16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第10章 ふたりのルイスと魔王1

フランシスコに憧れて 1562年 ゴア(インド)

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〈ルイス・フロイス、フランシスコ・ザビエル、ルイス・デ・アルメイダ、コスメ・デ・トーレス、バルタザール・ガーゴ〉

 ところは同じ時期のインド西岸ゴアに移る。

 ゴアはポルトガルのもっとも大きな拠点となって久しい。初期に築かれた要塞もところどころ波と風に浸食されてやや古色を帯びている。それほどの時間だ。今や人が要塞の替わりになっているのかもしれない。1560年代のこの頃には、ゴアは20万人規模の大都市となっていた。次々とやってくるポルトガル人、彼らが拠点から連れてきた現地の人々、そしてもちろん、ゴアにもともと住んでいる人々だ。
 ポルトガルのリスボン、エルミナ、モザンビーク、メリンデ、ソコトラ島、ゴア、マラッカ、そして日本。ポルトガルが拓いたインド航路は多くの人と物を拠点に運んできた。
 そうしてできあがった一大拠点にはリスボンにあるようなものがたいてい揃っている。ゴアの政治中枢である総督府、裁判所、軍隊、警察、病院、学校、市場、両替商、商品取引所、商店などである。もちろん、船に多くを頼るので港湾施設も欧州並みに整備されていた。それには遊興施設も含んでいただろう。

 その中でも宗教施設、すなわちカトリック教会、修道院、神学校(学院)、それに付帯する施設は特に充実していた。ここにはカトリック教会の司教座も早くから置かれていた。アジア地域においてのカトリックの中心もここなのだ。拠点(のちに植民地といわれる)のキリスト教化、それは国王ジョアン3世肝煎りの「政策」であり、プロテスタントの台頭で政治的な基盤の揺らいでいたカトリック教会も認めたものであった。
 「対抗宗教改革」と呼ばれる取り組みの一環である。

 そのジョアン3世も1557年に世を去った。次の国王はわずか3歳の孫セバスティアンであった。

 ゴアでは大聖堂の建築計画が進んで、先頃ようやく着工したところだ。本国ポルトガルに匹敵するものを建てるという趣旨だったので、当分は完成を見られないだろう。
 現在はサンタ・カタリナ大聖堂(セー大聖堂)として誰でも見ることができる。

 湿った風が熱を帯びて、日陰でも汗が止まらない。雨季の始まりのことだった。二人の男性がゆっくりと歩いている。

「あ、この広くなだらかな丘に大聖堂が建つのですね。壮麗な建物になるのでしょう」
 そう言って黒衣の男性がしみじみと建設地を眺める。
「ああ、あなたはじきにゴアを発つのでしたね。でもまた来ることもあるでしょう。そのときに見られるのではないですか。あなたの若さならばじきに本国に帰還しなさいという命が出るかもしれません」とともに歩いている初老の男性が穏やかに応える。
「そうですね。ゴアにはもう15年もいますので、リスボン帰還の命が来たらそちらの方が寂しくなるかもしれません」ともうすぐ30歳になる男性は微笑む。

「いろいろなことがありましたね」と初老の男性がつぶやく。
「はい。この10年、イエズス会の文書係を仰せつかって、さまざま見聞もしてきたものですから他の方の分も人生を味わっているような気分ですよ」

 若い方の男性はルイス・フロイスという。
 これまでにも折に触れ登場してきたのだが、改めて簡単に説明する。1532年、ポルトガルのリスボンで貴族の子として生まれる。1541年、その利発さを買われて9歳でジョアン3世の宮廷に仕える。折しも、国王庇護のもとインドに宣教に赴く人々の姿を目の当たりにして、自身も東洋宣教への志を抱き、16歳でイエズス会に入る。そして、心配する家族を説得して同じ年の10月にリスボンを出発してインド航路を旅することになった。
 同じ船に乗り合わせていたのが、豊後に病院を建てたルイス・デ・アルメイダである。

 さて、ゴアに到着したのち、文書作成の才能に長けていたフロイスはまだ若年ながら、本国ポルトガルからの文書を管理し、自身も文書草稿を作成する仕事に就くようになる。それと同時に司祭になるための勉強に励んだ。

 フロイスがゴアにたどり着いた頃には、フランシスコ・ザビエルもそこで宣教に従事していた。ポルトガル人が赴いたことのない地にも出かけていって、現地の言葉で使徒信条を通訳して宣教する。国王に宛てた本人からの書簡を通してであるが、そのようなザビエルの姿がフロイスにはとてもまぶしく映った。ザビエルはそこからさらにマラッカやテルナテなどの島々にも出向き、東の果ての国(日本)までたどり着いた。どの国の王とも交渉してキリスト教を認めてもらうために働く果敢な開拓者、フロイスにとってそれは英雄の道のように思えただろう。

 ザビエルが中国への上陸が叶わず病で世を去ったと知ったとき、フロイスは衝撃を受けしばらく落胆していた。
 ゴアにいても「中国への上陸は困難だ」というのは貿易商が日常言っているので、仕方がなかったのかと思う。それでも、ザビエルの書簡でマラッカ総督の嫌がらせなどがあったことを知り、フロイスは落胆から奮起するに至った。フランシスコ・ザビエルのように自身も日本に宣教に行き、中国の扉を叩く助けをしようと考えたのである。
 1561年、ルイス・フロイスはゴアで司祭に叙階された。それと同時に、イエズス会の文書を管理する仕事も与えられるようになる。そして、日本の宣教の状況を熱心に読むようになった。

 山口と九州に拠点を持っていたが、戦争により九州だけになったこと。九州では領主の庇護を得て乳児院、疱瘡患者の療養所そして病院を建てるなどもしているが、政情は不安定でいつ戦争に巻き込まれるか分からない。より多くの人が必要だ。できることならば、病院を運営している関係で医師の資格を本国で得た者を派遣してほしいーーなどのことである。コスメ・デ・トーレス司祭からのものがもっとも多いが、バルタザール・ガーゴ司祭からのものも増えている。ガーゴ司祭は豊後に着任しているので、病院関係の話は彼が詳しい。

 それにすべて目を通して、フロイスは心に湧き上がる熱を抑えられなくなった。
 彼は日本という国で力を尽くしたいと願ったのである。そして許可された。

ーーーーー

 彼は来年(1563年)になったら日本へ行く船に乗る。いよいよ、彼が望んだ方に舳先が向かうのである。
 出航までの間、慣れ親しんだゴアを改めてゆっくり歩いてみようとフロイスは思っていた。
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