16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第1章 星の巡礼から遠ざかって チェーザレ・ボルジア

地下牢の騎士 1506年 ローマ

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<ミケーレ・ダ・コレーリア、ニッコロ・マキアヴェッリ>

 チェーザレ・ボルジアは1505年の夏にスペイン・アルバセーテのチンチーリャ城で城代の首を締め上げて、その後居場所を移されることになった。

 1506年がやってきた。

 時間は不可逆である。かつてイタリア半島を席巻したチェーザレ・ボルジアという名も人の口の端に上らなくなっていた。あの炎暑の、神に呪われた1503年の夏を通り過ぎ、ローマは変わらずに賑わっている。それもまた混沌と戦乱に巻き込まれる前の静けさではあるのだが。

 チェーザレを忘れていない者はもちろんいた。

 彼の可憐な妹、ルクレツィア・ボルジア、フランスでチェーザレの子を育てている妻シャルロット・ダルブレ。スペイン人の枢機卿たち、もちろんチェーザレの恩師のレモリーネス枢機卿も含む。レモリーネスはナポリまでチェーザレとともに赴き総督によくよく話をしたこともあり、囚われた教え子を人一倍気遣っていた。それぞれスペイン本国にたびたびチェーザレ釈放の嘆願を送っている。妻シャルロットの兄、ナヴァーラのダルブレ王からも、ルクレツィアの義兄のマントヴァ公爵からも、教皇ジュリオ2世、スペイン王、フランス王に対して嘆願が続けられていた。しかし、教皇はそれを無視したし、スペインはそれどころではなく、フランス王にいたっては、かつて与えたヴァランスの領地を削り取ってしまった。
 すべて奪わないところがこの王らしいところではある。まだ何がしか使えるだろうと考えていたのかもしれない。
 彼のスペイン人の忠臣たちもすでにバラバラになっている。現状、再起をはかるのは不可能だろう。一番の忠臣が捕えられたままだからだ。

 もうすでに何回も登場している。1494年のイタリア戦争のときも、シニッガリアの反乱のときにも出てきた。しかし、ここで改めて教皇庁の要塞について説明したい。

 ローマの中心部にカスタル・サンタンジェロという城塞がある。教皇庁からは400メートルほど離れているが、地下道でつながっている。いざという時に逃げ込めるようにするためである。「聖なる天使の城」という美しい名を持つこの城はきれいな円柱形をしている。全体の敷地は五芒星の形をしており、上空から見てもたいへん目立つ。実にどっしりとした造りのこの城はもともとローマ五賢帝の一人、ハドリアヌス帝廟として築かれたもので、完成したのは紀元139年になる。次のアントニウス・ピウス帝の治世である。

 そして、その地下牢は入れられたら生きて出られないといわれる。そこで死ぬか、刑死か。実際は生きて出る者もいるのだが、人を恐怖させるのに十分な場所だった。

 さて、強大な帝国であったローマのこの遺構は14世紀になってローマ教皇庁のものになる。

 ローマ、その偉大なる響き。

 「元の」ローマ帝国が瓦解した後、東西フランク王国がヨーロッパに隆盛を誇ることになった。10世紀にカール大帝(シャルルマーニュ)が大統一を成し遂げた後、ローマ帝国は新たな神聖ローマ帝国として現在のドイツを中心に存続していく。この頃には、かの有名なハプスブルグ家が王座に就き隆盛を誇るようになって、長くヨーロッパ東部に大きな力を保持しているのだ。それは19世紀まで続く。

 一方、帝国が消えたローマはどうだったであろうか。長い間、その主はカトリック教会だった。まるで、ローマの正統な後継者は自分であると主張しているようであった。その地位は他にはない性格のもので、たいへん強固だった。これまで何度も、神聖ローマ皇帝を含めてさまざまな国家、勢力がローマを狙って行動を起こしてきた。しかし、16世紀始めのこのときまで辛うじてローマ・カトリック教会は不可侵の状態を保っている。




「ローマはいつまで今のようでいられることか」
 ティベレ川のほとりで、いにしえのローマに思いを馳せて、つぶやく男がいる。
 彼はここを何度も訪れている。フィレンツェの書記官として。
 そしてまだ出世せず、フィレンツェの書記官としてここに立っている。
 ニッコロ・マキアヴェッリである。

