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第12章 スペードの女王と道化師

1553年の暦と占い

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 愛人に存在を脅かされている新しい王妃には、味方や相談相手が必要だった。

 彼女は輿入れの際に出身のフィレンツェから侍女や乳母やらお付きの人間が一揃い付いて宮廷に入ったのだが、結婚からもう20年近く経っていて、顔ぶれもイタリア半島の人がめっきり減った。それが自身の得にはならないという判断もあったし、子どもが次々と生まれたのでそちらに注力しなければならなかった。1533年に夫アンリと結婚式を挙げて、しばらく子は生まれなかった。1544年に第一子のフランソワが生まれて以降、1545年にエリザベート、1547年にクロード、1549年にルイ、1550年にシャルル、1551年に父と同じ名のアンリ……とほぼ毎年子を産んでいた。
 この時点(1552年)ではここまでだが以降も懐妊・出産は続く。

 彼女にとって子は自身の味方を増やすことだったかもしれない。実際、彼女がこのとき住んでいたブロワ城はこどもの城のようにもなっていただろう。さきの王フランソワ1世の主城で、現王アンリ2世が引き継いでいる。
 ちなみに、さきに紹介したショーモン城が登場するのはもう少し後になる。一方のシュノンソー城は愛人のディアンヌ・ド・ポワティエが自分の趣味を取り入れて一層美麗な造りにすべく建て替えを進めているところだ。王妃カトリーヌはこのとき、子の様子を見て相手をして、ディアンヌの動向にいらいらとしながらも、気忙しく城の中を動き回っていた。

 そのようなカトリーヌの周囲に相談相手として占星術師らが呼ばれるようになる。
 為政者の側に占い師であるとか神託を受ける者がいるのは特別なことではないので念のため書いておくが、カトリーヌの輿入れのときもイタリアの占星術師が随伴していた。ただ、その時はまだ彼らのいうことを聞きはするけれど、信じて頼りきるというほどではなかった。

 そのような存在を単純に「占星術師」とくくってよいものかは判然としない。占星術は天体の運行を観察する学問から派生して、古代バビロニアの頃にはあったといわれる。どう思うかは別としてその存在を疑うものではない。ただ、当時すでにユダヤ教にもとづくカバラの数秘術、エジプト起源の神秘主義、いわゆる錬金術など占星術とは異なる要素も入っていた。
 占星術師がそれらの複数に通暁していることは珍しくない。異教的なもの、背教的なものはカトリック教会から「異端」とされて締め付けが厳しい時代、紙一重のきわどい側面があるのは否めなかった。

 カトリーヌは子どもを産む前から自身のサロンを開いて、芸術家や文学者と語り合う機会を多く持っていた。それはフランス語や文化というものに慣れるためであったし、自身の身の置き場を増やしたいという切実な願いの表れでもあった。幸い、レオナルド・ダ・ヴィンチの最期を看取った先王フランソワ1世の例のように、フランスの人はイタリア半島の文化を崇敬していた。特に絵画・彫刻・建築の分野は熱い憧れの対象だったので、フィレンツェから来たカトリーヌの回りには話を聞きたいという人が多く集まった。何しろ、フィレンツェ市庁舎ではダ・ヴィンチとミケランジェロが火花を散らし、美しいサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂から歩いてすぐに巨大なダヴィデ像を拝めるのである。それだけではない。フィリッポ・リッピの聖母子、フラ・アンジェリコの天使、ボッティチェリのヴィーナス……フィレンツェはイタリア随一の芸術の宝庫だった。
 もちろん皆が綺羅星の作品群をじかに見たわけではないが、外交官なり旅行者はひっきりなしにピレネー山脈を越えていく。行って帰って来たものはこぞってその文化の素晴らしさを褒め称えたし、中には模写をしてきたり、工房に注文したり、購入した者もいただろう。
 カトリーヌはフィレンツェの大物ロレンツォ・ディ・メディチの直系の子孫で、まさに「フィレンツェの申し子」であった。王族の娘ではないものの、フランスの文化人たちは彼女を大いに歓迎した。もちろん、全員とはいえないのだが。
 彼女は自らの知性と教養を深め、芸術の庇護者となることで宮廷で確かな地位を築こうとしていた。子を次から次へと産むようになって以降は頻繁に行うのが難しくなったが、サロンはカトリーヌの安らぎの場となっていた。

