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第10章 ふたりのルイスと魔王1
いかようにしたとてかかる業は 1557年
しおりを挟む〈織田信長、織田信勝、土田御前、柴田勝家〉
信長と同じ母親から生まれた弟の信勝は稲生の戦いで兄に敗れたのち、しばらくはなりを潜めていた。二人の母である土田御前が必死に信長に取りなして信勝を赦してほしいと懇願したいきさつもある。信長はそれを受けて弟の謀反を赦した。
当初、信勝に偏っていた母の愛情はこの赦免で多少は変わったのだろうか。少なくとも、その後に彼女が信長に敵対するようあからさまに勧めることはなかったようだ。いくら戦の絶えない世とはいえ、兄より弟を可愛がっていたとはいえ、子ども同士の殺し合いを望む母がいるだろうか。
対立する二者を女性が取り持つという例は他にもあった。神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王フランソワ1世の名代として、皇帝の叔母であるネーデルラント女総督・マルグリット大公女とフランス王の母ルイーズが会談したのである。なぜそのような次第になったかといえば、当事者同士が絶対に顔を合わせたくないと言ったからである。
女性二人は義理の姉妹だったこともあり、遠慮はなかった。したがって武器を持たないだけでかなりの舌戦が繰り広げられたようだが、双方痛み分け、ややフランスに分が悪い形で和議が結ばれた。1529年、一般に『貴婦人の和約』と呼ばれている。
そこから28年ほど経っている。
土田御前は『貴婦人の和約』を知らなかっただろうし、和議の内容を決めたりもしなかっただろう。しかし信長と信勝の関係がこれ以上悪化しないようにと心から願っていた。
しかし信勝は同じ轍をまた踏もうとしていた。そして衆道に耽るようにもなっていた。
衆道(男性の同性愛)はとりわけ珍しいものではなかった。かつて周防・長門の守護である大内義隆に謁見したフランシスコ・ザビエルが、太守の衆道趣味をとがめた話はさきにも書いたが、国事に差し支えがなければ一様にとがめられるものではなかった。
しかし寵愛の度を超えると男女に関わらず難が起こる。
信勝の相手は津々木蔵人という青年だったが、寵愛の度がよほど激しかったのか、あるいは野心が強かったのだろうか。彼は常に信勝の側に侍るようになった。そして、これまで信勝のために働いてきた家臣たちは皆、津々木の配下に置かれた。
母の土田御前もこれには大いに嘆いたに違いない。子が道を外れたとき、「どこで育て方を間違えたのか」と嘆く場合があるが、そのようなものだったかもしれない。信勝の庇護下にある母にはほうぼうからよろしくない話が聞こえてくる。親の責任とばかり諭してはみるものの、子がきちんと聞くことはなかった。
そのような中で信勝は再び信長への謀反を企てていた。岩倉城主の織田信安(大和守家の出)と手を組んで、信長の直轄領である篠木三郷(下原・小木田・雛五村)を奪うことにした。
この計画を知って大きな決心をした男がいた。
柴田勝家である。
ずっと信勝に付いて、引き立ててきた猛将である。彼は津々木が日に日に横柄になり、昔から仕えている自分らを見下して扱うのに激しく憤っていた。いっそ斬り捨ててしまおうかと思うことさえあった。そしてその様子を一顧だにすることなく、津々木にうつつを抜かしている主君にも愛想を尽かした。
自分はいったい何のために信勝さまに仕えてきたのか。
その不甲斐なさが彼の背中を押した。
柴田勝家はひそかに清洲城へ赴き、信長に一切合切ぶちまけたのである。
勝家は猪武者である。そして情に脆い人である。先代の信秀亡き後は信勝大事の一心でひたすら付き従ってきたし、戦にも率先して赴いた。だからこそ不実なあるじを許すことができなかった。
信長は驚いた。
もちろん、信勝が津々木にうつつを抜かしていることを信長はよく承知していた。細作を放つまでもなく、その話が耳に入ってくるほどであったから。それにしても、織田家中において反信長の先鋒だった柴田勝家が自分を頼ってくるとは思っていなかったのである。あれほど信勝に忠実に仕えて、自身のことを蛇蝎のごとく嫌っていたのではなかったか。
情というものは、何と強く、そしてもろいものだろうか。
母が弟に注いでいたもの。
弟がうつつを抜かしているもの。
ああ、義父が討たれたのもそれゆえだろう。
そして、勝家が従っていた主君を背くものも、ないがしろにされたという情に相違ない。
情というのは何とも恐ろしいものだで。
すなわちこれが、己をこれほどまでに長く煩悶させていたものの正体だでや。
信長は何かを悟ったようだった。
目の前にいる柴田勝家はきっと万事堪えきれなくなったからここに来たのだ。その姿には哀れすら感じたが、信長にとって貴重な情報を持参してきたのだ。信長はこれまでのことはきれいさっぱり水に流した。勝家に礼を告げたのち、信長は感情をまじえず話しはじめた。
