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第1章 星の巡礼から遠ざかって チェーザレ・ボルジア
幕間(まくあい)のことば
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ぼくは見たくない!
きてくれと 月に言ってくれ
ぼくは見たくない
砂の上のイグナシオの血を
ぼくは見たくない!
ひろびろと開かれた月
静かな雲の馬のむれ
夢の灰色の闘牛場
囲いの柵にヤナギの木々
ぼくは見たくない!
思い出が燃えあがるからだ
白い小さな花々つけた
ジャスミンにそう言ってやれ!
ぼくは見たくない!
古代世界のあの牡牛
悲しい舌でなめていた
砂の上に流された
血まみれの鼻づらを
そしてギサンドの牡牛ども
半分は死 半分は石
大地を踏むのにくたびれて
啼いている二つの世紀のよう
いや
ぼくは見たくない!
イグナシオは階段をのぼってゆく
自分の死を両肩にかけて
夜明けをさがしていた
その夜明け どこにもなかった
彼はさがす 自分の確かなシルエット
それが夢をはぐらかす
自分のきれいな肉体をさがし
流れ出た自分の血に出会った彼
言うな ぼくにそれを見ろと!
ふきあげる度に力を失う
血のふきあげが ぼくはいやだ
階段座席をぱっと照らして
このふきあげ
ふりかかってくる
狂った群衆のコールテンと
なめし革の上に
身をのりだせと 誰がぼくに叫ぶ!
言うな ぼくにそれを見ろと!
せまりくる角を見た時
彼は目を閉ざしはしなかった
だか おそるべき母たちが
頭をもたげてきたのだ
牛の放牧地をこえて
ひそかな声の微風が吹きおこり
青白い霧の牛番たち
あの天の牡牛たちに呼びかけたのだ
彼ほどのプリンス
セビリヤにはいなかった
彼のような剣もなかった
ライオンたちの河のような
ものすごい彼の力
大理石のトルソのように
輪郭あざやかな用心深さ
彼の頭を金色にそめていた
アンダルシーアのローマぶり
塩のようなユーモアと
知性のナルド 彼の笑い
闘牛場での 立派な闘牛士!
山では 山のよい住民!
麦の穂をつかむ そのおだやかさ!
拍車をあつかう 彼のきびしさ!
朝露への そのやさしさ!
市場での 陽気なかがやき!
そして暗黒の最後の槍を打ち込む時の
なんというすさまじさ!
その彼 今や果てしなく眠る
もう彼の頭蓋骨の花を開いている
苔と草の葉の正確な指
今や歌いながら 流れくる彼の血
沼地と牧場をわたり 歌いながら
かじかんだ角の上をすべり
生気なく霧の中をゆらめいて
牡牛どもの千のヒヅメにつまづき
長い 暗い 悲しい舌のように
星きらめくグァダルキビールのほとり
苦悩の水溜りをつくるために
おお スペインの白い壁!
おお 悲しみの黒い牡牛!
おお イグナシオのきびしい血!
おお 彼の血管のナイチンゲール!
いや
ぼくは見たくない!
血を入れるミサの杯はないのだ
血をひやす光の霜はないのだ
歌もなければ ユリの花の洪水もないのだ
血を銀色にするクリスタルはないのだ
いや
ぼくは血を見たくない
■引用:「イグナシオ・サーンチェス・メヒーアスを弔う歌」の第二節「流血 La sangre derramada」
「ロルカ詩集」フェデリコ・ガルシア・ロルカ/長谷川四郎訳(みすず書房)
フェデリコ・ガルシア・ロルカは20世紀スペイン・アンダルシアの詩人であり戯曲作家である。引用した彼の手による長編詩『イグナシオ・サーンチェス・メヒーアスを弔う歌』は、闘牛士の不慮の死について書かれたものである。
チェーザレのヴィアナの戦いからおよそ400年後に作られたこの詩で描かれた、勇敢で陽気な闘牛士が不慮の死を迎えたありさまが、スペインの血を引くチェーザレやミケロットの悲しい道行きと重なる。
透かし紙で見るように。
ヴィアナの戦いの後、通りがかりの吟遊詩人が詠んだと言っても差し支えないほど、この詩は時をたやすく越える。冒頭の「道」についても同様だ。もちろんフェデリコ・ガルシア・ロルカはまったく想定していなかったにしても、この詩ほど彼らと同調しているものを私は知らない。
もちろん、ボルジア家の紋章が牛であるということ、チェーザレがかつて処刑した腹心、レミーロ・デ・ロルカと後世の詩人が同じ苗字だということも、後世から見れば想像の羽を伸ばす符号になるかもしれない。
闘牛士か、稀代の騎士か。
あるいは詩人か。
フェデリコ・ガルシア・ロルカは1936年のスペイン内乱の勃発からほどなく、ファシストによって銃殺され、遺体はオリーブの木の根元に埋められた。
話は次章に続く。
「星の巡礼から遠ざかって」の章 終わり
きてくれと 月に言ってくれ
ぼくは見たくない
砂の上のイグナシオの血を
ぼくは見たくない!
