16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第12章 スペードの女王と道化師

真価がわからないのか

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 ミシェル・ノストラダムス(彼は著述の際に名字をラテン語読みにしたので以降はこう呼ぶ)はフランソワ・ラブレーに会えなくなってからの時の流れを噛み締めている。
 ミシェルがフランスの東端まで探究の旅をしているとき、ラブレーから手紙が届いていたのに応じなかったことを静かに悔やみながら。それはおそらく、最後の機会だったと今にして痛感するのだ。
 ラブレーはリヨンに拠点を置いてずっと執筆活動を続けていた。人気を博していた『パンタグリュエル』はその諧謔と宗教風刺ゆえに、少なくない人の批判にもさらされていた。それは対立するふたつの派、カトリックとユグノー(プロテスタント)双方から飛んできていた。普通ならばそこで恐れをなして雲隠れしてしまうところだ。誰も宗教裁判、異端審問に引き出され、何らかの烙印や罰を科されたくはない。その点、ラブレーには王室に近い庇護者ジャン・デュ・ペレーが付いていたので、実際そのような憂き目に合うことはなかった。しかし、さらなる批判が彼の身を危険にさらすとも考えられたので、彼はイタリアに旅に出た。それまでも同じようにイタリアに旅人として身を隠すことを何度もしていたのだ。それが1547年のことだったと後で私は知った。ローマでデュ・ペレーと合流したラブレーはフランス王室に王子が誕生したことを記念して行われた模擬試合についての一文を書いて、王室への敬意を示している。フランスに帰国したのは1549年のことだった。
 その後、宗教改革派の貴族オデ・ド・シャティヨンの知己を得たラブレーは1550年に「すべての旧著再版ならびに新作刊行」のため10年間の出版允許(いんきょ)を国王から与えられたという。
 しかし、そこからラブレーの噂は聞こえなくなってくる。昨年の1月にはパンタグリュエルの『第四』が刊行されたが、それもパリ大学をはじめごうごうたる非難の的になった。非難の噂は聞こえてきたが、本人の動静が分からなくなったということだ。裁判になったのかどうかも分からない。そして今年も半ばになって……死んだという知らせだけ耳にするとは。

 いったい何が起こったのだろうか。病気だったのか。在俗司祭として静かに眠りにつけたのだろうか。
 ラブレーは確かに、初めて会ったときから型破りな学徒だった。修道院の枠に収まるような人ではなかった。ただ、それはキリスト教に反するというようなものでは決してなかった。彼は「司祭」なのだ。『パンタグリュエル』の英雄譚にしても、下品な部分もあり痛烈な風刺が込められていたが、あれは伝承を元にした物語であって、書いた人が石つぶてを投げられるようなものではないと私は感じた。何より、それまでの通例だったラテン語ではなく、あれらがフランス語で書かれたのになぜ皆重きを置かないのだろうか。ルターがドイツ語の聖書を出版したことはあれほど話題になったのに。ただの二束三文の与太話ではないのだ。広く皆が読める母国語で綴られていることが逆に批判のもととなったのならば、これほど皮肉なことはない。
 ラブレーはイングランドにおけるジェフリー・チョーサーやトマス・モア、イタリア半島におけるジョヴァンニ・ボッカチオやダンテ・アリギエーリ、ネーデルラントにおけるデジデリウス・エラスムスと同じ仕事をしたのだ。母国語で物語を書くのがどれほど大きな仕事か。この国のどれほど教養深い、徳の高いはずの人もそれが理解できないのだろうか。モチーフが世俗的で毒のある英雄譚なのは、それが市井の人におもしろく読んでもらえるからであるし、自分を取り巻く社会というものに興味を持つだろう。何より自分の母国語を文字として読む楽しさを見いだしてくれるではないか。

 ミシェルはラブレーの書いた物語が俗悪だと非難されるばかりで、その真価が理解されないうちに作者が世を去ってしまったことが残念でならなかった。
 まだ年端もいかぬミシェルに、チラコー氏の家でエラスムスの『痴愚神礼賛』を教えてくれたのはラブレーだった。ダンテ談義に花が咲いたことも……彼にもう会えないのだということが骨身に染みた。そして、その目から涙を溢れさせて先達の死をただただ嘆いた。

