよう命じたのだ」
「はい、よく存じています」
 しかし現地にいる人間のみならず、スペインでもインディアスの人々が『支配されるべき存在』であると信じて疑わない者も多く、強硬な反対派がそれを覆そうとする。特に真っ向から対立するセプルベダがアリストテレスの説を引いて、インディアスの住民が見舞われた事態を正当化した。その結果、1552年にはカサスとセプルベダによる公開討論が行なわれた。

「私は問題を審議するための委員会を設け、現場できちんと両者の意見を聞いた。どこまでも一致が見られない両者の話を聞いて、つくづく後悔した。本当はすべて私が、逐一現場に赴いて早くに指揮を取るべきだったのだ。結局この問題に決着はつかず、フィリペに引き継ぐことになってしまった。
 それがずっと私の煩悶の種だった。それができないばかりに、どれほどの損失を被ったことか。
ローマのこともそうだ」

 ローマのこと、とは1527年のローマ劫掠のことだ。先王の皇帝軍がローマに侵攻し、ランツクネヒト(傭兵軍)が破壊と略奪をしつくした事件だ。破壊されたローマはじきに復旧していったが、30年を経ても完全に元の姿を取り戻すことはできていない。
 先王がそこまでしろと命令したのではなかった。むしろ、ひどくやり過ぎた破壊行為の後始末にかかりきりになったというのが本当のところだっただろう。
 私は「責務」という言葉をふっと思い浮かべる。
 たとえ現地で指図していなくても、起こったことの責任は国全体に、具体的には為政者にかかってくる。どのことがらも、先王の思惑とはまったく異なってしまったのではないか。先王はすすんで悪事を働いたわけではない。何かことが起これば、議会なり宮廷で話し合い解決の途を探ったのだ。もちろん、君主が投げやりに扱えばいいというのではないが、起こることすべてが暴れ馬のごとく手綱を取りづらく、先王の命令ひとつで収まるようなものではなかったのだ。

 先王は私の目を見ていう。

「フランシスコ、『神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された』という。ならば神の前ではすべての人は平等ではないのか」
「その通りです」
「それならば、平等な扱いを受けない者は人ではないのか。インディアスのこともそうだし、他のこともそうだ。
 私はジョアン3世がしたように、『異端だから』という理由で人を殺めてよいとも思っていない。もしそのような考えに立てば、私もとうに新教徒になにがしかの制裁を加えていただろう。さらにもし、異教徒も皆そのようになってしまうなら、カサスが説明したインディアスへの行為も正当化されてしまうだろう。
 それは違う。
 おまえのイエズス会では異教徒でも洗礼を望めば与えていると聞く。
 その根本的な違いは何なのか。
 人は平等ではないのか。
 宗教としての筋はあるだろうが、それは私の中にずっとある『問い』なのだ。私は生まれてこのかた、立場としても個人としてもずっとカトリック信徒だし、そのまま死へと旅立つだろう。しかし、『問い』への答えは出ないままだ」

 それからしばらく、先王と私は言葉を発しなかった。ここで明快に答えが出せるわけではないからだ。アリストテレスのような明晰な人でも奴隷が当然必要だと思っている。だからそれが正しいというのは無理があるが、その時代の常識によって人の考え方が固まってしまうのは、自らを振り返ってみても皆無ではない。

 それを解きほぐすのが信仰と博愛であると私は信じている。

 ずいぶん長く話していた。
 午後の時間ももうじき過ぎていく。ほうとため息をつくと先王は離れていく太陽の方角をかすかに見やって、眩しそうに目をしばたかせた。

「広大な版図を征服した偉大なる皇帝というより、私は振り回されるばかりの道化という方が正解だったかもしれない。
 いくつもの課題を残したまま、私は役目を終えるが、そうだ。フィリペにはフランスと和議を結ぶのを優先するように伝えた。じきに戦争は終わるだろう。フランスの戦費はかなり負担になっていると聞くし、われわれの戦費の多くはインディアスの財から得ていたのだから……散財ばかりで益のない愚行は終わらせなければならない」
「そうです。ずいぶんと長い……50年以上にわたってフランスといがみ合っていましたから」
「ああ、長かった。私の祖父の代からだ……でも、もう終わりだ。フランシスコ」
「はい」
「今は周囲が賑やかで、王宮にいるのと変わらないが、ひとりにしてもらえる間はずっとおのれに問い、静かに祈っていたいと願う。そして、これまで数多くの悲劇を生んだ者として、ひたすら神に赦しを乞うしかないと思う。それが私の晩年に相応しい。フランシスコ、ときにはそれに付き合ってもらえないか」
「もちろんです」と私は答えた。

 先王は微笑んでうなずくと、ゆっくり、ゆっくり、悪い脚を庇いながら椅子から立ち上がった。

「そうだ、テラスに出てみよう」

 階上のテラスから見る庭は本当に見事なものだった。階下にも広いテラスがあって、タイル貼りの池が設けられている。庭園の中央には噴水があって周りにはたくさんのオレンジの木が整然と植えられて爽やかな芳香を放つ。地面は花で彩られ、まるで楽園のような風景だ。
「この庭園はパティオというにはいささか広い、立派なものです。水がそこらかしこに沸いていて、真夏でも快適に過ごせますね」
 先王はそのとき、心から安らいだような笑顔になっていた。
「あの池はヘントの宮殿と同じにしたのだ」
「そうなのですか、ネーデルラントのヘント(現在はベルギー)ですね。あなたさまが幼少期を過ごされたという宮殿の……」
「ああ、父と母がいて、ふたりがいなくなってからもアドリアンや宮廷の皆が守ってくれた。思えば、私が心から安らいで過ごせたのはヘントだけだったように思う。ずいぶん至らなかったにせよ、今私は自分のするべきことをほとんどなし終えた。ヘントと同じように造ってもらったこの庭は自分へのささやかな褒美だよ」

 私はどうしてだか、切ない想いが胸にこみ上げてくるのを止められなかった。

「……あなたさまは本当に、本当によく務められました。神はすべてご存じです。あなたはアレクサンドロス大王やカール大帝のように征服する人ではない、よく統治するためにこの広大なヨーロッパを駆け抜けた王でした」

 杖を握りしめる先王の後ろ姿に言葉をかけると、その肩は小刻みに震えはじめた。

 辺りには流れる水の音と鳥のさえずりだけが響いていた。
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