「是非もない。再度の謀反の企てを赦すわけにはいかぬ。これを赦したら際限なく繰り返すばかりだで。ただし、こちらから戦を仕掛けるような余裕はない。そして、篠木で信勝の軍を迎えるなど悠長なこともできぬ」
信長の静かな話しぶりに勝家は底知れない威圧感を覚えていた。ただひたすら伏せながら、信長がどのように出てくるのか待つしかなかった。
「貴殿にひとつ、働いてもらいたい。無論、気が進まぬのなら正直に申されればよい。いずれにしても、貴殿は父信秀の代から織田家のために働いてくれておるのだし、貴殿を喜んで清洲にお迎えしよう。若い衆も多いが、顔見知りもいる。馴染むのにさほど苦はないだろう」
勝家は信長の言葉に思わず顔を上げた。
褒められるより先に、これまで信勝に仕えて敵対してきたことを責められるだろうと覚悟していたのだ。しかし、信長はそれを一言も口にせず家臣として取り立ててくれるという。
信長はどのような類いでも情というものに距離を取ろうとしていたが、勝家は感激のあまり涙を流していた。
「まことに有り難き幸せ。この勝家、これからお屋形さまのため粉骨砕身勤めまする」
そして、信長から提案があった話にもすすんで協力すると約束したのである。
それは弘治3年(1557)11月2日のことだった。
信長は体調が優れないと言って、清洲城の一室にしばらく引きこもっていた。
柴田勝家は信勝に、「ぜひお見舞いに出向いた方がよろしいかと存じます」と勧めた。
聞くところによれば、病は軽くないようで一向に快復の兆しを見ないという。袂を分かっているとはいえ、実の兄弟である。この機を逃したら対面が叶わないかもしれない。
そのように熱心に言上したのである。これには母の土田御前も大いに同意した。
「私も信長の容態を心配している。この機に和解してくれれば、母としても嬉しい」
勝家だけでなく、母も勧めるので信勝もようやく重い腰を上げた。土田御前は自身も信勝とともに清洲に出向きたいと言ったが、勝家はやんわりと止めた。
「最近は天候もよくなく、とみに冷え込んできております。お見舞いに出向いてお身体に障りがあったらいけませぬ。とりあえず様子をお伺いして温かい日に改めて出るのはいかがでしょうか」
土田御前はそれ以上何も言わず、勝家の忠告に素直に従った。
従わずに、ともに清洲城に赴いたらどうなっていたのだろうか。
結果は変わらなかっただろう。
織田信勝は清洲城に着くと、北櫓の控えの間に通された。ともに来た者らは別の間に案内された。柴田勝家以外の誰もが、ゆったりと兄弟だけで話をするのだとうと考えて去っていった。
信勝は一人になる。
辺りは静寂に包まれている。
ふっと、襖の開く音に振り返ると、そこには数人の武装した男たちが立っていた。信勝にその人数を捉えている間はなかった。刀を抜いて応戦する間もなかった。
すべてが声もなく進んでいった。
刀が空気とそうでないものにぶつかる音だけが響いていた。それも長い時間ではない。
信勝は呻く間もなく倒れ、もう何の音も立てなかった。
信勝に手を下したのは清洲家中の河尻秀隆、青貝某らの衆だった。
彼らが任務を終えて、病気ではない主君信長に報告しているところに、別間で控えていた柴田勝家が現れた。もちろん、病気などではない信長は寝間着姿で胡座をかいて彼を迎える。
「権六、すべて片はついたで」
権六と呼ばれた勝家はあまりにもあっけなくことが済んでしまったので、どう答えたらいいのか、そもそもどう受け止めたらいいのか分からなくなっていた。
信長は勝家の沈黙の理由を別の意味で解釈していた。
「母御には、見舞いに来た信勝がいきなりわしに襲いかかったので、側の衆と斬り合いになり絶命したと説明すればよい。止めに入ったが間に合わなかったと」
勝家は急にハッとして、信長に尋ねる。
「お屋形さまは、私に咎が及ばないようにされとるのでは」
信長は勝家を見やっていた。
「いや、これはわしがせねばならぬことだったが、このようにしかできなかった」
つぶやくような信長の言葉を呑み込めないまま、勝家は清洲を退出した。
きっと、去り際の勝家の背中に放られた小さなつぶやきはまったく聞こえなかっただろう。
「いかようにしたとて、かかる業は変わるまい」
勝家の話を聞いた土田御前はしばらく放心したようになっていたが、それから激するようなことはなかった。彼女は何も言わなかったが、信勝一人を清洲に行かせることになった時点で万事悟っていたのかもしれない。勝家の説明する理由が本当かどうかも重要ではなかった。人の亡き後に、その理由をいくら掘り下げても還ってこないのは同じだからである。
そして勝家と同じように、土田御前もじきに清洲に移った。
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