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第11章 ふたりのルイスと魔王2
ひとつにするために 1565年 小牧山
しおりを挟む〈足利義輝、足利義秋、雪沙、策彦周良、日比屋了珪〉
将軍足利義輝が襲撃を受けて無念の死を遂げた後、次の将軍が誰になるかということが人々の関心となってくる。
義輝を追い詰め亡き者にした当の三好衆は当初傀儡の将軍を立てようとしていた。しかしこの段に及ぶと将軍を新たに立てることなく、自身らで京を制圧しようと考えたらしい。いわゆるクーデターである。
義輝には二人の弟がいる。異母弟の鹿苑院院主の周暠はおびき出されて殺害された。もうひとり同母弟の覚慶という弟がいるが、松永久秀の勢によって、興福寺に幽閉され監視された。もともといる寺であり酷い扱いは受けなかったようだが、外に出る自由はなかったと思われる。
その救出に動いたのが越前の朝倉義景である。覚慶は細川藤孝らの手を借りてそこから脱出、還俗して義秋(よしあき)と名乗る。
この義秋が諸国の大名の旗印となり、三好打倒の動きが一気に強まることになる。義輝とやりとりをしていた者らは義秋に付いた。越後の上杉輝虎は「三好・松永の首を悉く刎ねるべし」と神仏に誓ったという。それは多くの武将らに共通した感情であった。
覚慶は興福寺からの脱出の後、越前の朝倉義景の庇護を受け義昭に改名した。
将軍を倒した事件は諸国の大名たちだけではなく、朝廷や京の町の人々にも衝撃を与えていた。朝廷では義輝の死を悼み六月七日、義輝に従一位・左大臣を追贈したのを筆頭に、正親町天皇(おおぎまちてんのう)が政務を三日間停止して弔意を示したと伝わる。朝廷だけではない、町の人々も弔意を示すとともに三好の暴挙を大っぴらに口にした。
その頃、雪沙は人と連れだって尾張に戻っていた。道中は無事だったが、帰ってからは体調がすぐれないので住んでいた庵から小牧山の麓にある屋敷に移された。医師によれば年齢の所為だろうということだったが、劇的によくなる症状ではないので安静にしているほかなかった。
「もしかしたら、旅の途上で倒れっとったかもしれんで、まことに策彦さまがご一緒くださったからかもしれませぬ」と信長が安堵したようにいう。
「いや、さようなことはございません。京に雪沙さまがお立ち寄りにならはったときから、帰りはお伴したいと思うてました。あれで最後になるかもしれんと思うたら居ても立ってもおられんかった」
雪沙が堺を経つ直前に、京から策彦周良は数名の僧とともに日比屋の屋敷を訪れた。そして、雪沙を尾張まで送り届けさせてもらえないかと申し出たのである。日比屋は感激しつつ、雪沙を策彦に託すことにした。日比屋の脳裏には、かつてフランシスコ・ザビエルが堺から京へ向かうときの姿が甦っていた。雪沙はそのときの策彦の言葉に強い印象を受けて、日本に留まることを決めたのだ。それは十五年ほど前のことだったが、もっと昔のようにも思える。
戦乱の世は終わるどころか、さらに混沌とした様相になっている。何しろ将軍が殺されてしまうのだ。跡継ぎのめども立っていない。誰もが三好衆の暴挙に驚き、憤りを感じている。じきに畿内が戦場となり全国からも諸将が押し寄せるようになるだろう。そうすれば、この商都・堺も無傷ではいられない。鉄砲の需要だけは増えるだろうが……日比屋のみならず、黒い雲がもくもくと湧いてくるような不安を誰もが少なからず抱いていた。
そのような時世だからこそ、策彦が名乗りを挙げたのである。旅の僧侶であれば面倒に巻き込まれることも避けられる。それに策彦は顔が広く知られており、武田信玄を始め篤く崇敬されている。雪沙を守るにはうってつけの人といえる。
そして、雪沙は戻ってきたのだ。
「わしも、雪沙にまた会えてよかったと思うとります。まことに多くのことを雪沙に教わってきとったもんで」と信長が言う。
策彦はうん、うんとうなずいている。
「おそらくあの方は、龍の血脈を継いどる方なんやろ思います。雪沙さまもつどつどの不運がなければ、この国でいう将軍、明でいえば皇帝になったかもしれませぬからな。尾張さまもそのような才覚がおありなのでしょうな」
「わしにさような力はないと思いますで」と信長は淡々と告げる。
策彦はふっと笑う。
「私には分かりませぬが、雪沙さまがたまたま寄られた尾張に長く留まり、あなたさまの許におられたのは、さようなことではないでしょうか。雪沙さまはあなたさまに継ごうとしておられるように私には思えるのです。何を継ごうとしているのか、それが喩えるならば龍の血脈といったものであろうと」
信長はふっと床に目を落とす。
「いや、龍のことは分かりませぬがわしと雪沙には一つ、通ずる願いがございます」
「ほう」と策彦が信長を見る。
「雪沙の生まれ育った町のある細長い半島(イタリア半島)は、古代にあった帝国が分裂してこのかた、一つに統一されたことがないという。宗教の総本山があるということだが、そこに重きを置きつつも、いや、重いからこそ他国が侵入し周辺を奪い合うのが何百年も続いたよし。
翻って、この国はいかがか。
鎌倉の府が武士の世を築いたが、それが瓦解して以降、全国がひとつにまとまったのはほんの僅かな間、各国の守護が権利を争い続け多くを巻き込み、今やひとつになるなど夢のような話だで。此度、三好が反逆の狼煙を上げたが、彼奴らにさような頭はない。目も当てられませんで。おそらく将軍がいてもいなくても、延々小競り合いを続けとるはずです。雪沙は国をひとつにまとめ、他に侵入されんように、磐石にするためにやっとったとわしは思うとります。そこはわしと雪沙に通ずる最も大きな根っ子でござろう」
「あなたさまは、よう学んでこられたのですな」
策彦の言葉に信長はカッと目を見開く。
「まだまだ、策彦さま。わしは古代中国から明のことまでよう知らぬのです。最近、それを知るのが肝要だと思うようになりました。ここに来たが百年目、策彦さまのお持ちの知恵をわしに丸ごとご教授ください」
信長は頭を深く下げた。
雪沙は眠っている。
眠りが浅いためか夢を見続けている。
彼は夢の中で、「これは夢なのだろうか、それとももう人生から抜けてしまったのだろうか」とふっと思う。そして目が覚めると、ここが尾張小牧山であることに気づいてしばらく天井の梁を見つめる。
もうじき、終わるのだろう。
心の中でつぶやいた。
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