16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第11章 ふたりのルイスと魔王2

2人の従者に3本の川 1564年 木曽川

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〈雪沙、又助(太田)、孫介(佐々)〉

 旅が始まったのは春の盛りだった。

 触れるほど近くにある一葉も、それらが密集しれいる遠くの山々も、すべてが瑞々しく明るい緑に染められていた。その緑と、どこまでも青く雲一つない空が見事な対照をなしていた。つばめはすいすいと空にまっすぐな残像を刻み、無心の速さで巣の方に向かっていた。

 この景色は、本来この旅を雪沙とともに行く太田又助が記録するべきなのだろうが、書きながら歩けるわけではないので後の愉しみに取っておこう。

「美濃を通っていくのか」と雪沙は問う。
「ええ、伊勢の方に下る回り道もありますが山越えが難儀ですで、琵琶湖を早よ拝める方をと。雪沙さまのお身体が一番でぇじでございます」
 又助の合理的な提案に雪沙はうなずく。
「ああ、貴殿らなら何度も来ていてよく知っているだろう。それに今美濃がどうなっているかを見聞することもできるし、いいのではないか。ただ、できるものならば、天龍寺の策彦(さくげん)師にはお会いして行きたいものだ」
「もちろん、お連れします」と又助は言う。

 「決戦の機を待つわれらの、斥候の役までお見通しだ」と又助は思う。もう一人の従者である孫介はのんびりと景色を眺めていたが、
「はい、途中までは勝手知ったる道ですで……いやいや、それ以降もどうぞご安心くださいませ」と照れ笑いをしながら言う。

 又助はその様子を見て、孫介の素直さを好ましく思う。この人は取り繕った方便をかたることがない。すなわち不器用なのだが、もともとの人の好さがあるので周囲ともうまくやっている。

 このように、又助は人をよく見る。
 起こっていることから、全体の様子を知ろうともする。記録するという前提があるからだろうか、逆にかねてからの特性が記録するということに生かされたのか、それは定かではない。いずれにしても、これだけ記録するのに向いた人物はあまりいなかったと思われる。

 さほど大柄屈強ではないが、戦の経験を多く持つ二人の従者を雪沙は頼もしく思っている。信長が付けたのだ。そこは疑いない。

 二人の従者。
 二人の従者とともに旅をしたことがあったと雪沙は思い出す。それは、スペインで幽閉されていたとき、脱出の手はずを整えてくれたペナヴェンテ伯の命令で付いた二人だった。ペナヴェンテ伯は自身の利害がらみで幽閉された人を逃す手助けうぃしたのだが、従者たちにそのような感情はなかった。恐ろしく高い塔の中程でロープが切れて落下したことで幽閉者は大怪我をしたが、従者たちは献身的に看病しつつ、冬のイベリア半島の逃避行に目的地のパンプローナまで付き合ってくれたのだ。

 あの二人はマルティンとミグエルと言ったか。
 今度の二人は又助に孫介で、私はどうもMの付く人に助けられて旅をするらしい。

 そのように思いつき、雪沙は苦笑いをする。

 あのとき本当は、パンプローナではなく、サンティアゴ・デ・コンポステーラに行きたかった。使徒の遺骸の前でただ祈りたかった。死ぬまでそうしていてもよいと思った。心はそれを激しく求めていたのだが、身体が逃げ込める場所は逆の方向にしかなかった。
 星の巡礼から遠く離れるしかなかったのだ。
 そして、
 あれから永遠の寄る辺なき日々が始まった。
 幾度かサンティアゴ・デ・コンポステーラに近づいたが、結局行くことはできなかった。そして、今度はローマからも、スペインからも、ポルトガルからも遠く、遠く離れることに決めた。決めたのは自分なので後悔はしていない。しかし手放した過去は私に激しい寂寥を与えた。
 星の巡礼として道端で倒れるのと、どちらがよかったのだろう。

「あるところから別のところに移ることだけが、旅ではありません。人の人生がまるごと旅なのではないでしょうか」

 そうだ、フランシスコ。
 本当にその通りだ。

 いずれにしても、また旅が始まった。
 一行は鑓など目立つ武器は持っていないし、雪沙は僧形に笠をかぶっていた。
 じきに一行はひときわ高く繁った草むらの向こうに悠々と流れている川を見た。木曽川である。連れの二人には渡川し慣れた道であるし、小牧の山からも見える。これを渡れば美濃国なのだ。
「川は三つ続きますで、これは一つ目です。しかし、安心して下さいませ。川並衆に渡川の手助けを頼んでおりますで」と孫介は雪沙に言う。

 川並衆とは川の狭間に住む人々の呼び名とされているが、実際は木曽川の側に勢力を持つ豪族とその衆のことをさす。木曽川と長良川が隣接している地域は広く長く、下流になれば揖斐川も加わる。雨がたくさん降れば川は形を変えて人の住む里を飲み込んでしまう。

 地域を水害から守るため、集落や耕地の周囲を土や岩を積んだ堤防で囲む工事が盛んに行われていた。囲んだところを輪中(わじゅう)といい、堤防を輪中堤という。この仕組みは対症療法的ではあるが、冠水してもすべてが押し流されることは減る。そして、堤の周囲に流されてきた土砂が堆積することで、土壌を強くすることにもなる。人々が生み出してきた知恵であった。
 この辺りの土豪や民はそれの築堤に携わることが多くなるので、必然的に土木工事の専門家になる。また、川をよく知っている彼らは渡川する人に船を出すこともしていた。ただではなかったかもしれないが、それも知恵という商材であろう。

「海の側にあれば海の知恵があり、川の側にあれば川の知恵があるということでしょう。山でもそうでしょうなあ」と又助がいう。

 その言葉を聞きながら、雪沙は思う。

 神の代理人の側にあって、
 私は神の側にあっただろうか。
 神の知恵を受けようとしただろうか。

 次の川は長良川になる。

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