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第12章 スペードの女王と道化師
ラス・カサスのかつての訴え
しおりを挟む〈フランシスコの完全な独白〉
ヴァリャドリッドの王宮でしばらく節制に務めながら静養した結果、先の王の脚の症状も落ち着いてきた。私がヴァリャドリッドまで出迎えたのは正解だったかもしれない。つい魔が差して、また鰻とビールをこっそり持ってこさせるのも十分にあり得たのだ。
ヴァリャドリッドを出れば、ユステ修道院まではさほど遠くない。それはバルセロナからグラナダに行くよりは、というほどの意味でしかないのだが。しかし先王は寝台で過ごして体力がすっかり落ちてしまったので、ところどころで休養が必要だった。必然的に距離と時間は比例しなかった。
鰻とビールの場面だけ見ていた人ならば、きっと私を先王および皇帝の養育係だと思い込むかもしれない。
そうではない。
私は新王フェリペ2世の教育係だったのだ。それ以上でも以下でもないだろう。それ以降はフランスとの戦いでプロヴァンス方面に従軍するなどしたのちに、カスティーリャの副王を任ぜられた。過去に国だった地方の統治は困難を極めた。在地だったアラゴンの貴族は一様に反発したし、それに感化された領民もしばしば反乱を企てた。私は時には断固たる対応をーー首謀者の処刑も含めてーーせざるを得なかった。そのような重責に押し潰されそうになっていたある日、私ははるばるやって来たひとりのイエズス会士に出会ったのだ。
そこから私の人生は変わった。
私は子どもの頃に激しく望んでいた本当の願いを思い出したのだ。それは修道院長まで務めた祖母マリアの影響が大きかったのだが。
いや、私の話をしたいわけではない。
ただ、隠退した先王がのんびり余生を過ごそうとしているわけではないことを述べるためには、こんな私の人生でもいくらか語っておかねばならないと思っただけだ。
宮殿のような付帯施設もあらかた整った頃、先王と大勢の一行はユステ修道院に入った。節制に務めて旅をした甲斐もあって、先王カルロスはいくらか痩せて脚の具合も改善していた。その代わり、修道院に近づくにつれ憂鬱な表情を見せることが多くなった。修道院での暮らしに何か重たいものを感じたのだろうか。しかし修道院をついの棲みかにすると決めたのは、他でもない先王自身なのだ。一過性の気鬱なのだろうが、私は不思議に感じていた。
その理由はじきに分かった。
すでにイエズス会の修練を済ませていた私は先王に聖書の言葉を解いていた。しばらく、1日に少しずつそのような時間をとってから黙想のしたくを整えようと考えていた。もちろん、先王を即座にイエズス会に入らせようとしたわけではない。かの人と、心の救いを得る生き方についてじっくり話し合うための対話をするというのが趣旨である。なぜ私がその役を担うのかといえば、聖職者だからというよりも、先王の御后の葬式を取り仕切ったことや、先王の母君を看取ったことが大きいのだろう。
言い換えれば、奇妙な縁によるものだということだ。
ああ、前置きが長くなった。
先王は私に打ち明けたいことがあるのだろうと気づいていた。ある日のこと、彼は私の目の前にバサッと神の束を追いた。そして、椅子に腰かけたまま私をまっすぐ見上げて言った。
「ボルハ師、あなたはこの文書を知っているか」
そう言われて、私はパラパラと神の束をめくっていった。
〈 不肖、
私ことドミニコ会に所属する修道士バルトロ メー・デ・ラス・カサスまたはカサウスは現在、神のご慈悲によりここスペインの宮廷において、インディアスから地獄のような光景が消えてなくなるよう努力しているが、それは主イエス・キリストの血で贖われたあの数知れないほど多数の霊魂がこれまで同様いつまでも、なす術なく生命を奪われていくことのないよう、また、彼らが創造主の存在を知り、永遠の救いを得られるようにとの切なる思いからである。
私は祖国カスティーリャの行く末を案ずるがゆえ、スペイン人が神の信仰とその名誉に背き、隣人に対し大罪を犯し続けたことを理由に、神がわがカスティーリャを滅亡されないことを願っている。また、私はここ宮廷にあって、神の名誉を畏怖し、はるか彼方に住む隣人たちが被っている苦しみと災禍に大いに心を痛めておられる一部の貴顕から度重なる要請を受けて、この計画を抱いていたが、絶え間ない仕事に忙殺され、それを果たせなかった。
しかし、1542年12月8日、私はバレンシアでようやくこれを仕上げることができた。ところが、まさにこのころ、キリスト教徒がいるインディアス各地では、すでに記したようなありとあらゆる暴力、圧迫、無法、殺戮と略奪、土地の破壊、壊滅と荒廃、それに住民たちの苦しみと災禍などが猛威を揮い極みに達しているのである。もっとも地方により、その残忍さや忌まわしさには差があり、例えば メキシコとその周縁部では他の地方と異なり、幾分か(もっともほんのわずかだが)正義が守られ、住民たちの被害も比較的小さいか、少なくとも 悪事が公然と行われることはなかった。とはいえ、そこでもやはり、キリスト教徒は過酷な租税を要求してインディオ死に追いやっているのである。
今や皇帝陛下にして スペイン国王であるわれらが主君 ドン・カルロス5世陛下は、あの土地であの人びとに対して、以前同様現在も、神の御心と陛下のご意向に背いて、数々の悪事や裏切りが行われてきたことを諒解されておられますゆえ(と申しますのも、これまでは国王陛下には、真実が巧妙に隠蔽されてきたからであります)、正義を愛し、尊ばれる御仁として、必ずやその悪事を根絶され、神が陛下に授けられたあの新世界を救済されるに違いないと私は衷心より期待しております。願わくは、全世界にあまねく存在する自らの教会全体の救いのため、また、陛下ご自身の最終的な救霊のために、全能なる神が陛下の栄光に輝く幸福な生涯と皇帝の地位に対して、長きにわたるご加護を立てられんことを。
アーメン。〉(※)
「はい、14年前のラス・カサスの報告ですね、知らないはずはないでしょう。彼は商人だったのがインディアスへの暴力のひどさを嘆いてドメニコ会に入った人ですが、会こそ違えどこの報告を緻密に描いたことで、ローマでも一目おかれています。また聞いたところによると、現在はフィリペ王にもカスティーリャの責任の履行を求める文書を作成しているようです」
「そうだ。すべての責任は統治者に帰す。もちろん、ラス・カサスが提出した文書一式はフィリペに託してきた。これは代替わりしたからといってなくすべきではない問題だ。
エンコミエンダの悪しき弊害は制度としては取り除いたが、それで皆の心や仕打ちまで変えられるものではない。ボルハ師、いや、フランシスコ、あなたはこの問題をどのように考えているのか。スペインの王宮にいた者としてだけではない、ポルトガル王の支援を得て宣教師を次々とインドおよび東アジアに送り出しているイエズス会の重役として、あるいは……これがもっとも大事なことだが……ひとりの人間としてどのように考えているのか、ぜひ聞きたい」
先王カルロスは私にまっすぐな目をぶつけて、問いかけてきた。これは30分の日課の中で済む話ではなかったし、現在新大陸で起こっていることを把握していないからと逃げを打てるものではない。
ここから、長い長い対話が始まっていくことになる。
※引用『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス著、染田秀藤訳(岩波文庫)
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本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。
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