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第12章 スペードの女王と道化師
また会おうと言えばよかった コインブラ 1554
しおりを挟むさてここまで、パリとプロヴァンスとフィレンツェを中心にして話が進んでいるが、1554年のヨーロッパ西方に視線を移してみよう。
移動するのはポルトガルのコインブラである。
コインブラという地名はずいぶん前にも出てきた。それは主に、フランシスコ・ザビエルの母方の伯父にあたるアスピルクエタ教授、通称ナワロ(ナヴァーラ出身の、という意味である)教授の勤め先、コインブラ大学があるからだった。ナワロ教授は教会法博士として、スペインのサラマンカ大学からコインブラに移ってきたのだ。
フランシスコのことを気にかけていた教授はかねがね、自分のいるサラマンカ大学に来いと呼び掛けていたのだが、フランシスコは固辞してパリ大学に進学した。以降、二人の交流は途絶えがちになっていたのだが、彼が学生同士で新たな修道会を作ることになったのを知るに及んで猛烈に反対した。パリ大学で教授になる道もあったし、ナヴァーラの首都であるパンプローナの司祭職を目指すこともできた。それなのに、身一つになって修道生活に入るという。その修道会がローマで認可されるかも分からない。
「何のために大学まで行かせたのか」と故郷の兄たちも嘆いたし、コインブラに移っていた伯父もまったく同じ受け止めかたをした。
そしていくらか、具体的には6年ほどの月日が過ぎた。
運命のいたずらという必然があって、フランシスコは供を連れてポルトガルにやってきた。新しい修道会は教皇パウルス3世在位のバチカンに認められ、あれよあれよとローマに本拠地を置くことになり、それを知ったポルトガル国王ジョアン3世の熱心な招聘を受けて宣教師が赴くことになったのだった。
新しい修道会がすんなりと認められた背景には、プロテスタントの勢いが増しているのに対抗するという目的があった。対象は異なるが十字軍であるとか、騎士団であるとか、ジャンヌ・ダルクのような位置付けだったかもしれない。
ただし剣は持っていない。
その修道会、イエズス会の初代総長となったのはフランシスコと学生時代寮で同室だったイグナティウス・ロヨラだったが、彼は親友のフランシスコを遠方に送ろうとは考えていなかった。白羽の矢を立てた人が病気になり、いわば代役としてポルトガルに行ったのだ。運命のいたずらという必然、とはそのような意味である。
ナワロ教授は従者のセサルと非公式にリスボンに赴いてフランシスコに会った。フランシスコは東洋への宣教のためインドのゴアへ行く船に乗る直前で、のんびり再会を喜ぶわけにはいかなかった。しかし久しぶりに会った甥がたいそうたくましくなっていたのを見てナワロ教授は人知れず感動し、これまで反対していたイエズス会への支援をしていこうと決めた。
フランシスコが旅立って以降、イエズス会はどんどん大きくなっていった。スペインやポルトガルにも管区が設けられ、修道院や学校が建てられた。コインブラにも建てられた。ナワロ教授の具体的な貢献の内容は明らかでないものの、それなりのことはしていたと考えられる。フランシスコがインドやマラッカ、薩摩から国王宛てに送られた書簡は広く知られ、後に続く人たちの大きな道しるべとなったからである。
しかし、フランシスコがそこから戻ってくることはなかった。1552年の12月、中国への宣教の途上、三州島で病に倒れたのである。その知らせは1553年の暮れにはポルトガルにも届いた。ナワロ教授は悲しみ、一緒に同行することになった従者のセサルはどうなったのかと考えもしたが、フランシスコの最期の状況以外は知りようもない。従者もかなりの高齢だったので、それより前に他界したのだと思うよりほかなかった。
フランシスコの年長の兄もすでに他界していたので、ナワロ教授は大いに悲しんだのだが、彼はあたかも忘れ形見のように、一人の青年をリスボンまで届けていた。
それが、薩摩のベルナルドである。