ひろびろと開かれた月
静かな雲の馬のむれ
夢の灰色の闘牛場
囲いの柵にヤナギの木々
ぼくは見たくない!
思い出が燃えあがるからだ
白い小さな花々つけた
ジャスミンにそう言ってやれ!
ぼくは見たくない!
古代世界のあの牡牛
悲しい舌でなめていた
砂の上に流された
血まみれの鼻づらを
そしてギサンドの牡牛ども
半分は死 半分は石
大地を踏むのにくたびれて
啼いている二つの世紀のよう
いや
ぼくは見たくない!
イグナシオは階段をのぼってゆく
自分の死を両肩にかけて
夜明けをさがしていた
その夜明け どこにもなかった
彼はさがす 自分の確かなシルエット
それが夢をはぐらかす
自分のきれいな肉体をさがし
流れ出た自分の血に出会った彼
言うな ぼくにそれを見ろと!
ふきあげる度に力を失う
血のふきあげが ぼくはいやだ
階段座席をぱっと照らして
このふきあげ
ふりかかってくる
狂った群衆のコールテンと
なめし革の上に
身をのりだせと 誰がぼくに叫ぶ!
言うな ぼくにそれを見ろと!
せまりくる角を見た時
彼は目を閉ざしはしなかった
だか おそるべき母たちが
頭をもたげてきたのだ
牛の放牧地をこえて
ひそかな声の微風が吹きおこり
青白い霧の牛番たち
あの天の牡牛たちに呼びかけたのだ
彼ほどのプリンス
セビリヤにはいなかった
彼のような剣もなかった
ライオンたちの河のような
ものすごい彼の力
大理石のトルソのように
輪郭あざやかな用心深さ
彼の頭を金色にそめていた
アンダルシーアのローマぶり
塩のようなユーモアと
知性のナルド 彼の笑い
闘牛場での 立派な闘牛士!
山では 山のよい住民!
麦の穂をつかむ そのおだやかさ!
拍車をあつかう 彼のきびしさ!
朝露への そのやさしさ!
市場での 陽気なかがやき!
そして暗黒の最後の槍を打ち込む時の
なんというすさまじさ!
その彼 今や果てしなく眠る
もう彼の頭蓋骨の花を開いている
苔と草の葉の正確な指
今や歌いながら 流れくる彼の血
沼地と牧場をわたり 歌いながら
かじかんだ角の上をすべり
生気なく霧の中をゆらめいて
牡牛どもの千のヒヅメにつまづき
長い 暗い 悲しい舌のように
星きらめくグァダルキビールのほとり
苦悩の水溜りをつくるために
おお スペインの白い壁!
おお 悲しみの黒い牡牛!
おお イグナシオのきびしい血!
おお 彼の血管のナイチンゲール!
いや
ぼくは見たくない!
血を入れるミサの杯はないのだ
血をひやす光の霜はないのだ
歌もなければ ユリの花の洪水もないのだ
血を銀色にするクリスタルはないのだ
いや
ぼくは血を見たくない
■引用:「イグナシオ・サーンチェス・メヒーアスを弔う歌」の第二節「流血 La sangre derramada」
「ロルカ詩集」フェデリコ・ガルシア・ロルカ/長谷川四郎訳(みすず書房)
フェデリコ・ガルシア・ロルカは20世紀スペイン・アンダルシアの詩人であり戯曲作家である。引用した彼の手による長編詩『イグナシオ・サーンチェス・メヒーアスを弔う歌』は、闘牛士の不慮の死について書かれたものである。
チェーザレのヴィアナの戦いからおよそ400年後に作られたこの詩で描かれた、勇敢で陽気な闘牛士が不慮の死を迎えたありさまが、スペインの血を引くチェーザレやミケロットの悲しい道行きと重なる。
透かし紙で見るように。
ヴィアナの戦いの後、通りがかりの吟遊詩人が詠んだと言っても差し支えないほど、この詩は時をたやすく越える。冒頭の「道」についても同様だ。もちろんフェデリコ・ガルシア・ロルカはまったく想定していなかったにしても、この詩ほど彼らと同調しているものを私は知らない。
もちろん、ボルジア家の紋章が牛であるということ、チェーザレがかつて処刑した腹心、レミーロ・デ・ロルカと後世の詩人が同じ苗字だということも、後世から見れば想像の羽を伸ばす符号になるかもしれない。
闘牛士か、稀代の騎士か。
あるいは詩人か。
フェデリコ・ガルシア・ロルカは1936年のスペイン内乱の勃発からほどなく、ファシストによって銃殺され、遺体はオリーブの木の根元に埋められた。
話は次章に続く。
「星の巡礼から遠ざかって」の章 終わり
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