 すでに彼は何度もこの話に出てきているので、改めて紹介することもないかと思うが、少し振り返ってみよう。
 短く刈り上げられた頭、大人しい風貌はいかにも役人らしい。しかし彼は臨機応変に動く外交官で、骨のある交渉家でもあった。イーモラでチェーザレ・ボルジアと初めて交渉のテーブルについてから、マキアヴェッリは彼の熱心な観察者であり続けた。その姿に君主たるべき人物の理想を見たのである。いや、観察者というよりも信奉者といった方がいいかもしれない。チェーザレの凋落の際はわずかしか側にいなかったものの、マキアヴェッリは変わらずにその力を信じていた。

 後に彼はローマ時代と当代の事例をつぶさに比較し、政治や国家のありようについて大作を著すことになる。彼がチェーザレ・ボルジアの伝記を書いたなら、第一級のものができあがっただろうに。

 マキアヴェッリがチェーザレ・ボルジアについて記述したものを見てみよう。

「民衆からヴァレンティーノ公と呼ばれたチェーザレ・ボルジアは、父親の運命によって政体を獲得し、同じものによってそれを失ったが、彼としては他者の軍備や運命によって譲り受けたあの政体のなかで、自分の根っ子を張るために、賢明で有能な人物がなすべき一切の事柄を行ない、手立てのかぎりを尽くしたのではあった。なぜならば、先に述べたように、前もって土台を築いていない者であっても、大きな力量の持主であれば、後になってこれを固めることができないわけではないから。ただし、建築家のほうはひどい苦労をし、建造物には危険を伴ってしまうが。したがって、もし公の歩んだ来歴をつぶさに熟慮してみるならば、彼が将来の権勢のために大きな土台を築いていたのが看て取れるであろう。これを論ずるのが余計なことである、と私は判断しない。なぜならば、彼の行動の実例以上に、新しい君主にとってすぐれた規範を示してくれるものを私は知らないから。そして、彼の行動様式が実益をもたらさなかったとしても、それは彼の罪ではなかったのである。なぜならば、それは甚だしく極端な運命の悪意が生み出したものであったから」
(引用 「君主論」マキアヴェッリ著 河島英昭訳 岩波文庫)
 これを紹介するのが余計なことである、と私は判断しない。

 その彼がローマを訪れたのには理由があった。

 彼はかねてから、徴兵によるフィレンツェ市民軍――実際は国民軍と呼んでいたようだが――の創設を提案し、それが実現の運びとなったのだ。近在の地の農民をマキアヴェッリ自らスカウトして回った。涙ぐましい努力である。

 その努力が実り、1506年2月15日には初の閲兵式が行われたところである。その数400の編成である。白の胴着、白と赤のタイツ、白のベレー帽に身を包み、その上に鉄の胸甲をあてている。皆長槍やアルケブス(銃)を手に市内を行進した。
 規模を考えると見世物風の軍事パレード、いや行進であるが、そう言ってしまってはマキアヴェッリに失礼だろう。これを実現するのにも数年の月日が流れていたのだ。

 徴兵制度はチェーザレ・ボルジアがロマーニャ公国民に対して実施したものを見習ったのだった。スイスやドイツの傭兵軍はもちろん戦いに長けているのだが、それだけでは防衛ができない。自国に主力となる常備軍を置く重要性はマキアヴェッリも強く感じていた。フィレンツェに他からの侵入を十分に防ぐだけの兵力がないことは、ここ数年の戦いを見ても明らかだったからである。マキアヴェッリは文官なのにも関わらず、みずから戦闘に出てもよいとさえ思っていたのである。

 なんという熱意。

 今回、彼がローマに派遣されたのは、教皇ユリウス2世が派遣する軍に同行し、従軍するためであった。立場は特使である。フィレンツェ市民軍をしっかりと作り上げるためにこの機会を活用することにしていたのである。

