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第11章 ふたりのルイスと魔王2

養生して春を待つ人 1565年 堺

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〈ルイス・デ・アルメイダ、ルイス・フロイス、日比屋了珪、小桃、雪沙〉

 肥前から来たふたりの宣教師はようやく堺にたどり着いたのだが、最も寒い時期に山を越え船で旅をしたのが災いし、アルメイダは体調を崩し意識も朦朧な状態で日比屋了珪の屋敷に担ぎ込まれた。重篤な旅人はすぐに暖かい部屋に寝かされ、本人は多少不本意だったかもしれないが、医師が呼ばれて診察を受けた。医師は厳に安静を命じ薬を処方した。
 元気な方の宣教師はその様子を見守った後、改めて日比屋了珪にあいさつをした。いきなりの騒ぎにも屋敷の主は特に動じた様子もなく、心からフロイスに同情の言葉を述べる。
「この冬の最中に肥前から旅をされて来ると聞いてから、大丈夫かと心配しておりました。あれは、十五年前になりますやろか、ザビエル様の御一行も真冬に堺においでにならはって、寒さにはほとほと難儀しておられました。それを思い出しました」
 フロイスもザビエルが書いた記録の内容をおぼろげに思い出す。
 おそらく、この主・日比屋了珪が一行を世話しなければ京都まで足を伸ばすこともできなかっただろう。フロイスは文字で拾ったザビエルの軌跡が現実に在ることを知って、胸が熱くなるように感じる。それにゆっくりと浸りたいのは山々だが、今は緊急時である。また日比屋家に世話になるしかない、それを了承してもらわなければならない。
「日比屋どの、いるまんアルメイダは信仰と宣教の道に入ってから自身の身体に鞭打って日々務めてきました。もともと医師なので、体調が良くないのを知りつつも隠していたのでしょう。持病もあるようなのですが、ここまでひどくなるとは私も思っておりませんでした。もっと早く気づくべきだったのです。今回イエズス会の命で京に赴くのですが、いるまんアルメイダはこれ以上旅をするのは難しい。日比屋どのには恐れ入りますが、私が京に赴く間、いるまんアルメイダをお願いしたいのです」

 日比屋了珪はしっかりとひとつ、頷くしぐさをした。
「しかと承ります。このように申し上げるのも口はばったいと思いますが、お身体が回復されるまでお世話させてもらいますよって、ご安心くださいませ」
 フロイスはホッとして、日本人がするようなお辞儀を深々と繰り返したのだった。
 彼もアルメイダほどではないが冬の長旅で疲労困憊していたし、仲間の様子も心配だったので宿泊することになった。
 フロイスを部屋まで案内してくれたのは若い娘で、彼が脱いだマントを抱えて襖を開けた。
「部屋は温うしておきましたが、寒かったら遠慮なくおっしゃってくださいましね。こちらの羽織は畳んでおくのでよろしいでしょうか。膳のしたくが整いましたらお持ちしますよって、それまでごゆるりとなさってくだだい」
 フロイスはぼうっとしていた。
 疲れ果てていたのもあるのだが、それが理由ではなかった。案内してくれた娘がこちらを向いたときの印象があまりにも強かったからだ。その娘はハッとするような美人だった。吸い込まれそうな黒い瞳、筋が通って小鼻の小さい鼻、そして小さめの口にぽってりと厚い唇が寄り添っている。
 ポルトガルの王宮にいても、きっと熱烈な求婚者が列をなすだろうーーとフロイスは感じた。
「フロイスさま、具合がようないのですか」
 娘の言葉にフロイスは再度ハッとする。
「あ、はい。ちょっと疲れています。少し休みたいです」
「その方がええかと思います。お疲れさんどす。それでは」と言って娘は去っていった。

