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第10章 ふたりのルイスと魔王1
捨身飼虎にはなれぬ 1556年 尾張国
しおりを挟む〈織田信長、織田信勝、織田信時、柴田勝家、林秀貞、森可成〉
織田上総介信長は雪沙の重い言葉にひとり思案していたが、主のいない尾張守山城の処理には直ちに取りかからなければならなかった。叔父の信光が急逝し、跡を継いだ信次も事件を起こして出奔してしまった。信次の家臣である坂井氏の一族は城に籠っていたが、いつ攻められてもおかしくない情勢だった。
守山城を攻める算段を進めていたのは信長の弟である信勝の末森城の一勢だ。ふたつの城は近隣にあるのですぐにでも戦に掛かれる。末森はもともと信勝に与えられた城である。
信勝家臣の柴田勝家は信長の父信秀の代から家臣として勤めてきた人物だが、それに清洲信長の家老である林秀貞、通具(みちとも)親子が寄り集まって、信行に付こうと密かに話し合っている。秀貞は主不在の那古野城の城代として在る。なので、他とやりとりをするのもさほど難しくはなかっただろう。屋台骨も寝返ろうとしているのである。
柴田勝家はもとからそのような意思を示しているのだが、秀貞までが信勝に付くとなると厳しい。信長の筆頭家老なのである。
誰かを忍ばせて不意に寝首を掻くこともできるのである。
そして、
信勝側の話はもちろん内密に進められているが、信長は細作(さいさく)といわれる密偵を放っていて事情を逐一知っている。
どのような気分だろうか。
明らかに自身を滅ぼそうとしている人間の前で、知らぬ振りで過ごすというのは。信長は蛇蝎のごとき執着の深い性質ではない。それでも極度に用心深くしなければならず、表向きは豪放磊落に過ごしている。直属の郞党が増えたのは心強かったがどうにもならない輩がいる。
できるものなら、弟らもその家臣も忠実に自身に相対してくれればいいと望んでいるが、どうにも無理らしい。
そうできれば、尾張国は磐石なのに。
雪沙は先日、どうして自身の身の上を語ったのだろうと信長はふと思う。
誰も知らない異国まで来て、わざわざ他人に話したのは……わしのためだろう。このありさまを知って、おそらくは誰にも言わない話をしたのだ。
同じ轍を踏ませないために。
雪沙はそれが許されざる罪だという。
それではなぜ彼はそれをしたのか。
弟に追い詰められたのか。
したことについては語っていたが、なぜかは出てこなかった。
もちろん肉親は大事ではあるが、自身を進んで犠牲にするわけにはいかぬ。たとえ攻めてくるのが兄弟であろうとも。
「捨身飼虎(しゃしんしこ)というわけにはいくまいよ」
信長は独りつぶやく。
捨身飼虎とは釈迦がその前世で、飢えた虎の親子にその身を与えて食わせたという逸話である。自分の命を投げ打ち捧げる気はない、ということだ。
しかし、なにがしかの手立てはあるはずでや。情報をくまなく吟味し打てる手を考える。犠牲なく、あるいは犠牲を少なくするように。仕損じた場合の対処も決めておく。場合によってはそれを翻しても瞬時の判断をせねばなるまい。
それを決して敵や敵になりうる者に気取られてはならぬ。
「人がはじめて人に手にかけたのは……」と信長は雪沙の言葉をつぶやく。
信勝、信長、守山城に残る家臣らが相談した結果、守山城には信長の異母兄の血縁である織田信時が入ることになり、いったん収拾がついた。
ほんのわずかの間の平穏である。
天文から改元した文治2年(1556)、信長は機先を制する行動を打つ。それはまるで、捨身飼虎のごとき大胆で危険な行動といえた。
もう初夏の気配も濃い5月26日のことだった。
信長は守山城主となった織田信時とともに従者を付けず二人だけで、那古野の秀貞のもとを訪問した。知らせを聞いた林通具は、「徒手空拳で来るとはしめたもの。今が信長を倒す好機、信時もろとも詰め腹を切らせましょうぞ」といきり立った。
確かに飛んで火に入る夏の虫である。
ただ、信長の筆頭家老はそれを潔しとはしなかった。今の織田家の当主は上総介信長なのである。
「三代に渡り恩を受けた主君を騙し討ちのようにするなど、天罰が恐ろしい。また絶好の機会が来るはずだで、こたびは手を出すな」と秀貞は言い含めたのである。
情や恩というのではなく、何とも保身ばかりの言葉であるが、そのおかげで信長と信時はゆるりと那古野で過ごし去っていった。
もちろん、信長にとっては覚悟の上の行動である。徒手空拳で赴くことで、相手の出方を伺い知ることができる。それだけではない。もし秀貞と腹を割って話ができるのであれば、また別の活路が開けると思っていたのだ。ただ、活路の方は失望するだけの結果になった。筆頭家老はそわそわして主と目も合わせない。早く帰ってほしいといわんばかりの態度だった。
清洲城に戻ると信長の腹心、森可成(もりよしなり)がさっと目の前で膝まずく。
「お屋形さま、まことようご無事で。われらいざという時のため万事整えて控えておりましたが、とんだ用なしでございましたな」
信長は彼の態度に深い安堵を覚える。
「不思議なもんだでや」
「は? 何がでございましょうや」と可成は聞き返す。
「おぬしは代々の家臣ではないで」
「は、美濃から来たごくごく新参者にござりますが……」
正直な言葉に信長は笑う。
「わしはその、ごくごく新参者にどえりゃあ信を置いとるでよう。不思議なもんだでや」
森可成はあるじのひょうげた口調に微笑んで返す。
「お屋形さま、人はたいてい目を見れば誠の度合いが判るといいます。二心あるのかとお疑いのときは、ぜひ拙者の目を穴が開くほど見てくださいませ」
「ああ、そうさせてもらうぞ」と信長はうなずいて衣服をほどきに部屋に戻った。
しかし、清洲城の外は殺伐としていた。数日後、織田信勝を立てようとする末森、そして那古野勢は直接行動に出た。信長の徒手空拳が挑発だと考えたのだろうか。
悪意がある人間は、敵とみなす者の行動をすべて自分のように「悪意がある」と考えがちである。そしていうまでもないが、戦乱においては感情や不安に惑わされず冷静に一歩引いて考える者の方が勝利に近い。
かつてイタリア半島中部を攻略していたときのチェーザレ・ボルジアのように。
いずれにしても信勝側は一斉に清洲と他の城を結ぶ道を封鎖しにかかった。神もこちらのものだといわんばかりに熱田神宮に通ずる道もふさいでしまった。この道はかつてともに戦った三河の水野信元の領地に通じる道でもある。
哀れなのは守山城の織田信時だった。角田新五という家臣が自身の重用されないことを恨み、末森・那古野方と密かに通じたのだろう。
角田は「城の板塀を修繕する」として逆に打ち壊し、そこから兵を引き入れた。追い詰められた信時は自害するに至る。
こうして、信長はじわじわと包囲されていくのである。そこで信長は途方に暮れていただろうか。
否、これは彼にとって後に何度も続く包囲網を突破するひとつの実践の場だった。
少なくともこのときの経験は、彼に多くを悟らせるものとなるのである。
尾張の中心がものものしい空気に包まれている頃、西の方から小牧に向かうふたりの男がいた。帯刀はしていないが目付きは刀のように鋭い。
彼らは一人の男に会うために道を急いでいた。
小牧に住む隠者に会うために。
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