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第11章 ふたりのルイスと魔王2
みささぎのせせらぎ 1564年 京都へ
しおりを挟む〈雪沙、孫介、策彦周良、又助〉
琵琶湖畔を歩く頃には太陽がずいぶん高くなり、長く道を進めるのは慣れた旅人でも辛くなっていた。馬ならば多少は楽であるので、雪沙の一行は彦根で馬を調達することにした。
雪沙は腕に古傷があって、片方はうまく使えない。歳を取ってそれはいっそう顕著になった。乗り降りの時だけ孫介が手伝うのだが、馬の取り回しはまったく問題なかった。よほど馬に慣れている人なのだーーと感心していると、雪沙がふっと笑う。
「馬に上手く乗れないくせに、扱いは不自由がないから見ていて不思議だろう」
「いやいや、よほど騎馬の上手だったのだろうと感心しております。腕に古傷がなければ、弓矢も使えたのでしょう」
雪沙は馬上で弓を引く仕草をしてみせてから手を手綱に戻す。
「いやいや、この国の武士がやるような真似はできない。せいぜい剣を振るうぐらいだ」
「今でも刀は振れるのですか」と孫介は気になっていたことを尋ねてみる。
「うむ、使える腕の方なら振り下ろすことはできるが、心もとないな。もう老人だからそれでいいのではないだろうか」
雪沙の馬が相づちを打つようにブフブフと声を出す。意思の疎通が図れているようだ。
琵琶湖沿いにひたすら歩いて大津までたどり着けば京もほど近い。一行はさらに足を伸ばして堺まで行くのだが、京では天龍寺に立ち寄ることにしている。天龍寺に住する僧、策彦周良(さくげんしゅうりょう)に会いに行くためだ。
もともと、雪沙が日本に留まることを決めたきっかけは彼だった。
雪沙が初めて京を訪れた14年ほど前、季節は真冬だった。比較的温暖な山口から瀬戸内海を辿って行ったからかもしれないが、目的地は想像以上に、ひどく寒かった。同行者のフランシスコ・ザビエルも薩摩生まれのベルナルドも同じように感じていた。京の都はそれよりもさらに彼らに冷たかった。公卿に取りなしを頼もうとしても門前払い、厳冬の中歩いて坂本にいるという将軍を訪ねていったらすでに他所に移動した後だった。子どもの使いより虚しいありさまだった。
それだけだったならば、雪沙は決してもう二度と京の地に足を踏み入れなかっただろう。
雪沙の一行は京の天龍寺で策彦周良と話す機会を持つことができた。天龍寺といえば京の五山のひとつに数えられる臨済宗の名刹である。特に曹源池庭園といわれる庭は有名で、この種の庭園で最高傑作のひとつといわれる。
一行は庭園を見るために天龍寺に行ったのではない。そこに策彦周良がいると聞いたからだ。なぜ策彦なのか。それは彼が明の国を二度も訪れたことがあったからだ。明は海禁という法を長く採用していて、決められた国の朝貢という形でなければ外国人を一切受け入れていなかった。世界の海に雄飛しているポルトガルでさえも上陸の許可を得られない。その国へ国使、あるいは副使として二度も訪れたのが策彦だったのである。明への宣教に赴きたいと熱望していたフランシスコ・ザビエルにとっては、ぜひ話を聞きたい人物だった。
結局、策彦は明への上陸がたいへん難しいという抽象的な話しかしなかったのだが、それは暗に、長い時間をかけて明とやりとりをし、それだけの朝貢品を携えて、船団を誂えるなど体裁を整えなければ不可能だということを示していた。
ただ、そのときザビエルの話すキリスト教の話に耳を傾け、禅の考え方を平易に説いた策彦に雪沙はたいへん感銘を受けた。そしてしばらく考えたのちに、一行と別れて京に留まることに決めたのだ。もっともそれだけが一行から離れた理由ではない。雪沙にしてみたら「年老いていつ倒れるか分からない身でずっとフランシスコの旅に付き添うのは足手まといになる」と思っていたこともあった。雪沙がいるから前進しないという選択肢も取ってほしくなかった。
策彦との対話は決心を後押しする合図のようなものだった。
大津から山科まで出ると山々の姿もだんだん背後に去っていく。この辺りには帝の御陵(みささぎ)があり寺も多くあるので、静かで荘厳な土地といった風である。側の川に舟が一艘、滑るように流れていく。流れがほどよく緩やかなのか、船頭もさほど働いていないように見える。
蒸し暑い中でも景色に涼を感じられ雪沙たちも舟で進みたいような気分になる。
ほどなく荒神口へ至り、一行は人々の往来が盛んな様子にきょろきょろする。
雪沙にとって久しぶりの京の町はうだるように暑い。
「以前はこれほど暑くなかったような気がするが」と雪沙は傘を少し持ち上げて空を見る。
「一気に季節が変わったようだで」と又助も空を見上げる。
目の前には御所があるが、一行は嵐山まで一気に進むつもりでいる。
最初の目的地はもうすぐだった。
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