 誰もいなくなると、フロイスは遠慮なく横になって天井を見つめた。部屋は十分に暖められており、これまでの寒さの方が夢だったのではないかと思えるほどの快適さだった。

「アルメイダが順調に回復することを祈ろう」

 わずかの日数フロイスは日比屋の屋敷で休養し、一人で京都に旅立つ。
 休養がよかったのだろう。アルメイダは意識もはっきりし横になって話すのにも問題なく、柔らかい食事も摂れるようになった。ただ、助けてもらいようやく起き上がれるようになったーーという程なのでまだまだ安静が必要だった。
 フロイスが一人で京に行くと聞いて、アルメイダは「申し訳ない」と詫びる。
「いいえ、あなたの具合がここまで悪くなっていたのに気づかなかった私の責任です。すでに京のヴィレラ司祭には知らせてあります。何も気にせず、ただ体調を回復することに専念してください」
 アルメイダは悲しそうな顔をする。それはそうだろう。九州を回るばかりだったのが、ようやく日本の首都に出てこれたのである。もちろん、アルメイダが九州から出たかったというのではない。それでも日本の他の地域を知ることは見識を深める上で無駄ではないだろうと思われる。
 その途中で倒れてしまったことに彼は無念の念を抱いている。

「あなたの体調が回復したら、京に来てもらいます」とフロイスはアルメイダの手を取って、あたたかい眼差しを彼に注いだ。

 フロイスは道筋など丁寧に教わった上に防寒着も持たされる。彼はその重さに恐縮しながら何度も礼を言った。
「お帰りをお待ちしておりますよって」と見送りの衆が道の分岐まで来ていた。

「フロイスは京に向かったのか」
「はい、今朝がたお出にならはりました。お会いにならず、よろしかったのですの」と小桃は雪沙に言う。
「まあ、混乱を招くだけだろう」と雪沙は膳の前に座る。
 小桃は微笑んで、「今日は陽気がええ日ですよって、旅立つにはもってこいですなあ」と部屋の障子を開ける。低い太陽が薄明るい光を部屋に放つ。雪沙は眩しそうに外を眺める。
「旅人の世話が増えて、大変なのではないか。私もだいぶ良くなったから、そろそろ暇乞いをしようかと思うのだが」
 小桃は目を見開いて、「まだまだ冬です。あきません」と一刀両断のていで言う。
「そうか……」と雪沙はつぶやいて膳の前で手を合わせる。
「雪沙さまは、フロイスさまやアルメイダさまのお国にいたことがございますの?」
「ああ、私はポルトガルの船に乗ってここまで来たのだから、いたことはある。もうよく覚えていないが」と雪沙は小桃を見る。
「そうですか」とだけ小桃は言って、部屋を出ていった。

 小桃には考えがあるようだった。

 もうひとりのお客さま、寝付いているアルメイダさまも生命の危機を脱したようだ。このまま回復してくれるならば何よりだけれど、春まではまだ間があるから、安静にじっとしているだけでは退屈になるかもしれない。もちろん、アルメイダさまにもお話したいと思うことがあるだろうけれど、お国のお話を合間にお伺いして、雪沙さまにお伝えしたら懐かしがられたりするかもしれない。お国を遠く離れて、帰れないまま病気になったりするのは本当に心細く淋しいこと、お話することで少しでも無聊を慰めることができるかもしれない。

 そのようなことである。
 加えて、小桃は海の向こうの遠い国の話を純粋に聞いてみたいとも思っていた。
 ザビエル師の語っていた神デウス、そしてゼス(イエス・キリスト)、ゼスの母マリアの話は父から聞いていた。
 その教えをなぜ、気が遠くなるほど遠い国からやってきて伝えようと思ったのか、小桃には不思議だった。ポルトガルという国が大きな商いのために海に出て、そこに宣教師たちも乗って来たことは分かっている。ただ、金儲けではなく、なぜ教えだけを持って旅をすることができるのかーーというのを一度尋ねてみたいと思っていた。
 今はそれをするのにもってこいの時であるように小桃には思えた。

「あきません、あきません、何や考えとってお部屋に行きそうになってしまう。もう少し様子を見てからにせえへんと」

 小桃は一人つぶやくと、廊下をすたすたと歩いていった。

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