 ここで話の腰を折って申し訳ないが、やはり出張旅費の話をしておかねばならない。
 今回のローマ出張で、マキアヴェッリの旅費はミケランジェロ・ブォナローティが持ってくることになっていた。彫刻家で画家のミケランジェロである。彼はフィレンツェを中心に活動し、他の王侯貴族から依頼があれば移動もしていたのだ。官吏の旅費を預かることもあったのだろう。

 しかし、マキアヴェッリが数日後に受け取ったのは旅費ではなく、手紙だった。

 ミケランジェロがローマに行くのをやめて引き返したので、別の者に持たせる、云々とある。ミケランジェロは依頼主の教皇ユリウス2世と話が折り合わず、ローマに行くのをやめてしまったのだ。彼は普段からあまり愛想がよくない。誰が相手であろうと納得できなければ仕事をしない、という性格であった。そして自分の仕事には一切妥協をしなかった。その筆跡すら、一分の隙もなく美しい。そのようなことに起因する行き違いである。





 いずれにしても旅費が遅れて、とばっちりをくらったマキアヴェッリだった。

 マキアヴェッリにはもうひとつ、大切な役割がある。
 他への影響を鑑みてごくごく内密に話をすすめてきたことである。事前に他に漏れてしまうと大変なことになる。今回、渋る教皇ユリウス2世からようやく譲歩を得ることができた。
 フィレンツェの軍備を磐石にした暁には教会軍に全面的に協力し……マキアヴェッリの弁舌も円熟の域に入っていた。

 マキアヴェッリはカスタル・サンタンジェロの中へ案内されて、地下に下りじめじめと暗い廊下をひたすら歩いた。ろうそくの火が消えたら大変だ、と案内人の方を何度も見やっていた。彼は地下牢の看守と思えるが、意外にゆっくり歩いている。カツ・カツ・カツという音が異様に響き渡るのが不気味だった。やがて、目的地に着くと案内人は一歩後ろに下がった。
「誰だ?」
 低く生気のない声が、マキアヴェッリの耳に届いた。灯りを照らすと、髪や髭が伸び放題のやせこけた男の姿が映った。
「ドン・ミケロット、覚えていますか。フィレンツェのニッコロ・マキアヴェッリです」
 しばらく、牢の中は沈黙していたが、また低い声が聞こえた。長い間ひとりで喋らずにいたせいか、少し話しづらいようだ。
「ああ、シニッガリアで別れて以来か。その後、ローマにも来ていたか。私はその時いなかったかもしれない。相変わらずイタチみたいななりだな」
 マキアヴェッリは苦笑した。
「それぐらいおっしゃられるなら大丈夫ですね。安心しました」
 またしばらく沈黙があった。そして少し気持ちが和らいだのか、少しゆっくりした口調になる。
「さて、フィレンツェの書記官殿、カスタル・サンタンジェロの悪名高き地下牢へようこそ。貴殿もここに入られるのか。一体何をした? 」
 マキアヴェッリは微笑んだ。
「ドン・ミケロット、いえ、ミケーレ・ダ・コレーリア、わたしはあなたを連れに参ったのです」
 そう呼ばれた男は、事情が理解できない。それも仕方なかった。チェーザレがローマに返り咲くなら真っ先に解放されるだろうが、そのような気配はない。いくつもの殺人罪で裁判にかけられているときも、チェーザレの現在については何も語られることがなかった。
 彼はもうここから生きて出ることはないと思っていた。
 しかし、一人の男が迎えに来た。フィレンツェ政府の書記官が迎えに来た。

 実際にマキアヴェッリがミケーレ・ダ・コレーリアを迎えに来るのは、教皇の遠征軍に従軍した後になる。ただし、マキアヴェッリが来てから地下牢の囚人に対する扱いは格段によくなった。何度も繰り返し受けた拷問と運動ができない環境のせいで彼はひどく消耗していたが、目の前にパッと明るい光が差し込んだように感じた。しかし、状況は一向に分からない。それだけはマキアヴェッリに会ったらすぐに確認しなければ、とミケーレは思っていた。

 後日、地下牢から2年ぶりに出されたミケーレに対してマキアヴェッリはきちんと説明した。明るい場で見ると彼はこの種の囚人がそうであるように臭くて汚れていたが、それ以上に拷問の傷が痛々しく感じられた。

