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第11章 ふたりのルイスと魔王2
龍の眼と真実 1564年 小牧
しおりを挟む〈雪沙、織田信長、果心居士〉
雪沙が堺に旅立つ直前にちょっとした珍事があった。些細なのだが、あまり看過しない方がよいことでもあるので、書き記しておくこととする。
早春の明るさがようやくちらちらと現れたある日のこと、小牧山城下の辻で見世物が出るというので、周辺には人が群がっていた。たまたま通りがかった雪沙はその人だかりを背後から見ていた。曲芸など娯楽全般は城主の織田信長も好むところなので、おそらくその噂を耳にして来たのかもしれない。雪沙は人並み以上の興味はないので、淡々と人の集まりを見ていた。
曲芸師は派手な装束をしていない。どちらかといえば放浪の僧のそれである。年の頃を見分けるのは難しい。束ねられた頭髪は白と黒が拮抗しているし、肌艶はよいが皺が多い。四十ともいえるし、六十とも見えた。装束は自分と同類だーーと雪沙は思ったが、それ以前に何か、彼の姿に強烈な違和感を覚えた。何よりも浅黒い顔に際立つギョロっとした目である。雪沙は自分の記憶を少し巻き戻してハッとする。
あの目は、インドを旅しているときに出会ったのと同じだ。インド、確かフランシスコとともにサン・トメに向かう途中の船の上だった……象の群れを沿岸に見て驚いている私たちに話しかけてきたのだ。20年ほど前のことではなかったか。
あの頃はまだ若い、痩せこけた青年だった。ボロボロの衣を身にまとっているのが今は僧衣になってはいるが、目の異様さはあの時と同じだ。私はあの時、とっさにその男にタミル語で聞いた。
「ஏதோ ஒன்று?」
(何か用か?)
そうしたらあの男はしれっとポルトガル語で返してきた。
「Estou interessado em você. Eu quero falar com você.」
(私はあなたに興味があります。あなたと話をしたい)
私はこの男をフランシスコに近づけてはいけないと直感したので、その男と二人で話したのだ。その男は「東の国から来た」と私に言った。そして、「人を探している」とも言っていた。誰を探しているのかと問うとこう答えた。
「権力に憑かれていて、また、それを手に入れるだけの力を持つ選ばれた者を」
雪沙はその言葉と強烈な目に、邪悪なものを感じ取っていた。
もともとは逃げ落ちるようにインドまでやってきて、仏教の修行を積むつもりだったが、魔術的な教団に入って方針を変えたとも言っていた。雪沙はその後で、心配して話しかけてきたフランシスコに言った。
「あの目の光りかたは尋常ではない。人をかどわかすような目だ。魔術師だとか、錬金術師だとか、呪術師だとか、そういった類いの目だ。おまえが親しむ必要のない人間だろう」
今、小牧の辻に立つ男を見ながら雪沙は記憶の断片をつなぎ合わせる。その後に山口辺りであの男に再会したが、そうか、ここまで来たのかと合点がいった。なぜ小牧に来たかということまで、すべて見えたのだ。
すでに曲芸は始まっていた。曲芸師はどこかの野良犬が吠えているのを見つめて自分のもとに招くと、犬は素直に従い曲芸師の足許に伏せをした。それから犬は命令に従い、くるくると走り回ったり、拍子に合わせて立ち上がったりした。その芸自体はよく見られるようなもので、とりたてて秀でているわけではない。しかし、その野犬は人に懐かず吠えてばかりいるので、辺りでは恐れられてもいた。その犬を意のままに操っている。見物人たちは称賛を込めて歓声を上げるばかりだ。
しかし、それは序章だった。
雪沙はそれを察しているので、人の歓声を聞きながら目を閉じていた。すると不意に頭の上から声が聞こえた。
「雪沙は目を閉じて、昼寝をしとるんきゃあも」
ふっと声のする方を見上げると、信長が馬上で背後から雪沙を見下ろしていた。雪沙は軽くうなずくと、つぶやくようにいう。
「あの手は目を瞑るか、馬上から遠目に窺うぐらいがよいかもしれない」
「ほう、まるで知っとるような口ぶり」と信長はつぶやきに言葉を返す。
「うむ、知っている。あれは幻術だ」
「ゲンジュツ、幻術か」
二人は曲芸師、いや幻術師に目を向ける。すると彼は犬を脇に座らせ観衆にいう。
「ご覧あれ、この犬殿を御前から消してしんぜよう」
すると、かき消すがごとく犬の姿がふっと消えた。観衆は一瞬しんと沈黙に陥った。そしてどよめきがほうぼうから上がる。
「犬はどこへ行ってまったのでや」
「まことにおらんようになってしもうた」
「ひゃああっ」と腰を抜かしてひっくり返る者もいた。
さすがの信長もそれを見て驚いた。
「まことにさっと消してもうたでや、いかなるカラクリか」
「カラクリか、それは分からぬが、聞いても教えはしないだろう。それより、なぜ小牧であのようなことをしてみせるのか、そのカラクリがあると考えた方がいい」と雪沙は無表情で応じる。
信長は馬から降りて馬を側の木につなぐ。
「雪沙が言いたいのは……あの男は民に芸を見せて歩く以外の目当てがあるということか」
「ああ、そうだ」
そこでまた、幻術師の声が響き渡る。
「さてご覧あれ、あちらから走り寄るのを」
すると、雪沙のいる辺りを犬が走っていて幻術師の方へ向かっていく。それを見た観衆は驚嘆の声を上げる。
「いったい何が起こっとるのか」
「狐か狸に化かされたんか!」
再び足許に座った犬の目を幻術師が覗き込むと、犬はハッとしたように首を上げ立ち上がり、逃げるように走り去っていった。
芸はそこまでだった。観衆はどこかポカンとした様子でほうぼうに散っていった。距離は離れているが、その場に残ったのは幻術師と雪沙と信長だけだった。
「おう、セサル殿、この国は天竺ほど広くはないが山深く、出会う人と再びあいまみえることは少ない。それなのに、天竺から数えて三たび出会うことになろうとは、奇遇も奇遇。いや、必定も必定かもしれぬ」
信長は雪沙を見るが、そこには何の表情も見いだせない。幻術師はその反応の意味がよく分かっているようだ。
「さて、わしはこたび、尾張の覇者である織田上総介信長様にお目にかかりたいと願い、小牧を訪れた次第。もう存じておられるかもしれぬが、わしは果心居士(かしんこじ)と申す行者でございます。言ってみるならば行者であり、ときには動物の曲芸師であり、生業はあってないようなものにございます」
「実のところは、世を動かしたいと願う幻術師だろう」と雪沙が言い切った。
信長はニヤリと笑っている。
「あの幻術は面白かった。見事なものだ。それは太鼓判を押してもいい。だが、それが民の娯楽以上のものならば、わしには受け入れかねるで」
その言葉を耳にした果心居士は目をかっと見開いたのちに、かかかと笑いだした。
「わしとしたことが、セサル殿が脇に付いておられるとまでは考えとらんかったけん、さすが、龍は龍を呼ぶもの。まあ、大概お見通しのようですな」
二人がまじまじと見ていると、果心居士はひとつ黙礼をして小牧の辻を去っていった。その背を見送りながら、信長は雪沙に告げた。
「雪沙がおってくれたから、わしはたぶらかされずに済んだのでや」
雪沙はニヤリと笑う。
「いや、私がいなくとも貴殿がたぶらかされることはないだろう。龍の眼は真実しか受け止めないのだから」
雪沙の言葉に微笑んで、信長は再び馬上の人となった。
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