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第11章 ふたりのルイスと魔王2

果心居士は弾正のもとへ 1565年 大和国

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〈三好長慶、松永久秀、果心居士、織田信長〉

 畿内と呼ばれる一帯は山城・大和・河内・和泉・摂津の五か国を指す。京を囲んでいて政治的にも重要な地域である。少しばかりそれを平たく書いていく。畿内で起こっている動乱に全国の大名、あるいは相応の者らが関与する事態になっているのを見る前に土地の事情を見なければいけないからである。
 これまでたびたび登場している堺は和泉国になるが、摂津との境目にあるから堺となったという説もある。堺は自治を保つ富裕な商人の町であるので、その分周辺の情勢には敏感である。京に何かが起これば堺が襲撃されることも十分にありうるのだ。
 動乱の火蓋を切った三好衆の本拠はもともと摂津である。頭領だった三好長慶は摂津国の守護代だったが、それにとどまらず畿内全域を手中にしようと考えていた。晩年は河内の飯盛山に城を築いてこれを主城としたのもその表れである。
 いずれも堺とはごくごく近い。
 さて、当時から三好に従っていた重臣に松永久秀がいる。松永弾正として広く知られ、長慶の側近として長く三好の中枢に身を置く。右筆だったが、戦での活躍を含めその役以上の働きをし、長慶亡きあとも大きな影響力を持っていた。
 また、弾正久秀は主君と同等に自身の勢力を広げるのに長けていた。すでに大和の筒井城に在った有力者・筒井順慶を追い落とし、一国をほぼ平定していた。のちの将軍襲撃には出なかったが、嫡男の松永久通が臨んでいる。
 この頃、松永久秀は信貴山城(現在の奈良県生駒郡、しぎさんじょう)に拠点を置いたほか多聞山城も手にしている。
 飛ぶ鳥を落とす勢いだというのが適当だろう。

 この頃、松永久秀のもとに寓居している男がいた。これまでの変遷がはっきりとしない、どちらかといえば得体の知れない怪しい輩だったが、久秀が気に入って城下に置くことにしたのである。
 その端緒からして奇異だった。
 城の外で久秀に面会を頼んだ男がいた。
 当然警固の者は追い払ったのだが、どのような手段を使ったのか、一人部屋で休む久秀の前にぬっと現れたのだ。月灯りが少しばかりあったので、久秀は脇にある刀を取って切り捨てようとするが男はひょいと避ける。いや、ふっと気配が消えた。久秀が灯りを辺りを見回すが気配はない。
 すると、虚空から声が聞こえた。
「松永弾正どの、わしは貴殿に助力したいと願うて寝床にまで参上した。話だけでも聞いてもらえぬか」
 久秀は気味が悪いと感じたが、この状態が長く続くのも不愉快極まりない。いざ姿を現し不審な気があれば討ち捨てればよいと考えた。自分を暗殺するつもりならば、このような真似はしないだろうとも判断できた。
「よかろう。しかし無礼千万なことは明らかや、姿を見せて名を名乗れ」
 男は久秀のいう通りにした。そして、こう名乗った。
「拙者、果心居士と申す」
 果心は久秀の野心の助けになりたいという。
 野心、といわれて久秀は心中僅かに動揺した。
 己の野心など、他に語ったことはないからだ。
 この辺りまでの久秀の振る舞いを見ていれば、その狙うものが大和一国にとどまらないのは明瞭かもしれない。それに近臣であるとか側にいる者が気づくならば不思議ではない。しかし、いきなりやって来た得体の知れない男に言われるのは不気味である。どうにも警戒を解けずにいると、男はふっと笑みを浮かべた。
「貴殿にひとつ打ち明けておこう。わしは若き日、不本意にも興福寺を追われたのだ。それから幾星霜、船で国を離れ天竺(インド)から大越(ベトナム)、明を経て戻り、修行によって得た力を以て仕えるあるじを探しておる次第。
 特にここに来たのは理由がある。貴殿は先頃興福寺を打ち負かしただろう。わしにすればそれはたいそう痛快なことじゃった」
 それは久秀にとってはストンと飲み込める理由だった。ふむとうなずく久秀に、果心は再びたたみかける。
「最も、わしは龍のごとき力を持つ者にしか寄っていきはせぬが」
 僧兵も主君も国主も将軍もおしなべて、どのような手を使ってでも打ち倒すのが龍のごとき力だとするならば、果心の見立ては正しいのだろう。その一言で松永久秀は果心を食客として迎え、城下に住まわせることにしたのである。表向きは道化役者、奇術師という地位である。果心の力は幻術とでもいうべきものだが、それは主君だけが承知している。自分のために働いてもらうのだから、他の人間に知らせる必要はない。

 その後、果心が御披露目のような形で人前に出たことがある。よりによって興福寺に隣接する猿沢池に集った松永家中の者らが、見慣れない男を池のほとりに見つけた。男は池に笹の葉を放り投げた。
 次の瞬間、一同は自分の目を疑った。
 放り込まれた笹の葉が池に落ちるやいなや、魚となって跳ね、水面を盛んに打ち泳ぎ始めたのである。すぐに大騒ぎになるが、松永弾正は涼しい顔をして皆に告げる。
「この果心の奇術はまことに見事なり。酒席を盛り上げてもらおうと思うて招いたのや」

 猿沢池は天平(てんぴょう)の頃に造られた人工の池だが、不思議な言い伝えがあることでも有名である。それにこの不思議な奇術である。
 一同にとっては強烈な経験だった。
 皆奇術の腕前には納得したが、突然主君に招かれた男には不気味さを感じていた。実際、酒席では果心の話を久秀が傾聴するような場面も見られるようになったので、「近づきすぎではないか」と訝る向きもあった。

「それほど異国で見聞を広めたうち、龍のごとき者はいかほどおったんや」と久秀は問う。
「天竺で一人、日本でお屋形さまの他に一人ですな」と果心は答える。
 久秀の目がぎらりと鋭く光る。
「ほう、この国に。どこぞのどいつや」
「尾張の織田殿ですな」といって果心はにやりと笑う。
 久秀も目をぎらつかせたままで、「カカカ」と笑い始める。
「そうか、そうか、尾張の大うつけと言われておったあやつか。それは、それは、よう覚えておかねばなるまい。それで、おぬしはなぜ信長に付かなかったのじゃ?」
 果心はしばらく思案する。
「それは……天竺の龍が止めに入ったからですな。天竺の龍は歳を重ねて仙境に在るのか、わしの術は効かぬようじゃ」
 天竺の龍とは雪沙のことである。
 正確には天竺ではなくローマなのだが、果心が会ったのがインドだったということである。
 そのようないきさつを知らない久秀は当然話の中身が今一つ分からずキョトンとしていたが、それ以上問い詰めることはしなかった。

「天竺の龍はどうしておるんかのう」と果心は虚空に視線を飛ばしている。

 じきに、また大事が起こる。
 神通力がなくとも、ひりひりした空気は畿内から越前、信濃、相模、西は讃岐や安芸に至るまで広がっていると感じられる。

 生温かい風が吹く大和の夜だった。
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