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第11章 ふたりのルイスと魔王2

末裔ローマに帰還す 1565年 堺

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〈ルイス・デ・アルメイダ、日比屋了珪、小西隆佐、雪沙、チェーザレ・ボルジア、フランシスコ・ボルハ〉

 ルイス・デ・アルメイダは翌日午前中も日比屋家での講話を行い、先日とはまた異なる人々に話をした。あるじの日比屋了珪が宣伝したのだろうか、座には他の家から来たと思われる人も数人混ざっていた。
 キリスト教会なら説教と表現するべきところではあるが、この時点で洗礼を受けていないので講話とする。なお、洗礼を授けられるのは司祭の位置にある人で、アルメイダは修士である。他に司祭がいなかったり、在地が遠いのであればアルメイダが洗礼を与える場合もあるが、この場合、ディエゴ・ペレイラやフロイスが京にいるので彼らが堺に来て洗礼を与えることになるだろう。

 日比屋家の外から来た人々は講話が済んだ後にそれぞれ自己紹介をしたが、中には長く話す者もいた。特に小西隆佐という薬種商はひとかたならぬ思いがあるようで、滔々と語り始める。

「私は、かのザビエル師が堺にお越しにならはったおり、寒いなか京に行かはるとおっしゃられましたので、うちの若いもんと一緒に途中までお送りさせていただいたんでっせ。ザビエル師が亡くなられはったと聞いたとき、それはもう悲しゅう思いましたんや。それがきちんと受け継がれ、しかもこれほど日本語の達者な方がまた堺に来てくれはった。聞いているうちに何やら目から水がようさんこぼれて……」

 よほど感動しているようだ。ここ堺でメステレ・フランシスコ(ザビエル)が人々と温かく交流していたのを改めて感じ、アルメイダも胸に熱くこみあげてくるものがあった。日比屋了珪もそうだが、小西了佐はこの機会にぜひ洗礼を受けたいという。アルメイダは近いうちにペレイラ司祭が堺に来るだろうと請け負った。

 アルメイダは歩くことも問題なくできるようになっていた。ただ、朝は手もかじかむような寒さであるし体調も完全に戻ってはいない。もう少し時を待たねばならないが、少しずつ外に出てみなければと彼は思う。
 小西家ならば久しぶりに出て行く先にぴったりかもしれない。是非とも来てほしいと言われたので、明日でも訪問してみようか。


 その話をすると、雪沙は「それはいい兆しだ」と微笑んで同意した。
 彼らは自然とポルトガル語で話すようになっていた。ニコラスと同じようにイタリア半島のスペイン人ならばポルトガル語は不得手だろうーーとアルメイダは考えていたが、流暢なものだった。
「ああ、ポルトガルも長かったのだ。コインブラで小間使いをしていたからな」
「コインブラ、どうしてまた大学の町に?」とアルメイダは驚く。そこにはヨーロッパでも歴史のあるコインブラ大学がある。
「法学の教授だったアスピルクエタ博士に匿われていたのだ。博士はフランシスコの母方の叔父にあたる」
「えっ、それではメステレ(ザビエル)のご家族とはずいぶん前から知り合いだったのですか」
 雪沙はうなずく。

 ローマで権力の座を追われたチェーザレ・ボルジアは、追放されてスペイン王宮そばの高塔に幽閉された。数年後、彼は協力者の手引きを受けて決死の脱出を成功させ、妻の兄が治めているナヴァーラ王国(当時)に落ち延びた。しかし、やっと得た安寧な日々もすぐに一転する。ナヴァーラの支配権をスペインが奪取しようと攻勢をかけてきたのだ。ナヴァーラ王はチェーザレを臣下であるホアン・デ・ハスの城に匿わせ、チェーザレの身代わりを戦死させた。ここで、チェーザレ・ボルジアは公式には亡くなった。そして敗れたナヴァーラ王は王妃とともにフランスへ去っていった。
「ホアン・デ・ハスはフランシスコ・ザビエルの父なのだ。なのでフランシスコが幼児の頃からよく知っている」
 何とも壮大な話でアルメイダは目を丸くして聞いているばかりだった。