「カトリーヌさま、こちらこの前のサロンのおりに話題になっていた、来年(1553年)の星読み(アルマナック)の本でございます。先ほど、入手された方が王妃さまに差し上げたいとお持ちくださったのです」
 侍女がそう言って本を恭しくカトリーヌに献上する。カトリーヌはそれを受け取りながら、パラパラとめくりはじめる。
「そうね、星読みの本はこれまでいくつか読んでいるけれど、あまりピンとこなかったわ。来年にならないと答え合わせができないし、その頃にはもう忘れていたりするから」
「そうですね、期待させておいてがっかりさせてくれるものでもありますけれど」と言って、侍女はお辞儀をして去っていく。

 その本は現代で言えば本というよりは冊子になっており、『1553年の暦と占い』というタイトルが入っている。著者はショサール兄弟とあるがどのような人物(兄弟)かの記載はない。版元だけはリヨンにある印刷所とはっきり記載されている。胡散臭いのではないかしら、とカトリーヌは思いながら、パラパラとページをめくっていく。ふと、あるページの1ヵ所にカトリーヌは目を留めた。5月14日に書かれた一節である。
「この日に生まれた人は多くの人を統べ、大きな運命を抱くことになるだろう」
 それを見たカトリーヌはもう一度、それが5月であることを確かめた。なぜなら彼女は4月13日生まれだったからだ。
「アンリは3月31日だったはず、それでは違うわね」とカトリーヌはつぶやいたが、突然ハッと気づいて一人クスクス笑う。「多くの人を統べ、大きな運命を抱く」ことができるのは君主ぐらいしかいないと思ったので、自分や夫の誕生日を宛ててみたのだが、落ち着いて見れば、1553年の5月14日に生まれる人のことを指しているのだ。もう生まれている自分たちではない。それに、もう自分たちは王と王妃になっているではないか。予言にもなっていない。
 あとは特に気になるところもなく、カトリーヌは冊子をパサッと閉じた。

 今気になるのは……とカトリーヌは考える。
 義父のフランソワ1世が逝去して以降、フランスと神聖ローマ帝国がイタリア半島や両国国境を奪いあう戦争(いわゆるイタリア戦争)も緩慢な状態になっている。とはいえ、アンリは昨年(1551)ロレーヌに兵を出して取り戻すことに成功したけれど、次は神聖ローマ帝国と手を組んだフィレンツェを攻めると言っている。フィレンツェは今、従兄弟のコジモが治めているから、アンリと戦争になることは絶対に望まないし、フィレンツェを踏みにじられたくもない。
 カトリーヌが幼い頃、兵たちがフィレンツェを蹂躙したときの恐怖が甦る。彼女は一歩間違えれば、兵たちに捕らえられ見せしめとして広場で絞首刑なり串刺しにされてもおかしくなかったのだ。
 もちろん、夫に城をねだった愛人は腹立たしい。しかしイタリア戦争は、この戦争はもう50年以上続いているのだ。カトリーヌが生まれるより前、カトリーヌの亡き父が赤ん坊の頃から続いているのだ。それがどれほど大きな犠牲と苦難を多くの人々に強いてきたことか。あの戦争でコジモの父親ジョヴァンニは命を落とした。カトリーヌが愛したイッポーリトも従兄弟のアレッサンドロも命からがら逃げ落ちなければならなかった。カトリーヌにとって、何よりも憎いのはイタリア戦争だった。

 もし、よく当たる占い師がいるのならば、この戦争がいつ終わるのか聞いてみたいものね。

 その時だった。
 カトリーヌは急にむかつきを覚えて、慌てて侍女を呼んだ。嘔吐してしまうと身体は楽になったが、その感覚はこれまでに何度も経験した覚えがあった。すぐに医師が呼ばれる。いくつか質問された後、彼は静かに王妃に告げる。
「まだはっきりとは言えませんが、ご懐妊されている可能性がございます」
 カトリーヌはその言葉を静かに聞いて寝室に移ろうと立ち上がる。
「王妃さま、お一人で大丈夫ですか」と侍女が尋ねる。
「ええ、慣れているから大丈夫よ。それより……」
「何かございますか?」
「あの星読みの、ショサール兄弟というのを探してちょうだい。ぜひ話してみたいわ」
「かしこまりました」と彼女は請け負った。
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