 ミシェルがアルマナック(占いの暦)を書くようになったのは著述家になるという大志を持ったからではなく、ラブレーと同じ場所に身を置きたいと思ったからだった。そうすれば、いつかまたラブレーとの交流が再開できると信じていたのだ。しかしその機会は永遠になくなった。ミシェルはリヨンにある古代の競技場跡でひとしきり泣いた後でようやく立ち上がり、宿への道を辿り始めた。
「私はどうしたらラブレーの跡を引き継げるだろうか。もう人生も半ばをとうに過ぎてしまったというのに」
 彼は繰り返しそうつぶやきながら、リヨンの町をとぼとぼと歩いていった。



 一方、パリのサン=ジェルマン=アン=レー城では王妃カトリーヌがギーズ公夫人アンナと話をしている。アンナはイタリア・フェラーラの出身なので、イタリア半島の情勢について忌憚なく話せる存在である。
 カトリーヌがもっぱら気にしているのは実家も関わる戦争だった。フィレンツェが神聖ローマ帝国の裡にあるスペインと手を組んでシエナを侵攻を進めている。そしてフランスがシエナと協力してフィレンツェを倒そうとしている。
 カトリーヌにしてみればフィレンツェの僭主であるコジモ・ディ・メディチは同じ年の親戚で、彼と夫が全面的に対立するのはできれば避けたい事態だった。夫の敵はずっと神聖ローマ帝国で、フィレンツェはさほど問題視していなかった。ただ、それはいささか甘い見立てだった。シエナとフィレンツェは70kmほどしか離れていない。それに、コジモがどのような男であるのかフランス王アンリはよく理解していなかった。彼はメディチ家の傍流の出になるが、イタリアきっての武人の血を引いていた。父親は『黒隊のジョヴァンニ』と呼ばれた傭兵隊長(コンドッティアーレ)、祖母はイタリアきっての女傑と呼ばれたカテリーナ・スフォルツァである。この血を受け継いだら武人になるに違いないというほどの血筋である。前年の1552年、シエナのスペイン軍は遠征のフランス軍によって追放されたが、カトリーヌはコジモを知っているので、そうそう簡単にシエナを諦めることはないと分かっている。

「アンリはじきに、コジモと対峙しなければならない」とカトリーヌはつぶやく。
「シエナがそこまで持ちこたえればいいのですけれど。いずれにせよ王妃さまにはお辛いことでしょう」とアンナが言う。
 カトリーヌはゆっくり首を横に振る。
「私はフランス王妃です。さきの年には王の代理も務めました。コジモがどのような男かは分かっていますが、私が彼の側に付くことは決してありません。こう言っては何だけれど、コジモも私の同情なり共感を一切必要としていないわ。その証拠に泣き言だの懇願をしてきたことはない。私たちは敵として対峙する。お互いにそう思っているでしょう。私が心配しているのは、遠征していくフランス軍が痛い目に合わないかということだけ。コジモはそれほど勇猛な武人なのよ」
 アンナはうなずいてカトリーヌの顔をじっと見つめている。
「そうですね。フランスの勝利をただ信じていきますわ」
「そうね、遠征に適切な時期などもあのアルマナックに載っているのかしら……そういえば、あの本の著者には連絡が取れたのかしら」
 アンナははっと思い出したようにいう。
「そうでしたわ!リヨンの版元に連絡を取ったのです。そうしたら、著者はリヨンから少し離れたところに住んでいるので、少し待ってほしいという手紙が届いておりました。その後はまだ……」
「ああ、急いでいないからいいのよ。ただ、やはり早く見てもらいたいという気持ちはあるわ。子どもたちの星も見てもらいたいし……」
「あら、王妃さまや王さまはよろしいのですか」とアンナが微笑む。
「それは、ちょっと恐ろしくて聞けないわ」

 カトリーヌはそう言うと、意味ありげな微笑みを返した。
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