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第10章 ふたりのルイスと魔王1
病院をつくりたい 1555年 豊後
しおりを挟む〈バルタザール・ガーゴ司祭、ルイス・デ・アルメイダ、大友義鎮〉
九州は9つの国があるから九州である。
いきなり当たり前のことをと思われるかもしれないが、豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅の九国である。1556年のこのとき、全国的に旧来の守護(国主)が倒される事態がいくどか起こっていたが、九州については守護という威光の残り火がまだ残っていた。
豊前・豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏が九州の三巨頭だろう。龍造寺氏は事情が異なるが、大友氏も島津氏も鎌倉以来の名士である。島津氏にいたっては、源頼朝の落胤の子孫だともいわれる。
いずれにしてもこのときにはいにしえの『御恩と奉公』(臣従し領地をもらう)という仕組みは機能していない。していたら領地を拡大する戦いも必要がないはずだ。したがって守護大名といえども自領を守るか、あるいは拡大するべく戦に奔走していた。
この時期はのちに戦国時代と呼ばれるが、西洋でも日本が特異な状況にあると受け止められていたようである。フランシスコ・ザビエルが帝か将軍に面会したいと京都を訪れたときも、どちらが絶対的な権力を持っているのか、判然としなかっただろう。ザビエルが日本について書いた報告を読んだ人は、もっと分からなかったはずだ。
ヨーロッパでは王その人が国事を決定し、命令し軍を動かすのである。共和政の国でも同様である。例えばヴェネツィアには元首(ドージェ)がいて、共和国の長を担っている。神聖ローマ皇帝は選挙で選出される。
裏ではいろいろあるかもしれないが、「長」はいてしかるべきだというのが西欧的な考え方だといえる。
日本のあちこちで起こっている争乱は誰が始めるのか、誰が止めるのか。それができる人がいないのである。しかも、領主たちの繰り広げる戦闘はよく組織されており激しい。弓矢の迎撃から鑓刀の激突、そしてこの頃には鉄砲も本格的に導入されようとしている。
それは豊後府内にいた異国人たちにとってもたいへん不思議な光景に見えた。
豊後の「お屋形」である大友義鎮の領地を見れば、他のいくつかの土地よりは争乱が少なく城下も栄えている。しかし、多くの民が豊かさを享受しているとは思えなかった。そのほとんどは農民で、作物(主に米)は領主に提供しなければならない。日照りが続いたり、大雨が降ったりすればたちまち家族の食い扶持を確保することも難しくなる。
そのうえ、流行り病に倒れでもしたらどうなるだろうか。
豊後のバルタザール・ガーゴ司祭とルイス・デ・アルメイダ修士はその結末のような光景をたびたび目にしていた。さきにルイスが見た親による子どもの間引きはその最たる例であるし、一家が離散する、病に見舞われ一家もろとも追いたてられるなど様々である。彼らの目的はキリスト教を世に広めることなのだが、まず自分達がするべき勤めをよく承知していた。
二人はよくよく相談して、領主であり、彼らの庇護者である大友義鎮(のちの宗麟)にひとつの願いを申し出ることにした。
「ぶんごのおん領地に暮らし、目にするようになったことがございます。やまいに苦しむ人、貧しさに苦しむ人、それゆえに捨てられるこどもたちです。それはおん領地に限るものではなく、他の国でも見られるものであります。すべてを救うことができれば申し分なかこつですが、とても難しいです。私たちは心寛き国主さまに、ひとつのお願いがあります。どうか、この府内にやまいに苦しむ人、貧しさに苦しむ人、そして親に捨てられた子どものための家を作りたいのです。そのお許しをいただきたく、また、新たに土地をお借りしたくお願い申し上げます」
流暢な願いの言葉だが、これは信徒になった人に起草してもらったものである。それを音読してもらい、復唱して覚えたのである。ガーゴ司祭もアルメイダも片言の日本語をそれなりに習得している。ただ、国主の前でとうとうと述べられるほどではない。それならば通訳を付けるという手もあったのだが、じかに依頼する方が誠意を理解してもらえると思ってのことだ。
ただ、国主が質問をした場合にうまく答えられるかはいささか心もとない。
伝えそびれたが、この頃大友義鎮はまだ若い。まだ剃髪もしていない。意気軒昂な26歳の青年である。豊後をポルトガルとの交易の一大拠点として繁栄させたいという思いが強い。宣教師の滞在を許可した背景にはそのような狙いもあった。ただこの若者には一種熱狂的な純粋さがあって、単純に交易という富の魅力だけに飲み込まれていたわけではなかった。
「ふむ、なかなかに真っ当な願いやけん、もう少し聞いてみたか。いかようにして、病人や貧しか民や子どもを救いたいというのか」
義鎮の問いに対する答えまでは用意していなかったが、これにはガーゴ司祭が答えた。
「はい、国主さま。まず、いるまんアルメイダは医師の資格をポルトガルで得ています。この人はポルトガル王が建てた病院(王立病院)で修練を重ねました。すべての病を治せはしませんが、治療や手当を受けさせ、静養してもらうことはできます」
アルメイダはガーゴ司祭の話を聞いて、胡座ごと一歩下がった。大友義鎮の目がちらりとアルメイダを見る。慌てたようなポルトガル人の姿を国主は微笑んで受け止める。
「なるほど、その病院とやらでさきに申していたように、貧しきものや子どもたちの世話もするというわけだな」
「さようでございます。国主さま。すでに私たちの宣教活動にご理解をいただいておりますのに、さらにご助力を賜りたいというのも申し上げにくいのですが」
ガーゴ司祭が恐る恐る継げると、大友義鎮はうん、うんと頷く。
「よかっちゃ。土地は用意しよう」
「まことですか?」と、今度はアルメイダが思わず聞き返す。
「まこと、まこと。まあ、寺とも相談して決めねばならぬな。土地の話はまた相談しよう」
日本で初めての病院、救貧院、児童保護施設を建てるメドがこの謁見で叶ったのだ。
それまでは病院という施設が日本にはなかった。医師はいたものの患者のところに赴くのが普通で、ひとつの施設に集めるという形ではなかった。また、アルメイダはこの時代で最先端の外科手術の研修も受けていた。適材適所だと言えよう。
こうして、ガーゴ司祭といるまんアルメイダの新しいミッション(使命)が始まった。
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