まだ20歳そこそこの青年は、フランシスコが薩摩に上陸して説教をしていたときに出会い、ヤジロウという男とともにずっとフランシスコの旅を支えていた。そして彼は東方宣教の果実として、ローマに至る大きな使命を与えられてリスボンまで送られたのだった。
あまり大袈裟には書いていないが、彼はポルトガル、スペインを経て初めてローマに至った日本人である。ヴァスコ・ダ・ガマが拓いたインド航路、いや大航海時代の大きな果実でもあった。
1553年にリスボンに到着した彼は、ほどなくゴアで別れたフランシスコの死を知る。そして船の長旅で疲労の極みにあったのが悪化し、ついに倒れてしまった。国王ジョアン3世も憂慮しイエズス会の人々が看病につく中でようやくベルナルドはいくらか健康を取り戻した。しかし、そのままローマへの長旅ができるほどの体調ではなかったので、コインブラの修道院で静養しつつ修練の生活を送ることになった。
ナワロ教授は居ても立ってもいられない気持ちだった。肉親といってもいい甥はもう帰ってこない。しかし、甥が育てた異国の人がコインブラまで来てくれたのだ。教授はフランシスコがどのように過ごしていたのかぜひ聞きたいと願った。ただ、ベルナルドの体調は万全ではないのでしばらく待つ必要があった。
ベルナルドはコインブラでできる限り他の人と同じように日課をこなすよう努めていた。日本ではスペイン出身の宣教師と接することが多かったのでポルトガル語は完璧とはいえなかったが、それでも学ぶ意欲は誰よりも強かったので、あっという間に日常生活で不便がない程度に言葉を習得していた。もちろん、キリスト教の修練についても同様である。インドから持参した聖書を常に紐解いて、誰よりも真剣に祈り、朗唱し、学んだ。
ナワロ教授はその様子を聞くにつけ、フランシスコがどれほど熱心にベルナルドを導いてきたのかと思いを馳せるのだった。彼がようやくベルナルドと話せるようになるのにまる一月はかかったのだが、一端話せるようになるとお互いが違う国の人であることなど一切忘れて語り合うことができた。
ベルナルドはフランシスコの『折り返しの旅』の大半を知っていた。薩摩から平戸、山口、堺、京、そこから大分、マラッカ、ゴアへと続く行程である。ナワロ教授は子供が冒険譚でも聞くように、一言も聞き漏らすまいとベルナルドの話を聞いた。ベルナルドもフランシスコの肉親にそれを伝えられるのが自分だけだと分かっているので、懸命に説明した。二人は不思議なつながりで結ばれたようだった。今はもうこの世にいない人に結ばれたつながりといえようか。
そしていよいよ、ベルナルドはスペインを経由してローマに向かう日がやってきた。ナワロ教授は離れがたい気持ちを抱きながらも、明るく青年を見送ると決めて、彼を抱擁した。
「ベルナルド、スペインの旅路も楽ではないと思うが、ただただ、あなたの無事を祈っている。もし、スペインで困ることがあれば、さきに話したフランシスコ・ボルハを頼りなさい。あの方はイエズス会のスペイン管区長だから、何も言わなくともあなたを庇護してくれると思うが」
ベルナルドは小さな声でいう。
「雪沙どの、セサル・アスピルクエタ、いえ、チェーザレ・ボルジアさまの血縁の方ですね」
ナワロ教授はうなずく。
「そう、いっそボルハ氏もセサルの話を聞けたらよいのだが」
「それは雪沙どのから固く止められましたので、できないでしょう」
「……セサルはまだ生きているのか」とナワロ教授は尋ねる。ベルナルドは空を仰いで思案する。
「あれから2年……私は、生きておられると思います」
ナワロ教授も空を見上げる。
「そうだな、私もそう思うよ、ベルナルド」
ベルナルドは笑顔でうなずいた。
「それではそろそろ出発します。またお会いしましょう、ナワロ教授」
それを聞いた教授の目から涙がぽたり、ぽたりとこぼれる。
「どうされました」とベルナルドは驚く。
「フランシスコにもそう言えばよかった。そうすればまた会えたかもしれないのに……ベルナルド、身体を大事にして必ず戻って来ておくれ。私はそれまで生きているから。どうかきみも生きておくれ」
「……承知しました、教授」
そういうとベルナルドは教授をそっと抱擁した。
そして旅立っていった。
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