 そして、今いる場所が海も陸も遠く隔てた東洋の国であることに不思議な感覚を覚えた。木で建てられた紙の窓の家、外にはときおり雪が降っている。スペインでもローマでも、もちろんポルトガルでも見られない景色である。ふっと、自分が足から浮いていき、どこかほの明るく滲んだ空間を漂っているような気分になる。
 ほの明るく滲んでいるのは、故郷だろうか。

 今やヨーロッパの方が薄れているのかもしれないーーとアルメイダは思いつつ、雪沙を見る。
「そうでした。些細なことかと思いますが、ニコラスのお父さんの話を一つ思い出したのです」
「ほう、どのような話だろうか」
「ニコラスのお母さんがリスボンに住んでいた話はしましたが、その家でニコラスが見つけたものがあったそうです」
「ふむ、何だ」と雪沙が尋ねる。
「絵です。というよりデッサンです。ニコラスのお父さんがお母さんを描いたものだそうです。再婚した後も大事に飾られていたのですね」
 今度は雪沙が目を丸くした。
「絵? デッサン? ミケーレにそのような趣味があったとは知らなかったぞ。本当にミケーレが描いたのか」
 アルメイダは微笑む。
「ニコラスによれば、そのデッサンは何というか……拙かったようです。ただ、二人がもっとも幸せだった頃の思い出だと彼のお母さんは言っていたそうです」
 雪沙は何度もうなずいて、遠い目になる。
「それはそれは……ローマのカスタル・サンタンジェロでも聞けないような話だ。そうか、ミケーレはただ一人の愛する女性を見つけたのか。それは生きる喜びというものに違いない……思い出してくれてありがとう」
 アルメイダは話してよかったと心から思う。
 チェーザレはしばらく沈黙したのち話を続ける。
「ただ、その母親も難儀なことだった。嫁いだ異国で異端審問にかけられるとは……それもレコンキスタ(スペインの国土回復運動)の置き土産か……ルイス、私がバチカンにいた頃には、オスマンの皇子が滞在していたこともあったのだ。私の側近にもコンベルソがいた。今ならばただでは済まないのだろうが、私がいた時代はすべてが過渡期で、よいものもそうでないものも渾然一体だった。その分寛容なところがあった」
「そうですね。やはり、ハプスブルグの皇帝がヨーロッパ中に力を誇るようになった頃からでしょうか。私の父の受け売りですが……」
 アルメイダはそこまで話すと、「あ、そろそろ日比屋さまにお話をしに行かなければ……また伺います」と言って雪沙の部屋を辞した。

 おそらく、もう少し話していたらアルメイダは別の話を思い出したかもしれない。雪沙が異端審問の話をしたので、そこで切り上げてしまったというのもある。
 アルメイダはそれで自分の愛する人を永遠に失っており、心の傷がまだ残っているのだ。
 ただ、もう少し話していたらひとつのことを思い出したかもしれない。
 ニコラスがボルジア家の剣を持っていたことである。その剣を通じて、ニコラスはスペインのフランシスコ・ボルハとつながりを持っていた。フランシスコはチェーザレの弟の孫で、当時ボルジアーボルハ家の当主だった。

 雪沙ならばボルジアの剣で、あるいは現実のありかを想像することができたかもしれない。
 フランシスコ・ボルハはチェーザレ・ボルジアが存命しているのではないかと思い、密かに探してきた。
 そして何よりまさにこの冬、一月二九日にフランシスコ・ボルハはローマでディエゴ・ライネスに続き、イエズス会の3代目総長に就任したのだった。その知らせは東の果てのこの国はおろか、インドまでも届いていない。

 ボルジア家の人間が60年余のときを経て、ローマに帰還したのだった。
 
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