「今回はあなたの命を奪おうとして来たのではありません。フィレンツェ共和国の捕虜として、あなたを受け取りに来たのです」
「私はフィレンツェからここへ送られたはずだが」とミケーレが冷静に切り返す。彼はチェーザレ・ボルジアの命令で進軍中にフィレンツェ軍と戦闘になり、傭兵軍と交戦して敗れ捕虜となっていた。
「政治的取引というものです。あと、捕虜というのはローマを去るまでのこと、あなたにはフィレンツェ市民軍の司令官を担っていただきたいのです。少なくともあの地下牢で過ごすよりはいくらかましではないですか?」
 マキアヴェッリの言葉にミケーレは微笑する。
「フィレンツェが市民軍を作ったのか。世の中変わるものだな。いずれにしても、私に選択の余地はないのだろう。好意ずくのご提案のようだ」
「そうですね。そう思っていただければ幸いです。あと、あなたの王はスペインに送られました。残念ですが、イタリア半島に戻ることはもうないでしょう」
 チェーザレの話が出ると、ミケーレは真顔になった。
「どこにいる? ヤティバか? 」
 ヤティバはボルジア(ボルハ)家勃興の地である。ミケーレはチェーザレがスペインで活躍の場を得ることに一縷の望みをつないでいた。彼が自身をスペイン人だと認められれば、の話だが。
 しかしフィレンツェの特使は首を横に振った。
「ヤティバにはいません。あなたはイザベラ女王が亡くなられたのをご存知ですか。それ以降スペインも混乱しています。フィリップ美王はファナ女王からカスティーリャを実質的に手に入れましたし、神聖ローマ帝国も自国領土が増えたかのような喧伝ぶり。その上、美王はフランスにも近づいているのです。フェルナンド王も相当ご立腹でしょうな。スペイン自身が方向をはっきり決められない上に分裂しかけているのです。お分かりでしょう。その間は、チェーザレ・ボルジアを生かさず殺さず、手持ちのカードとして使うつもりなのです」

 ミケーレは黙りこんだ。何かを考えているようだった。
 マキアヴェッリが続ける。
「兵を出してチェーザレを救いに行きますか。あなたなら真っ先にそうするでしょう。しかし今それは得策ではない。あの方は去年、アルバセーテのチンチーリャ城にいましたが、移されました。今はどこにいるのか分からない。そんな状況で逆にスペイン側を刺激したら、あの方の身に危機が及ぶこともあります。しばらく様子を見たほうがいい。まずは情報を集めることです。そしてチェーザレがスペインなりフランスなりで再起をはかったら、馳せ参じればよいのでは」
 ミケーレはただ黙っていた。
 この男の本心は分からないが、いや、外交官が本心を見せることなどあるまいが、この男は少し違うようだ。しかし、よりによってフィレンツェの市民軍とは、これまで手を組んだことのない国のことでもある。全面的に信じてよいのか。チェーザレや秘書官だったアガビートほどマキアヴェッリに接していないミケーレにはまだ判断がついていないのだった。
 マキアヴェッリもそれは推察できた。

「そうですね、この話は言ったままのことで他の思惑はありません。フィレンツェは自国の軍備を強めたい。経験豊富な指揮官がほしい。それだけです。ただ実は……今はそれどころではないのです。お恥ずかしい話ですが、本国からの旅費が滞っている始末でして。あなたがもうしばらく悩んでくださらないと、出立もできないありさまです。ですので、どうぞゆっくり検討してください」

 ミケーレは笑った。
 その笑顔を見て、マキアヴェッリは真顔で続ける。

「少なくとも、私はあの方がどの地でもいい、再起を果たすことを楽しみにしています」

 ミケーレは何度も首をゆっくり縦に振った。

「了解。フィレンツェに行こう」

 カスタル・サンタンジェロの前の橋を渡ると、円い城は夕陽の明かりでオレンジ色に染まっていた。ティベレ川はその影になり黒々としている。ミケーレは髭だらけの顔を空に向けた。
「もう夏も終わりだな」
 チェーザレもスペインのどこかでこの夕陽を見ているのだろうか。
 ミケーレはまだふらつく身体をまっすぐに保つように気をつけながら、マキアヴェッリの後をついて歩き始めた。
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