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第11章 ふたりのルイスと魔王2
メステレの面影 1563年 阿久根から市来
しおりを挟む〈ルイス・デ・アルメイダ、同宿の人、アフォンソ・ヴァス、莫祢氏、フランシスコ・ザビエル〉
ルイス・デ・アルメイダの九州・薩摩行きはまだ続く。風に流されて島原辺りにたどり着いたのはまだ途上も途上だった。
それをあえて見過ごさずに置いたのは、彼が後もこの地域に深い関わりを持つであろうというのが一つ。もう一つはその旅の困難である。彼が初めての薩摩行きで進んだ道は、海路は一部あるものの現在の九州新幹線とほぼ同じだからだ。豊後府内(大分市)から小倉の側に出て、久留米辺りから阿久根(あくね)、市来(いちき)に向かう旅である。新幹線でいえば、小倉から川内(せんだい)まで進むのと同じ程度だ。現在ならば約1時間半で着く行程だが、アルメイダはいったいどのぐらいかかったのだろうか。
阿久根にはアルメイダも知己のポルトガル商人が停泊している船に寝泊まりしているという。越冬するつもりのようだが、食糧が足りていないだろうと容易に想像ができた。ときは真冬である。皆秋の収穫を保存して冬を越すのだ。海ならば魚も獲れるだろうが、地元の漁師を差し置いてあからさまにできるはずもない。アルメイダはそれがよく分かっているので、できるものならばどこかで食糧を調達して差し入れたいと思っていたのだ。
そのような見込みを持って、アルメイダと同宿の人は阿久根を目指して船に乗った。しかし、冬の風はそうは優しくない。船は一向に南に進路を取れず右往左往するばかり、ときは1日、また1日と去っていく。何とか風を見つけて進むのだが、結局阿久根に着くのに13日かかったのである。内臓のよくない人にこの船旅は堪える。寒さを防ぐ手段のない小舟で、衣類を頭から被り身を縮めているしかない。また熟睡できるものでもない。また、舟には蕪が積んであったようだが、その葉も分けてもらえないことさえあった。ないない尽くしである。アルメイダは船酔い以前に体調を崩し、大地を踏みしめる頃にはいっそう青白く、痩せ細ってしまっていた。
くどいようだが、今でいえばおそらく八代から出水ほどの距離である。アルメイダは100kmほどの距離だと考えていたようだが、実際はその半分である。まったく同情を禁じ得ない。
阿久根に着いてみると、停泊している知己の商人アフォンソ・ヴァスの他にも何隻か船が残っていて、アルメイダの一行(といっても二人だが)は大いに歓迎された。彼らは地元の人々とも交流していて食糧が足りない様子ではなかった。
アルメイダの方がよほど飢えている人に見える。
一方、日本人の中で暮らすのが日常となっていたアルメイダには同胞の言葉がひどく懐かしく思えた。
「こんなにやつれて……宣教師をやめていつでも船に戻ってこい。もともとおまえは生糸の商いで成功していたんだ。ガマだって淋しがっているぞ」
船と各地の商館はずっとアルメイダの「家」だった。ポルトガル・リスボンのアルファマにある実家も懐かしいが、その記憶はだいぶ薄れている。いや、思い出さないようにしていたら、思い出せなくなったのかもしれない。
彼の母親はもう天国に旅立って久しいが、父親はどうしているだろう。
彼ははっと我に返る。
ここは薩摩の阿久根だ。
父に言ってもそれがどこにあるのか、父には見当もつかないだろう。それに息子が船医を止めて、ゴアで開業医になるのも止めて商人になって、さらにイエズス会の宣教師になっていると知ったらどう思うだろうか。少なくとも、これでユダヤ教徒だという疑いは晴れると喜ぶだろうか。マラーノだと謗られて、王国の異端審問にかけられずに済むーーと。
彼は自分がさまよい、旅してきた軌跡をぼんやりと頭に浮かべた。彼にそのような旅を強いたのは、その謗りのゆえだった。そして、彼が故郷の記憶を消し去ろうとつとめたのも、またそれゆえのことだった。海に出て苦い思い出をかき混ぜるように薄めてはきたが、ときおり波頭に紛れてそれが現れる。
その過去がさらに薄まるときが来るのだろうか。
アルメイダはしばらくアフォンソの船で休んでから、阿久根の領主である莫祢(あくね)氏の館を訪問した。ポルトガル商人の庇護を依頼するのと、キリスト教について紹介をするためだった。領主は島津家の家老で代々この地を治めているが、停泊しているポルトガル船のことも当然分かっていた。領主はみずから食糧を与えるように命じて、たいへん懐の広い人物と思われた。肥前の松浦氏の例もあるので、アルメイダはおそるおそるイエス・キリストとマリアの話をしてみた。この領主はアルメイダが流暢な日本語で話すのをたいそう興味深く受け止めたのか、彼の話を最後まで丁寧に聞き、同座していた家臣も交えていろいろ質問をした。仏教とはどう違うのか、でうす(神)とはどのような存在か、じぇず(イエス)が復活して甦ったというのはどのような意味があったのかなどである。アルメイダは仏教の教えも学ぶところが多いと前置きした上で、丁寧にひとつひとつ答えていった。
食事をもらったこともあったのだろうか、半死半生のようだったアルメイダは話すうちにどんどん生気を取り戻し、瞳は光輝くようになっていた。話し方はゆっくりで穏やかな調子だったが、懸命に説明するその姿に嘘や偽りがないと誰もが感じていた。阿久根の一同にとっては、アルメイダのその変化がまるで一種の復活のように見えたのかもしれない。
その夜は人々がアルメイダと同宿を囲んで、なかなか離れようとはしなかった。
翌日、阿久根の領主はアルメイダたちのために舟を用意してくれた。しかも、自分の館に逗留したことを市来城に伝えれば話がしやすいだろうと助言までしてくれた。そして、かつてフランシスコ・ザビエルを島津貴久に取り次いだ市来城主・伊集院忠倉が現在も島津家の筆頭家老として活躍していることも教えてくれた。
フランシスコ・ザビエル。
アルメイダはじめ宣教師はみなポルトガル語で、『メステレ・フランシスコ』と呼んでいる。メステレは「Master」で「師」という言葉を充てるのが適切だろう。日本にキリスト教を広めようと決めた最初の人である。
アルメイダはメステレの最後の航海で自身らの船に彼を乗せた。残念ながらそれは途中までだった。メステレは中国の沿岸にある島で病に倒れたのだ。それだけの関わりしかないとも言えるし、アルメイダが宣教師になるきっかけのひとつだったともいえる。メステレとともに来日したコスメ・デ・トーレス司祭、ファン・フェルナンデスはもちろん知っている。今まさに豊後で活動している人である。なので、どこか知っている人のような、遠い親戚のような不思議な感覚にアルメイダは陥るのである。
メステレはたいそう高名な人になっていた。パリ大学に学んだイエズス会の創立者の一人であり、みずから東方宣教に赴き日本という未開拓の地にキリスト教の種を蒔いた。彼が不断に書いた書簡はポルトガル国王のみならず、ローマまで届く。その内容に感化された若者がイエズス会に入会した。メステレが出発したポルトガルの人のみならず、スペイン、イタリア半島出身の入会者も多くいる。
アルメイダがこれから訪れる市来はメステレが訪れた場所なのだ。それ以降宣教師が入ることがほとんどなく、現在どうなっているのかを調べなければならない。もしメステレの蒔いた種が芽をふいていなければ、再びそこに光を当て水をやり、すくすくと育てなければならない。
その役目がアルメイダに相応しいと思ったので、トーレス司祭は薩摩行きを命じたのだ。
同胞の商人たちに別れを告げて、アルメイダは市来へ向かうためにさらに南に進んだ。さきに乗った船とは大違い、強烈な追い風に捲られて、市来近くの港までたった数時間で着いてしまった。
メステレの面影が感じられるだろうか。
アルメイダはワクワクするような、緊張の糸が硬く張っていくような気分になっていた。
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